2010年3月10日水曜日

うそも方便

政治はどうも苦手、と思ってしまう私です。現在の政治家に魅力的な人がいない。そう思うからでしょうか。色んなレベルで、日本の運営を「任せる」人たちに無関心ではいけないのは十分承知ですが、政治家の話すことばに真実を感じられないのです。

核持ち込みに関する日米の密約とやら。外交の世界で「ないはずがない」のに、ずっとそれを否定し続けた政治家。「やっぱりあったようです」と発表して、さて、これからどうするのか、それを明言できない政治家。

自国の利益を守るために、時には「うそ」も必要なのが政治や外交なのかもしれません。正式な外交交渉で、通訳を必ず使うのは、理解のずれを通訳のことばのせいにできるから、ということも聞きました。プロ中のプロが使うことばでも、それぞれの国にとって都合のいいような解釈ができる余裕を残しているのです。


今朝の朝日新聞の「キュー」というコラムに、2008年の年末に東京で開設された「年越し派遣村」の村長さんだった湯浅誠さんのことがありました。昨年秋に、管直人(かんなおと)副総理が、現場で貧窮問題に取り組むNPO事務局長の湯浅さんを、緊急雇用対策本部に招聘(しょうへい)しました。そして・・・

湯浅さんは100日あまりの活動のあと、達成感のないまま辞任します。彼の提案する困窮者対策を、政治家も官僚も地方自治体も聞くには聞くが、本気で取り組もうとはせず、実現するための議論ではなく、できない理由を並び立てるだけ。組織の壁に取り囲まれ、次第に疲弊(ひへい)していく湯浅さん。

「うそと妥協は目的到達の手段と割り切らなければ、政治の世界は生きられないということだろう」とこのコラムの著者、ライターの嶋崎今日子さんが書いています。

うそも方便(ほうべん):うそは罪悪ではあるが、よい結果を得る手段として時には必要であるということ。

辞書にある解説と全く同じでした。

政治を斜めから見ているような私です。こころに響くことばを届けてくれる政治家はいませんか?

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