2月15日、東京での救出劇。JR高円寺駅で、線路に転落した女性を見て、とっさにホームから飛び降りた男性。線路に横向きに倒れた女性を、電車にひかれないようあおむけに動かし、彼はホーム下へ逃げ込んだ。
電車が迫ってくる恐怖の時に、よくこれだけのことが一瞬にできたものです。このお手柄男性、佐藤弘樹さん(24歳)は元ラガーマン。昨日のラグビー日本選手権の試合前に、自身が現役時代につけていた、フルバック15番の背番号の日本代表ジャージーが贈られたという記事を目にしました。
「まさかの話で夢のよう。秩父宮(ちちぶのみや)ラグビー場に立つことができて感無量でした」と語った佐藤さん。JAPANのユニフォームを手にしての感想です。
私が初めてJAPANがついたユニフォームを着たのは、1998年の車いすフェンシング香港遠征の時。通訳だから・・・と言っても、日本チームの一員ですから、所属が一目でわからなくてはいけません。苦手なジャージ姿に文句を言いつつ、その後も遠征の試合会場では必ずJAPANを着ていました。
アテネのパラリンピックでは、日本選手団のユニフォームを着たのですから、まさしくJAPANだったのです。
JAPANを背負って競技を続けたバンクーバーオリンピックの選手達。今日で全てが終わります。国の名誉をかけて競技するという意識は減ってきているのかもしれませんが、メダルを取った選手達が、必ず国旗を手にして「ウィニングラン」をする風景を見ると、やはりオリンピックは国別の対抗競技会なんだなと思います。
「JAPAN のユニフォームを着ること」の意味。それは代表を目指して努力する選手達だけが知っているはずです。着られる名誉。着られない悔しさ。スポーツの世界の厳しさです。
何気なくJAPAN を着ていた私です。でも競技会場で見る日の丸には、すっと背筋が伸びたものでした。
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