ワルシャワ大学には当時から日本語を学ぶ学生がいて、日本研究も盛んだったとのこと。ポーランドが親日国であるというのは以前から知っていましたが、その理由の一つのエピソードを雑誌で発見しました。
1917年ロシア革命が起こり、翌年ポーランドはロシアから独立。領土を巡ってロシアとの戦争状態となりました。ロシア帝政下でシベリアに流刑となった多くのポーランド人家族は、ロシアの革命政権によって弾圧を受け、16歳以上の男子の多くが処刑されたといいます。
子どもたちだけでも救いたいと思った母親たちがヨーロッパ諸国やアメリカに援助を求めたけれど、うまくいかず、1920年日本に代表二人がやってきて窮状を訴えたのです。日本政府は日本赤十字社が中心となり、陸軍も協力して子どもたちの救出を試みました。
1920年から1022年にかけて、765人の孤児たちが日本にやってきて、病気の治療を受けたり、栄養失調状態を脱したのち、日本の船でポーランドに送り届けられたというのです。
日本人に助けられた孤児たちが高齢になっても歌えたのが「うさぎとかめ」の童謡。
遠い昔の日本での日々を、ずっと覚えていた孤児たちだっといいます。
日本とポーランドのこんな歴史の一幕が、回り回ってワルシャワでの父の入院生活を支えてくれたのかな、と改めて感じ入った次第。
去年のワルシャワワールドカップ遠征時に手に入れた熊さん ひいじいちゃんのエピソードをいつかけいちゃんに 話してみたいと思っています |
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