カトリックの教会に押し入ったテロリストが高齢の司祭を殺害するというフランスの事件。教会という神聖な場所での残虐な事件。
BBCニュースがその事件のあと、フランスのイスラム教徒たちがカトリックの教会の礼拝に参加していることを伝えています。「私たちは同胞として一つです」という気持ちを表そうとした行動だったようです。
イタリア在住の作家、塩野七生(しおのななみ)さんのことば。「一神教同士の対決から浮き彫りになったのは、自分が正しいと信じる人間の残酷さだった。」
神のみ名において、ということばは、時には周りに向けるべき自分の目やこころを閉ざしてしまうのです。自分と違う宗教の人も、その人にとってのこころの拠り所として「他の」信条を持っていること、それが許せなくなってしまうのです。
初詣は神社で、お葬式はお寺で、という習慣に何も違和感のない日本人にとって、この宗教観はなかなか理解しがたいもの。
テロが続く不穏な時代であっても、宗教を超えて人間同士のつながりを求める人々が増えることに小さな希望を感じます。
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