2015年11月30日月曜日

物忘れが辛い

認知症の人にゆっくり話しかけながら、今どんな気持ちを尋ねると、自身で文章が書ける人があるというのを目にして、ちょっと信じられない気持ちでした。母の最晩年を思い出すからです。

母は自分の記憶力の低下を感じるようになり、それが自分で許せなくなって自分からこころを閉じてしまった、と以前から思っていた私でした。とても明晰で、きっちりしていないと落ち着かない母でした(娘は随分違いますが・・・)

認知症を特集するテレビで、「認知症を肯定する」ことがどれだけ認知症の本人を安心させるか、ということを若年性認知症の41歳の男性が話していました。忘れてしまった、できなくなってしまったことを、周りの人が病気による症状として、それを非難することなく肯定する。そこから笑いも生まれる、というのです。認知症の本人は失敗したことはわかるが、なぜ失敗したのかがわからない。そこがとても不安になるのだそうです。ましてや、それを非難されたのでは、いよいよ追いつめられることになるはずです。

認知症が進み出したとき、母は施設でお世話になっていました。週に2、3回会うだけだった私でしたが、母の変わりぶりに戸惑い、今から思えば、決して良い対応をしていませんでした。母のことばを否定していた私でした。「あんなにしっかりしていた人が」という気持ちと「寂しさ」が入り交じっていたのかもしれません。

「病気として認知症を本人も周りも受け入れること」「認知症の人のこころに寄り添うこと」「できなくなったことにとらわれない」

母に対してはうまくできていなかっただけに、私のこころにズシンと響いてきたことばです。「ごめんなさい」の気持ちも・・・



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