アカデミー外国語映画賞受賞の記事が昨日の夕刊に大きく掲載されました。午後1時過ぎの受賞発表が、当日の夕刊一面トップの記事として締め切りに間に合うのですから、コンピューター化された最近の誌面作りはすごい、と感心したり・・・
改めてこの映画が生まれたエピソードを誌面で読みました。主演の本木雅弘さん個人の経験が発端(ほったん)だったようです。
20代後半に訪れたインド。そこで体験した生と死が隣り合う死生観。「納棺夫日記」などを通して知った「納棺」の世界。それを「神秘的かつ映画的」と感じた彼が、映画化の構想を長く温めていたとか。
映画作りへの純粋な気持ちが見事に花咲き、実を結び、世界に通用する作品に仕上がったのですね。
この映画への本木雅弘さんの想いをつづったウェブを見つけました。本木雅弘
日本人の生活の中に、以前は自然に存在していたはずの「死」が、隠すべきものとして忌(い)み嫌われ、人々が目をそらすようになってしまった現代。全ての人 にとって100パーセント平等なものとして訪れる死。そこに至るまでの「生」をどう生きるのか。静かな映像の中から、それを問いかけた「おくりびと」。
私達みんなへの贈り物のような気がします。
2 件のコメント:
「死」について。確かに現代においては接する機会、向き合う時間が欠落しているようにも思えます。私自身お墓参りやお仏壇に手を合わせる事は生活の一部にあったにも関わらず、なんとなく自分には遠いことのようにどこかで思っていました。が、ここ数年お坊さんのお話を聞く機会があり、自分が今ここにいる意味を考えるようになりました。ロッカー式のお墓など様々な形態はありますが、そこに参り、そして手を合わせることで日常の騒々しさから離れ、ふっと心の余裕ができることがあります。難しいことは分かりませんが、大事なことのような気がします。
悲しい、寂しい、辛い・・・などのマイナスイメージのあることから目を背けることが多い現代の私達だと思います。
どんなことでも「あるがまま」をしっかり受け止めることが一番大切なんですよね。逃げてはダメですよね。
「死」を考えることは、そこに至るまでの「生」を考えること。そう思います。
亡くなった人はすべて、自分の心の中に生きている、そう思うと、私達自身の死も決して「おわり」ではありませんものね。
暗いイメージにとらわれることなく、本来の死の意味を考えさせてくれる「おくりびと」、ぜひ映画をみてくださいね。
「おくりびと」広報係より
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