わらじ医者と呼ばれる早川一光(かずてる)先生。本名より「いっこうさん」として有名なお医者さまです。昭和25年(1950年)に京都の西陣地区に、住民の出資による診療所を開設。地域医療の中核病院となる堀川病院に発展していきます。
早川一光のホームページ
私は1993年11月に堀川病院の第13回ボランティアスクールを受講しました。地域医療を目指す病院ですから、早くからボランティアの養成にも力を入れていて、修了生たちが医療スタッフとともに、地域のご老人や障害者をきめ細かくサポートしていました。
早川先生直々(じきじき)の講座もあるこのスクール、毎回受講希望者が殺到していました。軽妙な京都弁で、大笑いが続く早川先生の講座。楽しいお話しの中で、地域医療に関係するボランティアとしての心構えをさりげなくお話しなさるのでした。
実習の日、私は盲聾者(もうろうしゃ:目と耳が不自由な人)の女性の通院介護を経験しました。50代前半の一人暮らしのこの方は、10代後半までは目が見え ていたので、手のひらに字を書いてお話しをします。ベテランのボランティアの方が「今日はもう一人いますよ」と私を紹介すると、少々不鮮明な言葉で「背(せい)がたかいね」と京都弁で私に話しかけてくださいました。
そのお宅から堀川病院まで徒歩約10分。手を取って、ゆっくりゆっくり歩きました。定期検診ですから、ご当人は病院内で次に何をするのか、よくご存知で、私は手引きをするというより、教えていただくままに動いたのでした。
1993年当時はまだ介護保険もなく、ヘルパーさんを頼むのも大変だった時期だと思います。地域に根ざしたボランティア組織があるからこそ、この女性も一人暮らしが可能だったのです。
わらじ医者と言われる早川先生は、わらじをはいてどこまでも歩いて病気の人を訪ねていかれた、そんなイメージのあるお医者さまです。堀川病院を辞されたあと、1999年からは京都府西北の美山町での地域医療にあたり、村のお年寄りの訪問診療をなさいました。
現在は「わらじ医者よろず診療所」を主宰。大正13年(1924年)生まれ、今年85歳になられる先生、まだまだお元気で活躍中です。
以前見つけた早川先生の新聞記事にあったことば。
ぼけたときのために、今から悪い言葉を話さないように。
「ありがとう」を連発するくせをつけるように。
心したいと思います。
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