小学校の時期をアメリカで過ごしたわが家の息子と娘、6年ぶりに日本に戻ってきた時、「本当にアメリカで育ったのですか?」とよく聞かれたものでした。日本語が「普通」だったからです。アメリカの生活で、家族間では日本語を通したことで、「普通」に日本語を話せるこどもたちでした。
アメリカの小学校では、「あなたはどう思うの?」 と絶えず先生が問いかけます。英語がまだまだ不自由だったわが家のこどもたちに対しても、自分の意見を話すようにと先生が辛抱強く聞き出してくださっていました。
「自分の意見をしっかり話す生活」から、「できるだけ目立たない生活」に戻った当時、 息子も娘もそれなりに相当ストレスをためていましたが、大きくなるに従って、二人とも、日本語を話す自分と英語を話す自分を上手に使い分けるようになりました。
「現在の日本で就職活動をしている世代は、子ども時代に「個性的に」「自己主張が大切」「集団に埋没するな」というような風潮の中で、それを「良し」として育ってきた。それが自己主張の一つとして「嫌な仕事はイヤ」という発言につながり、「仕事はやってみて初めて自分に向いているかどうか、わかるのだから、嫌な仕事もまじめにやるべきだ」というおとなからの発言とぶつかってしまうことが多い。日本の感覚ではない、英語的発想、英語的心情を教えられ、ある年齢になると日本語的心情に馴染めと言っているようなものだ」、という内容のコラムがありました。
著者は英語が堪能なラジオパーソナリティー。小学校からの英語教育に懐疑的な方です。
まず自分の母語、日本語での表現力を高め、そこから「次」の言語に移行するのがベストだと私自身信じています。わが家のこどもたちのケースは特殊であり、普通の日本人のこどもたちにとって、日本人としてまず日本語的心情を自分のものにしておくことが大切なのではないでしょうか。 そこから自分にとってより自然な「心情」を一人一人が作り上げていけばいい、そう思います。
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