2009年9月30日水曜日

コラージュ発見


すてきなコラージュを発見

けやきの幹にできたコラージュです

2009年9月29日火曜日

意味不明

意味不明と言えば、お経がその最右翼。昔から法事の席で、お坊様のお経の長さに足のしびれと戦っていたことを思い出します。木魚(もくぎょ)のリズムに 乗った単調な「音」は、ありがたい経文(きょうもん)であっても、チンプンカンプン。「早く終わらないかな・・・」と思っていたものでした。

漢 文の音読である仏教のお経を、現代語訳のお経のテキストで、参加者と一緒に朗読するお勤(つと)めをしているお坊様の投書がありました。この現代語訳のお 経は、最初の頃はお年寄りから相当な反発があったようですが、若い人たちには好評で、お経に対する関心が高まったとのこと。

お経は単に亡 くなった人の霊をなぐさめるだけに唱えるものではなく、生きている人それぞれの個々の自覚と他者との共存の智慧(ちえ)と実践の書である、とこの投書の主 は記します。非戦平和の願いと、あらゆるいのちあるもの(衆生:しゅじょう)と共に生きるという精神が流れているお経の意味を理解することが、仏教の世界 へのアプローチになる、そう書かれています。

私が毎日読むのは生長の家の「甘露の法雨」(かんろのほうう)です。古い文体ですが、声に出 して読むと、そのリズムが心地よく、しっかり20分間声を出すと、気持ちがすっきりします。同じ文章を読んでいても、その日によって、こころに響いてくる ことばが違ってきます。自分自身が忘れている部分が浮き上がってくるようです。意味が理解できるからこそ、納得できるのです。

真理を伝える文章、それがお経です。意味不明でないお経の重要性を訴えたこのお坊様にこころから賛同の意を表します。

2009年9月28日月曜日

放送終了

お聞きのラジオ第一放送は、放送設備点検のため、お休みします。ラジオ深夜便はFM放送でお聞きください。

夜中に目が醒めて、ラジオのスイッチを入れた時に、偶然聞こえてきたアナウンサーの声。

そして次に流れたのは国歌の「君が代」 

「NHK京都第一放送」と聞こえたあとは音声が消滅。

テレビでもラジオでも24時間切れ目なく放送(放映)されるのが当たり前になっている現在。ずっと昔にあった「放送終了」に遭遇した夜。懐かしさを感じました。

2009年9月27日日曜日

丸一年

Chuckがわが家にやってきたのが去年の今日
たった800グラムでした  New Member

記念日に久しぶりのカット
昨日の写真とこんなに違っています
どちらもわが家のChuckです


2009年9月26日土曜日

集中審理

裁判員制度による裁判が日本各地で行われています。ワイドショー?で初めて裁判員裁判のことを書いたのが8月5日。今後もこの裁判の数はどんどん増えてくることでしょう。

新しい試みの裁判員制度は、裁判員の拘束時間を少なくするために、短期集中での審理となります。裁(さば)く側、つまり市民の参加しやすさを考えた進行となるのです。それが被告側の不利益になっていないだろうか、というコメントを読みました。

おそらく裁判員以上に緊張する被告席で、午前、午後と審理が続く。集中力を途切れさせることなく、被告人は質問に答えなくてはならない。自身の思いを的確にことばにできるのだろうか。連日の法廷で、弁護人と十分に打ち合わせる時間は確保されているのだろうか。

被 告人とは「推定無罪」の原則が適用される。つまり「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」ということ。被告がきちんと裁判を受けられるように配 慮されなければ、今問題となっている冤罪(えんざい:無実であるのに犯罪者として扱われてしまうこと)が、今後も起こりうるという危惧(きぐ)の念を抱き ます。

裁判員を経験した人がインタビューを受けて、「いい体験をした」「社会勉強になった」と答えるのを聞いたことがあります。人が人を 裁く、つまりある人の人生を決定してしまうことに対して、それが裁判員の「体験」であったり「勉強」であっていいものか。そのことばに何か「ざらっとし た」感覚を持った私です。

2009年9月25日金曜日

10キロ増

20代の時の体重から10キロぐらい増えた体重が、中年以降のベスト体重です・・・とラジオから聞こえてきました。

健康志向が強い現代。やせなきゃ・・・と思う人が多い中、「ちょい太」が長生きする。粗食が身体に良い。バランスよく、他品目を食べるようにしないと・・・などなど、一体何を信じていいのかわからないほど、あれこれ情報が氾濫しています。

なぜか、20代の頃から、ほとんど体重が変わらなかった私が、ここ一年ばかりで、ちょっぴり体重増加傾向となりました。まだ洋服のサイズが変わるほどではありませんが、何となく自分の身体が変わってきたように思うのです。

老化現象・・・と言ってしまえばそうなのでしょうが、それではちょっと寂しいな。(現実逃避です)

そんな訳で、単に細いだけでなくて、ちょっと太ってくるのが健康だよ、というラジオのコメントが耳にとても心地よく響いた朝でした。

2009年9月24日木曜日

介助犬





障害者の生活全般を介助するためにトレーニングされた介助犬。現在、日本で介助犬を必要とする人の数は15000人と言われているのに、実働している介助犬はたった50頭。盲導犬と同じく、一頭の「仕事」ができる年数は10年。

介助犬と暮らし始めて、生活が大きく変化した車いすの方々のレポートがありました。生活のパートナーとしての犬の存在が、障害を抱える人たちの行動範囲を広げ、生きる張りを生みだしているのです。

テレビに映る犬の表情のすてきなこと。わが家の「犬」に見せようとしたのですが、全く関心なし。おもちゃで遊びほうけていました。

色々な人生。犬の生活も色々。全てのいのちが支え合って暮らしているのですね。

2009年9月23日水曜日

京都駅ビル

1997年に新しいビルになった京都駅。当初はその大きさにあれこれ文句を言う意見が多かったのですが、現在は京都の観光スポットの一つになっています。

複雑な構造のビルにデパートやホテルが組み込まれているのですから、何度も行ってもどこがどうなっているのか理解できないほど。

伊勢丹側の大階段の段数は171段、高低差は11階建てビルに相当する35メートル、全長70メートルもあります。大階段はコンサートや、毎年2月のJR京都駅ビル大階段駆け上がり大会が開催され人気を博しています。

こんなウェブがあるほど、人気のある駅になりました。京都駅ビルファン

私が撮影した夜の風景でごく一部をご紹介・・・




2009年9月22日火曜日

外国人介護福祉士候補生

2008年8月に来日したインドネシア人の介護福祉士候補生たち。日本語の研修が終わった今年の1月頃から受け入れ施設の現場で働いています。今日、6時過ぎ、偶然NHKのテレビで放映された二人のインドネシア介護福祉士候補生のこの半年のドキュメントを見ました。

日本語に四苦八苦のチェチェップさんとヘンリーさんの二人が、佐賀県の特別養護老人ホームでの仕事でまず驚いたのは、認知症のお年寄りへの対応だったそうです。平均寿命が65歳のインドネシアでは認知症のお年寄りはほとんどいないとか。戸惑いながら、お年寄りに懸命に話しかけようとする二人でした。

敬虔なイスラム教徒である二人はラマダンの時期は、日中は水も口にしないまま仕事を続けます。施設の配慮で、午後は仕事を休むように言われても、黙々と働き続ける二人です。高齢者を敬う彼らの自然な態度に、同僚の日本人スタッフが言います。「忙しさの中で忘れていたことを二人に思い出させてもらった」と。

お給料は約15万。その半分近くはインドネシアの家族に送る二人。エプロンのポケットには辞書を入れて、わからないことばを必死で理解しようとしていました。

数ヶ月が経過して、仕事にも慣れてきた二人は、どんなに忙しくても、時間を見つけてはベッドや車いすのお年寄りに話しかけていました。「時間はお年寄りのために使いたい」「こころからお年寄りに接していきたい」 そう言う二人の真心は認知症のお年寄りたちに届き始めるのです。

ドキュメンタリーのタイトルは「ボクがそばにいますから」。私も職場で、お年寄りたちに「私がそばにいますから」という気持ちを持ち続けていきたいと思いました。テレビはほとんど見ない私が偶然に見た番組。今の私にとって大切なメッセージが籠められていました。

2009年9月21日月曜日

曖昧模糊

曖昧模糊(あいまいもこ):物事の内容・意味がはっきりせず、ぼんやりしているさま

コンピューターの漢字転換機能があるから使える漢字です。手書きでは挫折してしまうはず。

日本語は物事をはっきりしないまま表現するのが得意な言語。「何となく」意味を表していて、そのことばを使う人も聞く人、読む人もそれぞれに、「こんなもん かな」と理解していることが多いような気がするのです。政治用語やお役所言葉がその典型かもしれません。国会答弁を聞くと、「一体何が言いたいの?」とい うことばの羅列(られつ)であることもしばしば。

一方、あることをことばで表現すると、そのことばのイメージが現実と違ってくることも多く見かけられるように思います。

私たち一家がシカゴから京都に戻ることが決まった頃、1980年代後半です。その当時、「帰国子女問題」ということばが新聞によく使われていました。シカゴでも朝日新聞を読んでいた私たちでした。息子が「ぼくたち、問題なのかな・・・」と言ったことばが忘れられません。

数ヶ月後に日本に戻る。生まれ育った場所ではあるけれど、「帰国子女」として中学校に通うことになる息子は、自分が何の「問題」なのか、それがわからず随分心配していました。

海外から戻る子ども達自身に「問題」はありません。もちろん個々の事情はあれこれありますが、帰国子女そのものが問題なのではなく、彼らを「問題扱い」「問題視」する社会が「問題」なのです。

娘の編入先の小学校に転校のごあいさつに行ったとき、教頭先生がおっしゃった、「日本語しゃべれますか?」ということばが今も耳を離れません。「ややこしい 存在」なのでは・・・という先生の危惧(きぐ)が、表情やことばのトーンにありありと出ていたからです。もちろん「完璧な日本語を話します」と強調した私 です。

「中国残留孤児」しかり。本人達が希望して中国に残留したのではありません。「残された人たち」です。自分の意志が表現できるない 幼いこどもたちが、何もわからないまま取り残された、そのこどもたちを育ててくれた中国人がいた。その現実が「中国残留孤児」ということばで、ぼやけてし まうような気がします。

新しい内閣にできた「国家戦略局」という古めかしい表現に違和感を覚えるという、歌人の道浦母都子(みちうらもとこ)さんの意見を読みました。このネーミングが妙な方向に日本を引っ張っていかないようにと願います。

2009年9月20日日曜日

今年の彼岸花

今年の彼岸花(ひがんばな)
通勤途中のたんぼのあぜ道

稲穂と一緒に写そうを思ったのに・・・
二日休んでいるうちに、
稲が刈られてしまいました


今日の朝、出勤前にちょっと寄り道で撮影

2009年9月19日土曜日

残心

残心:武芸で、一つの動作を終えたあとでも緊張を持続する心構えをいう語。剣道で、打ち込んだあと相手の反撃に備える心の構え。弓道で、矢を射たあとの反応を見きわめる心の構え。

新しいことばの意味を知りました。残心とは「心残り」「未練」ということかと思っていましたが、武道に関するこんな意味があったのですね。

「心を残す」とは、自分のふるまいの最後にもしっかり気を配ることのようです。池波正太郎氏が小学生の頃、電話の切り方について先生にこう言われたそうです:

「話が終わってもちょっと間をおいて切りなさい、おじぎをするくらい間をおいてから切るものだ」

当時の下町の小学校で、家に電話があるのは、10人にひとりぐらいだったそうですが、「君たちが社会に出て、電話をかけるときのために」と、先生はおっしゃたということです。

電話の受話器を電話機に戻す動作を今の生活ではあまりしなくなりました。家庭でも子機を使って、話が終わると「切」のボタンをプッシュ。携帯の場合も、ボタンを押すか、携帯を閉じるかの動作となりました。

どんなに丁寧な話し方の電話でも、「それでは失礼いたします」 プツン!

これではそれまでの丁寧さが台無しです。一呼吸置く、その間の大切さを小学生に話された昔の先生。その間を惜しむように、さっさと「次」のことをやろうとする私たち。「今の日本は・・・」ということばは使いたくありませんが、こんなところにも現代の生活のリズムが反映されているのでしょうね。

仕事場で以前よりも電話を多く使う今の私。忙しさの中で、文字通り「心を亡くす」のではなく、「残心」の余裕を持っていたいと思いました。

2009年9月18日金曜日

とりかぶと



兜(かぶと)の形に似た花が集まって咲く「いぶきとりかぶと」
虫が忙しそうに出たり入ったりしていました
お山が秋の気配となると咲き出す花

根にある猛毒は人を殺すほどの強さ
きれいなものにはご注意を・・・ということでしょうか

2009年9月17日木曜日

苦手意識

中学2年生2967人に「英語は得意ですか、苦手ですか」と質問したところ、6割以上が苦手意識を持っていたという調査結果を目にしました。苦手と感じる 生徒に、そう感じるようになった時期を聞いたところ、「中1の後半」が最も多く、中1の一年間に英語が苦手だと感じるようになった生徒の合計が66%にも なったとのこと。

中学に入って新しく英語を学び始める中学生が、一年生で苦手意識を持ってしまうのですから、彼らにとって、英語は学校で「仕方なく」勉強するものとなっていると想像できます。

今回の調査で、小学校で英語の授業を経験した生徒は91.4%にのぼっています。2011年度から小学校高学年で英語が必修化されますが、すでに英語を取り入れる小学校がほとんどだということです。

小学校の英語が「楽しかった」という生徒は70.7%。ですが「外国や英語に興味をもった」という回答は41.8%にとどまっているのです。

英語は広い世界に羽ばたくための「道具」であると思う私にとって、日本の中学生が英語のおもしろさを感じないままにただただ受験の手段として英語を勉強している姿を想像するのは、ちょっと悲しいこと。

「将来外国に留学したい」「将来英語を使う仕事をしたい」「英語を使って外国の人と話してみたい」「外国の人と友達になりたい」。これらの希望を持つ生徒がどれも20%以下である現実。

中学生諸君、英語の世界はでっかいよ。英語を使って一杯楽しんでくださいよ。君たちの未来は無限だよ!

2009年9月16日水曜日

待ってるの・・・

車が出て行った・・・おいてきぼりだった・・・


ぼくここでまってるの・・・

2009年9月15日火曜日

コントロール

Chuckのボール遊びをする時、庭のけやきが目の前に。遠くに投げようと思うのに、ボールがけやきに当たってしまうことが度々。小さい時からボール投げが好きで、「それなりに」ボールは投げられると思っていた私ですが、このところ実力が落ちているようです。

小さなキャッチャーミットを狙って、数々のボールを投げ分ける野球のピッチャーの能力は、素人が想像する範囲を超えていますね。高校野球でも、少年野球でも、そのコントロール能力は驚嘆すべきものだと思えます。

11 日、日本の無人宇宙船(HTV)の打ちあげが成功しました。国際宇宙ステーション(ISS)に徐々に近づき、秒速8キロ(時速にすると28.800キ ロ!)の猛スピードで並走(へいそう)するのだそうです。このHTVを宇宙ステーションのロボットアームがつかまえてドッキングするという計画。考えるだ けでも「すごい」ですよね。

しっかりねらいを定めてロボットアームを出さないといけません。ピンポイントで捕まえる位置が決まるのでしょうね。地上から全てをコントロールするのですから、何ともすごい技術です。宇宙で繰り広げられる、「コントロール」の妙技。18日のドッキング。さてさてお立ち会い!

2009年9月14日月曜日

やったぜイチロー!

やりましたね、イチロー選手。9年連続200安打のメジャー新記録。

今までもイチローのことをあれこれ追っかけていましたが、この大記録が「昔の大リーグの良さをアメリカの人たちに思い出させている」というコメントに強く引かれました。

大きなホームランをバンバン打つバッターがもてはやされるメジャーリーグで、コツコツとヒットを積み重ねるイチロー。大きいだけがいいんじゃないよ・・・それを知らせているのですね。

修験者(しゅげんじゃ)にも似たイチローの言動。これからどんな記録を達成し、どんなコメントを伝えてくれるのでしょうか。35歳、まだまだこれから、そう思わせる彼のすごさを再確認!

イチロー
イチローの壁

2009年9月13日日曜日

実りの秋




9月になってほとんどChuckと散歩しませんでした
わが家の周りのたんぼはもう収穫を待つだけ
実りの秋本番ですね


2009年9月12日土曜日

最初の連休

朝、久しぶりの雨のにおいがしました。仕事がスタートした9月1日以降、雨の朝はありませんでした。先週末は日曜日だけの休日でしたから、初めての連休となります。ちょっぴり濡れた庭へ出たChuckが足を拭かずに、リビングに飛び込んできています。

この10日、新しい仕事の手順を覚えることで精一杯の日々。木曜日の朝は、調子が悪くなった入居者の病院への搬送があり、臨機応変の対応の難しさを早々に体験しました。入居者のお薬の小袋を毎日の投薬箱に入れる時は、すごく緊張します。失敗は絶対に許されない作業です。

私 を「指導」してくださった男性は、とても緻密な性格の方です。ここ数年で急増した作業の手順を考え、やり方を克明に私に教えてくださいました。そして、 「この仕事は大変ですよ」「忙しくなるとトイレにもいけないこともありますよ」「今は私がいますからいいですが、これを一人でやらないといけないのです よ」と言い続けられました。

ヘルパーさんたちも、次から次に仕事に追われて、休む間もなくこなしていくこの職場。事務所は一人でカバーす る時間が長いですから、食事の時間の確保も大変なのは事実です。大変な忙しさなのは、初日から十分理解していた私です。その大変さを毎日ことばで伝えてい ただかなくても、わかるのですが・・・

07.7.23のブログ父の言葉に書いた “心配の「種」は蒔かないように。励ましの言葉は一杯振りまいて・・・”を思い出しました。

職場に温かいことばが飛び交うように、それが私の最大の目標です。

2009年9月11日金曜日

Nine Eleven

今年も9月11日を迎えました。あの年の9月11日を思い出す日です。秋晴れの日に

8年目を迎える今年、新聞のコラムには、あの同時多発テロで亡くなった24人の日本人犠牲者の家族のことがありました。

日本政府の被害者遺族への支援はほとんどなく、家族の渡米や、米政府との補償交渉の際、旅費や通訳は自前で用意しなければならなかったそうです。故人の勤務先の企業に世話をしてもらえた遺族があった一方、旅行中に巻き込まれた人の場合は、全く支援はなかったのです。

9・ 11遺族の方々は、自分たちの体験をもとに、海外でテロや犯罪にあった人への支援体制確立のために提案をまとめようとしています。国内の犯罪被害者に対し ては、04年に犯罪被害者等基本法が成立して、給付金が支給されているのですから、同様の支援がなされるべきだとの活動が始まったのです。

「これまでは息子の死を消化するのに精いっぱいだった。遺族が協力し、未来のための制度を残すことで、悲しみを乗り越えられたら」 あるご遺族のことばです。

世 界貿易センタービルだけでなく、この日、一連のテロで亡くなった人の数は2973人と言われています。一人の犠牲者の周りには家族・友人・知人、多くの人 の輪があったはずです。8年後の今年も数え切れない多くの人たちが「あの日」を思い出し、故人を偲(しの)んでいることだと思います。

2009年9月10日木曜日

トレーニング中


いつもは元気が余っているChuck
大暴れするくせに、階段はこわい
こんな高さなら何でもないはずなのに

さあ、あがってごらん!
目下トレーニング中

2009年9月9日水曜日

スワイショウ

私の朝の体操メニューはスワイショウ。両手を前後や左右に振るだけの動作。気功の中でも一番とっつきやすいものだと思います。

色々な説明があるようですが、私の場合は、単純に前後100回、左右100回を続けています。前後に手を振っている時には、できるだけ自然のままを心がけます。肩の張りが気になる時もありますが、無理なく、腕が揺れるのに任せます。

左右に振る時には、50回ぐらいまでは、手が下がった状態で行い、それからは、徐々に手を上げていきます。両手を組むこともあります。腕の高さによって、胴の回転位置が変わるのを感じながら、最後は両手を真上まで上げます。

その日によって微妙に体が違っていますが、スワイショウ200回が終わると、「さて、出発!」となるのです。

本来は、回数を数えることなく、ただただ揺れるのがスワイショウです。「40分ぐらい続けると効果的である」という文章がありましたが、他の説明にあった「回数・時間は適時」、つまり適当に・・・がいいと思います。自分の体が喜べばそれでいいのです。

先日読んだ「魂が癒されるとき」という本の中に、このスワイショウに関してのすてきな文章がありました。長いですが引用します。

「両 手をただぶらぶらと前後に振る前後のスワイショウの場合、ただ立って、同じ動作をずっと繰り返していくだけです。この運動は目に見えるもので、粗大な身体 の運動です。それが繰り返しひとつの動きを継続する中で、次第に肩周辺の微少循環が改善され、温かくなめらかな感じがしてきます。

そうす ると微細な身体の連鎖反応が起こって、心臓と脳の血液循環がよくなったり、肺経の通りがよくなることから大腸が刺激されておなかが鳴ったりということが生 じます。脳が外部にエネルギーを向けずに中心につなぎとめておくことができれば、この動きはさらにきわめて微細な身体の動きを引き起こし、気の秩序化が進 行します。その結果、深いところからの癒しの力が生じてきます。それはもう肺とか心臓とかいうことではなく、心身まるごとの調和の深まりというべきもので す。



ちょっと疲れたな・・・と思う時、スワイショウを思い出してやってみてください。

2009年9月8日火曜日

小さい秋みっけ

私の職場は京都比叡山のふもと、八瀬
毎日森林浴をしている環境
紅葉の季節は観光客で一杯に

緑の中に赤い葉っぱをつけた枝一つ
小さい秋みっけ


比叡山へのケーブルカー乗り場

2009年9月7日月曜日

議員さん

私がシカゴの生活から京都に戻って、初めて京都国際会議場で通訳の仕事をさせてもらったのは、1987年の第一回世界歴史都市会議でした。たくさんの通訳仲間との出会いがあった、思い出深い会議です。そして、もう一つの鮮烈な記憶は・・・

日本の国会議員の方々のことです。会議の受付をしていると、秘書の方がまずいらして、その後に、文字通り「そっくりかえった」、つまり相当威張った感じの議員さんがいらしたのです。お名前は忘れたことにします。その方の、周りをバカにしたような、その態度に笑顔の下で猛烈に腹を立てたものでした。

次に受付にいらした方は、風呂敷包みから書類を出して、登録なさいました。お名前を見て、あとからチェックしたら、その方も「議員さん」でした。こんなに差があるの・・・というのが日本をしばらく離れていた「浦島太郎子」状態だった私の感想でした。

今日の朝日新聞夕刊の小さなコラム「素粒子」が目に止まりました。

国会議事堂の中にある書店の店主の話だそうです。

自民党の議員は、自分は偉いんだって勘違いしたのが多すぎる、と後ろ手におなかを突き出すジェスチャー。(私が見た議員さんと同じ!)買う本を通じて教養を把握しているだけに、敗因分析もなかなか手厳しい。

民主党の若手新人に対しては・・・これから勉強しますって言うやつが多いけれど、選挙前に勉強してから来いって。こんな厳しい世の中なんだから。

鋭いコメントですね。

さてさて、新人民主党議員さん、そっくり返ることだけはしないでくださいね。


PS: 今日二つ目のブログをアップすることにしました。出勤前のドタバタ時間でのアップはちょっと難しそうなので・・・

リビングコンサート

休日の夕方、NHKハイビジョンでリビングコンサートを楽しみました。
小澤征爾(おざわせいじ)指揮のサイトウ・キネン・オーケストラ の生演奏でした。
曲目はブラームス交響曲第二番




クレシェンドで最高潮に達した第四楽章。

会場のブラボーの声を聞きながら、小澤氏は次々に団員と握手をしました。
ほぼ全員と握手が終わったあとに、みんな揃って立ち上がって会場に挨拶です。



10分以上鳴りやまない拍手・・・でもアンコールはなし。
和(なご)やかな雰囲気の団員が3度舞台に登場して挨拶。

素晴らしい演奏を団員みんなが満足している表情がすてきでした。

あちこちにピアノのイスがあるのがおもしろいですね。
写真はテレビ画面より。

2009年9月6日日曜日

初めての休日

無事最初の5日間の勤務が終わりました。静かな「初めての休日」です。ラジオからはモーツアルトのピアノソナタが流れています。小さい頃、お稽古で弾いたものばかり。朝のChuckのボール投げも終了。Chuckは一人で庭を散策中。

新しい職場で、完全にゼロからのスタートでした。9月1日が初日。前半の3日は私の入社で退職なさる男性、後半の2日はこれからもご一緒に仕事をする男性、それぞれからの「特訓」を受けました。

入居者一人一人のニーズが全く違うのですから、複雑なパズルを毎日やっているような仕事内容です。外出や外泊で日々食事の数が変更になったりします。外部からの電話もチンプンカンプンのものばかり。「新人」はただただ戸惑うばかり・・・

入居者の名前、ヘルパーさんの名前がすっと口から出るようになったのは、やっと昨日の土曜日のことです。まだまだ先は長い・・・実感です。

朝8時15分、前日からの当直の人から引き継ぎを受けてから、夕方の5時(人によっては7時)に当日の当直の人が来るまで、お昼の休憩も食事時間のみ。オフィス担当の私だけでなく、ヘルパーさんたちも、晩の配膳前に少しお茶とおしゃべりの時間が取れるぐらいで、一日中、目まぐるしく動き回っています。

介護の現場はどこも少ない人手で目一杯働いているのが現状です。「一人が倒れたら回っていかない」。そんなことばも現実味を帯びています。その中で、チームとして、お互いに助け合いながらがんばっているヘルパーさんたち。まだたった5日だけですが、その働きぶりには頭が下がります。

隣の病院にいる母とは、昼の食事の行き帰りに顔を見るぐらい。通りすがりに声をかけると「なんでここにいるの?」との返事。たくさんの人に囲まれた生活再開一ヶ月。随分ことばが多くなったようです。いつものように食欲旺盛。淡々と生活しています。

2009年9月5日土曜日

ぼーる遊び #2

ボールにこんなに近づいているのに、気がつかないChuck
本当に見えていないの????

高速Chuck、速いですよ!

動き回ったのでちょっともよおしてしまいました
   失礼・・・・

吠えることもなく「淡々と」ボールを追いかけるChuck
私の出勤前に最適な、朝の運動

2009年9月4日金曜日

金大中氏

韓国の政治家として波乱の生涯を閉じた金大中(キムデジュン)氏。在日韓国人で現在東京大学教授の姜尚中(カン・サンジュン)氏の追悼の文章を読みました。

日本語を話す世代の一人として、自分たちが生きている時代に日本との和解を進めることが大切だと言った金大中氏。北朝鮮に向けた「太陽政策」は、日本に対しても向けられていたのです。

投獄・軟禁・国外追放・・・不遇と困難を経験しつくした金大中氏は、「歴史と勝負する」こと、つまり「目の前の利益ではなく、自らが歴史にどう評価されるのか」、それを政治家としての決断の基準に置いて人だったのです。

単 に自国のことだけや北朝鮮との関係を考えるのではなく、東アジア共同体の必要性を説き、安定した平和なアジアを目指していました。真の民主主義を目標とし た金大中氏の死亡を継起(けいき)に、北朝鮮側からのアプローチが出てきたのも、今までの彼の種まきの成果なのでしょう。

不屈の精神の政 治家であるだけでなく、金大中氏は敬虔(けいけん)なクリスチャンであり、愛妻家としても知られていました。「私は生涯を通じて異性を本当に愛したことが ない人には魅力を感じない」というこのことば。「愛」のすばらしさを知り、大きく広がる「愛」の持つ力をこころから信じていた政治家だったのでは、と思い ます。

国葬では金大中氏の「政敵」であった全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領がVIP席に座り、金大中氏の死を悼(いた)んだ姿があったそうです。

波瀾万丈(はらんばんじょう)の生涯を終えたこの一人の政治家のことをもっと知りたいと思うようになった私です。

2009年9月3日木曜日

二日目終了

9月1日から新しい職場へ。今まで「新しい場面」を年齢相応に(それ以上に)あれこれ経験してきたはずの私。でも今回の初日の疲れ方は尋常(じんじょう)ではありませんでした。

6時前に帰宅して、おなかはぺこぺこだったのですが、食事の用意をすぐする気持ちになれず。買い置きの小さなおまんじゅうを一気に3つ食べていた私です。極度の疲労(肉体的+精神的)を感じると、これほど甘いものが欲しくなるとは思いませんでした。

台 所を片づけるともうトロトロ・・・お風呂には入りましたが、朦朧(もうろう)としてベッドに倒れ込みました。でも・・・11時すぎに目が開いてから、どうして も眠れず。本を読んだり、ラジオのスイッチを入れたり・・・ちょっと歩いてみたり、お香を焚(た)いたり。でもダメでした。

寝不足での二日目。でもこの職場は「夜勤明け」の人との引き継ぎから朝の仕事が始まるのですから、眠いなんてことは言えません。

そして不思議にも、眠気をそれほど感じないままに二日目が終了。自分自身でも信じられないこと。

仕事の慣れは「3日3月3年」とアドバイスしてくれた友人がいます。3日目が終わると、もっと楽になるのでしょうか。今日の夕方が楽しみです。

最初の「就職報告」でした。

2009年9月2日水曜日

夕焼け






夕焼けが大好きな私
階段の壁にも夕焼けの写真をペタペタ

どこにいても夕焼けが気になるのです

なぜでしょうか・・・

一日が終わって、ほっとする、そんな気分なのでしょうか
明日もいい日であれば・・・そう思うからでしょうか
日の出はなかなか見られないから、夕焼けが好きなのでしょうか

「ほぼ日」でも夕焼けシリーズ発見
ほぼ日刊イトイ新聞 - 日本縦断、夕焼けマップ!

2009年9月1日火曜日

ブログの効用

去年の4月、本当に何気なく初めた「けやき便り」。「外」とのつながりが少なく在宅で母を介護した日々、ブログのネタを探しは私自身の世間を見る目を養っ てくれたように思います。短い文章の中に考えをまとめる作業は、いい頭の訓練となりました。そして何よりも、「読んでいるよ」と言って下さる方々との「つ ながる」感覚が私の大きな支えでした。

日本のブロガーの数は、今年の1月末で2695万人だそうです。海外ではブログの広告クリックで生計を立てる人もいます。「仕事」としてブログを書く人もいます。自分の趣味を発信しているうちに、その道のプロになった人もいます。

新 聞で見つけたあるブロガーは74歳の女性。ご主人が亡くなったあと、一人の生活を心配するこども達に、4年前からほぼ毎日夕食の写真とその日にあったこと などを掲載したページを届けているとか。いつでもどこからでも「お母さん」の様子がわかるので、こども達への安心感のプレゼントとなるブログ。アメリカに 住む次男から「日本食をうらやむ書き込み」があったり、ブログを見てくれた人との交流が始まっているとのこと。

そして何よりの効用はご自身の健康管理につながっていることだそうです。毎日、何を食べようか考え、それを写真に撮り、文章を書く。一人暮らしでも、「読者」とのおしゃべりができるのです。

何百人、何千人、何万人・・・の読者はいらないけれど、ブログを通してこころが通いあっているって、すてきなことですね。

今日から生活が「激変」する私です。これからも自然体で、おしゃべりを続けていきたいと思います。今後もよろしくお願いいたします!


PS: 下書きをしておいた今日の原稿ですが、さすがに初出勤の朝はアップする余裕はありませんでした。「無事」初日が終わって帰宅。Chuckもケージの中でおとなしかったようです。