2009年9月21日月曜日

曖昧模糊

曖昧模糊(あいまいもこ):物事の内容・意味がはっきりせず、ぼんやりしているさま

コンピューターの漢字転換機能があるから使える漢字です。手書きでは挫折してしまうはず。

日本語は物事をはっきりしないまま表現するのが得意な言語。「何となく」意味を表していて、そのことばを使う人も聞く人、読む人もそれぞれに、「こんなもん かな」と理解していることが多いような気がするのです。政治用語やお役所言葉がその典型かもしれません。国会答弁を聞くと、「一体何が言いたいの?」とい うことばの羅列(られつ)であることもしばしば。

一方、あることをことばで表現すると、そのことばのイメージが現実と違ってくることも多く見かけられるように思います。

私たち一家がシカゴから京都に戻ることが決まった頃、1980年代後半です。その当時、「帰国子女問題」ということばが新聞によく使われていました。シカゴでも朝日新聞を読んでいた私たちでした。息子が「ぼくたち、問題なのかな・・・」と言ったことばが忘れられません。

数ヶ月後に日本に戻る。生まれ育った場所ではあるけれど、「帰国子女」として中学校に通うことになる息子は、自分が何の「問題」なのか、それがわからず随分心配していました。

海外から戻る子ども達自身に「問題」はありません。もちろん個々の事情はあれこれありますが、帰国子女そのものが問題なのではなく、彼らを「問題扱い」「問題視」する社会が「問題」なのです。

娘の編入先の小学校に転校のごあいさつに行ったとき、教頭先生がおっしゃった、「日本語しゃべれますか?」ということばが今も耳を離れません。「ややこしい 存在」なのでは・・・という先生の危惧(きぐ)が、表情やことばのトーンにありありと出ていたからです。もちろん「完璧な日本語を話します」と強調した私 です。

「中国残留孤児」しかり。本人達が希望して中国に残留したのではありません。「残された人たち」です。自分の意志が表現できるない 幼いこどもたちが、何もわからないまま取り残された、そのこどもたちを育ててくれた中国人がいた。その現実が「中国残留孤児」ということばで、ぼやけてし まうような気がします。

新しい内閣にできた「国家戦略局」という古めかしい表現に違和感を覚えるという、歌人の道浦母都子(みちうらもとこ)さんの意見を読みました。このネーミングが妙な方向に日本を引っ張っていかないようにと願います。

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