2009年9月26日土曜日

集中審理

裁判員制度による裁判が日本各地で行われています。ワイドショー?で初めて裁判員裁判のことを書いたのが8月5日。今後もこの裁判の数はどんどん増えてくることでしょう。

新しい試みの裁判員制度は、裁判員の拘束時間を少なくするために、短期集中での審理となります。裁(さば)く側、つまり市民の参加しやすさを考えた進行となるのです。それが被告側の不利益になっていないだろうか、というコメントを読みました。

おそらく裁判員以上に緊張する被告席で、午前、午後と審理が続く。集中力を途切れさせることなく、被告人は質問に答えなくてはならない。自身の思いを的確にことばにできるのだろうか。連日の法廷で、弁護人と十分に打ち合わせる時間は確保されているのだろうか。

被 告人とは「推定無罪」の原則が適用される。つまり「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」ということ。被告がきちんと裁判を受けられるように配 慮されなければ、今問題となっている冤罪(えんざい:無実であるのに犯罪者として扱われてしまうこと)が、今後も起こりうるという危惧(きぐ)の念を抱き ます。

裁判員を経験した人がインタビューを受けて、「いい体験をした」「社会勉強になった」と答えるのを聞いたことがあります。人が人を 裁く、つまりある人の人生を決定してしまうことに対して、それが裁判員の「体験」であったり「勉強」であっていいものか。そのことばに何か「ざらっとし た」感覚を持った私です。

0 件のコメント: