英語とおつき合いの長い私。英語を通して自分自身の世界が広がっていくのを実感する私。でも私にとって母語は日本語、英語は外国語。
「英語のできない日本人」という表現。ほとんどの場合、これは「しゃべれない」意味での「できない」だから、幼い時から英語を教えなきゃ、という意見が強くなる。2011年度から小学校でも英語が義務化され、日本のこどもたちが英語に触れる時間は増えるはず。
「英語支配」というのは筑波大学教授の津田幸男さんのことば。英語が世界語として他を完全に引き離している現在、英語力の優劣によってコミュニケーション能力を含めて、人々の間に格差が生まれ、差別と不平等を生じている、という意味合い。
日本企業も英語を公用語にする動きが出てきて、楽天とユニクロのその決定は大きな話題となったけれど、津田教授は、この二つの企業のトップに「再考」をお願 いする手紙を書いたとか。1.英語支配の構造が進む 2.言語による社内格差が起こる 3.日本人が自国で自分の言語を使えなくなる。この3つが手紙の趣旨(しゅし)。
英語が判断基準になってしまうと、英語は苦手だけれど「仕事」はできる、そんな人材を生かせなくなるはず。「英語をもっと しっかり勉強すればいい」と単純に批判する人はいるだろうが、言語を自分のものにするには、時間のかかる大仕事。「ことば」に対して苦手だからこそ、「英語はちょっと・・・」となっているだろう人が、本人が努力さえすれば、英語でバリバリ仕事ができるようになる、とは思えない。
津田教授の 「日本語第一、英語は二の次でいいんです」というコメントに、「その通り!」と大声で同意したくなる私。ヨーロッパのような多言語環境や両親が別々のこと ばで話しかける環境などをのぞけば、一つの言語能力がしっかりする前に外国語を中途半端に教える必要は全くなし。
母語をまず第一に、と思ってアメリカで子育てをした私。アメリカに根を下ろして生活しているわが家の息子と娘の「バイリンガル能力」を見ても、この考え方は間違っていなかったと思う私。
英語って使えるとすてきよ、でもそれだけが人生じゃないもんね。英語を教える私の本音。
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