普段何気なく声を出している私たち。もし突然声がでなくなったら・・・それがプロの声楽家だったら・・・
ガンで声を失った韓国人テノール歌手ベー・チェチョルさんを手術した、一色信彦(いっしきのぶひこ)医師。79歳の現在でも日に2,30人を診察し、毎日のように声帯障害を抱える患者の手術を行っている先生。
一色先生のことを京都新聞で読んだのは、今年の5月上旬。そしてべーさんの記事が10月3日に朝日新聞に掲載されました。お二人の記事を読んで、見事な声の再生ドラマをみた私です。
日常生活で普通の声出すことまでは何の問題もなく治すことができるとおっしゃる一色先生ですが、音の強弱、高低を微妙にコントロールする歌手の音声には、さまざまな筋肉の複雑な動きが必要なので、完全な回復は難しいと思っていらっしゃったそうです。
昨年末に、べーさんが日本で開いたリサイタルを聴いて、一番驚かれたのは一色先生だったのかもしれません。「想像を超えた回復」だったそうです。
4 年前、甲状腺がんの手術で、声帯や横隔膜を支配する神経を切断したべーさんは、歌はおろか話し声さえ出せなくなっていたのです。クリスチャンのべーさん は、ひたすら神に祈ったとありました。そしてこころに平安が戻り、歌こそが神から与えられた才能だという思いは揺(ゆ)るがず、懸命に治療法を探し、一色 先生を紹介され、06年4月に京都で手術を受けたのです。
じれったいほどゆっくりした回復時期にもべーさんは祈り続けています。07年7月、ドイツ韓国人教会で、手術後初めて人前で歌った時、賛美歌の途中で声が出なくなったべーさん。そんなべーさんをかばうように会衆が声を合わせて一緒に歌い始めたのだそうです。
その後韓国に戻って母校で声楽を教えるようになったべーさん。手本を示すまでには回復していないかった彼は、全てをことばで説明したといいます。そうするうちに、不思議にも横隔膜が動き出すのです。学生と一緒にべーさんの体も声楽の基礎を学んだように。
現在の「新しい声」を大切にするべーさん。「人々とつながり合い、支え合うために歌う」と思えるようになったと言います。「人生は以前より美しい」「声は失った。でも、得たものの方がずっと多かった」
この秋に、日本で自伝「奇跡の歌」が出版されるそうです。その冒頭のことばは聖書からの引用です。
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
(詩篇(しへん)11篇71節)
「手術をしたのはボクだけど、あそこまで回復したのは圧倒的に彼の努力のたまものです。科学と芸術のデュエットを考えると、医学の力はまだ、芸術に遠く及ばないと痛感しました」一色先生のこのことばは、人間の持つ可能性のすばらしさを改めて教えてくださっているようです。
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日付は少し古いようですが、こんなページを見つけました。がんばれ、ベー・チェチョル
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