去年の2月末、珍しく東京で通訳をしていた時です。ドイツからの客人を連れて、自由時間に皇居の周りを散歩していました。近くのビルの壁面に大きな垂れ幕がありました。「2016年、オリンピック・パラリンピックを東京へ」という文字を見て、「そうか、東京が立候補しているのね」。他人事のような感想を持った私でした。
2016年のオリンピック・パラリンピックはリオデジャネイロに決定しましたね。昨日の最後のプレゼンテーションで、日本は英語が堪能な15歳の女子体操選手を「隠し球」(かくしだま)として起用。物怖(ものお)じしないスピーチぶりは見事でした。でも・・・
6月21日のブログに書いた東京オリンピック招聘(しょうへい)時の平沢和重氏の短いスピーチのようなインパクトはIOC委員には与えられなかったのか、リオが強すぎたのか、敗因はあれこれあるでしょう。
南アメリカで最初のオリンピック・パラリンピック開催を希望したブラジル国民の熱意はきっと日本人が1964年の東京大会を熱望したものと同じだったのでしょうね。
パラリンピックの車いすフェンシング競技に関して、アメリカ在住のブラジル人の女性が世界大会に出ていたことはありましたが、国内で盛んな競技ではないと思います。でも1964年の東京パラリンピックでも、ちゃんと日本人選手が車いすフェンシング競技に参加したのと同じように、選手を育成してくることと思います。オリンピック・パラリンピック全体だけでなく、各競技をしっかり運営していくための準備は気の遠くなるほどの作業が待っています。
アテネパラリンピックに参加した私が、全て終わった時に感じた「達成感」。きっと2016年のブラジル大会に参加する世界各国の選手・役員、そしてもちろん運営に関わる全ての人が同じ達成感を持って大会が終わるはずです。困難は一杯あるでしょうが、あるからこそ、その時が素晴らしくなるのだと思います。
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