1995年の阪神大震災の数週間後から、仲間と一緒に「足湯ボランティア」で神戸に通いました。寒い時期の避難所で身体を固くしていた被災者の方々の足をゆっくり温めてマッサージしました。お湯の温かさにホッとなさった方々の重い口が少しずつ開いていきました。
何回目かの時でした。若い仲間が年配の女性の足をマッサージしながら、「がんばってくださいね」と声をかけた時、その方からの返事を聞いて戸惑ったと話してくれました。
「今までも一生懸命がんばってきましたんや。これからもがんばれって言わはるんですか?」
その後神戸のあちこちに「がんばろう神戸」という文字が掲げられました。みんなで一緒に「がんばろう」と言うのです。他から「がんばれ」と声をかけられるのではなく・・・
頑張るとは「が=我」を張ることという説明に出会いました。努力するという意味の中に自分の「我」を押し出すようなニュアンスがあるのかもしれません。
京都の花街(かがい)には「気張りとぅおす」という表現があります。「頑張りたい」と言うのとはちょっとニュアンスが違います。気を張り、周囲との関係性に 配慮しつつ努力しますという意志と、そのほうが、より効率よく自分の力を伸ばせるという気持ちも込められているとのこと。
「もっと、気張 らせてもらいとぅおす。どうぞ、よろしゅうおたのもうします」 お座敷で舞妓さんたちが言う時、それを聞く人たちは自然に「お気ばりや」と声をかけるので す。若い舞妓さんの心意気と、それを支えようとする人の柔らかな励まし。京ことばの持つ独特の雰囲気が醸(かも)し出す、温かい人と人とのつながりがそこ にあるのです。
私も仕事場で、一人で「頑張る」のではなく、「気張ろう」と思います。仲間に助けてもらいながら・・・
PS:京都のことば、ぜひ柔らかく「読んで」くださいね。
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