2009年10月31日土曜日

平均年齢76歳


平均年齢76歳の写真展です
友人の写真家・小松真一氏が指導するサークル
すてきな作品が並びます

今年のテーマは「組み写真」
数枚の写真の組み合わせでフレームの中に新しい世界が生まれます

「いい写真を撮るために元気でいなきゃ!」

来年の10周年を目指して、みなさん元気いっぱいです

2009年10月30日金曜日

ゆらゆらと・・・

またぼんやりした写真をアップ
これも好きなんです・・・
池の水面(みなも)に写った木々がゆれてます
青空もちょっぴりのぞいているでしょ

角度を変えた写真も一緒にどうぞ・・・
クリックしてみてくださいね


2009年10月29日木曜日

読書週間

シカゴ時代、「出かけるよ!」と声をかけると、ぬいぐるみと一緒に、本を必ず持って車に乗り込んでいたわが家のこどもたち。家にいてゆっくり読めばいいものを、どこにいても何となく本があると安心していたようです。

小さい時から本が大好きだったわが家の二人は、アメリカで進学した大学では二人ともEnglish Majorでした。「日本人が英語を専攻ですか」という感じでしたが、理科系は母親に似て苦手だった二人にとって、とても自然な選択だったようです。

活字離れが言われるようになって久しいのですが、最近は本好きな中高生が増えてきたという調査結果がありました。学校で読書の時間を設けるといった取り組みが功を奏しているようだ、との報告でした。

何 も考えなくても、映像と音声で情報が届くテレビに比べ、文字を読むことは確かにめんどうです。でもめんどうだからこそ、そこには「おもしろみ」が隠されて います。若い時期に本に親しんだ子ども達の将来が楽しみです。きっと新しい時代にふさわしい人材となっていくはずです。

10月下旬のこの時期は読書週間。小さい時から「読書習慣」をつけることは、そのこどもにとっての貴重な財産作り。最初は日本語で本を読んでいたわが家の二人が英語を通してより大きな世界に飛び出して行ったように。

2009年10月28日水曜日

今年のコスモス #2

植物園の黄花コスモス

コスモスならピンクやローズ色が好き
でもこの色は私の大好きな色
だから黄花コスモスも好きになりました

2009年10月27日火曜日

水族館

水族館お好きですか?

日本人は世界で一番水族館が好きなのかもしれない・・・とありました。日本にある水族館の数は100を超えるのだそうです。アメリカとほぼ同じ数。人口当たりなら世界一!

観客が「おいしそうな魚ね」つぶやくのも日本の水族館の特徴だそうです。大きな水槽の前で、あれがおいしそう・・・と言うのでしょうかね。

現在、世界各地に巨大水槽が作れるのは、日本の強化ガラスの技術ならでは、ということを聞いたこともあります。海に囲まれた日本。食卓にも豊富な魚がのぼる日本。水族館でも塩焼きやおさしみを連想しながら魚を楽しむのが日本人のようですね。

2009年10月26日月曜日

マスキー法

温室効果ガス25%削減を国連総会で発言した鳩山総理大臣。日本の産業界では、ああでもない、こうでもない・・・と25%が無理な数字である理由をあげているようです。

「とんでもない」と思える高い目標がある場合、「そりゃ無理だ」と思うか、「どうにかやってみようか」と思うか、そこが大きな分かれ目なのです。

アメリカで自動車の排気ガス規制の法案マスキー法 - Wikipediaが提出されたのは、1970年。不可能と言われたこの規制をクリアしたのが日本のホンダのCVCCエンジン。この成功でホンダは「世界のホンダ」への道を開いたのです。

排気ガスパイプをそのまま口にくわえても大丈夫なほどの基準だと言われたマスキー法は「あまりにも厳しい法案」として結局は廃案になったそうです。でもその後の技術の進歩によってこの法案の規制内容が1995年にはクリアされたとあります。不可能が可能になったのです。

産業構造が変わる必要があると言われる温室効果ガス25%削減目標。日本の産業界の建て直しができるのでしょうか。それとも「無理だよ・・・」と言いながらできない理由を探すだけなのでしょうか。

日本の産業界にとっての正念場。さて、どっちに行く???

こんなブログもありました。

温室効果ガス25%削減とマスキー法

2009年10月25日日曜日

デジタルズーム


チビのデジカメを使い始めてもう3年以上
デジタルマクロは使っていたのに
デジタルズームは知りませんでした。

遠くのすいれんをズームしました
画像は荒れていますが
何となく好きなんです、このすいれん

2009年10月24日土曜日

負けましたね・・・

珍しく今日は夕方衛星放送の野球中継を見ていました。楽天、ついに負けましたね。

今年の4月12日一勝の重みにも書きましたが、5年前には決して想像できなかった楽天の今シーズンの活躍となりました。

近 鉄とオリックスが合併して、同時に行われた「分配ドラフト」。オリックスと近鉄の選手は、合併後のオリックスと楽天に振り分けられたのですが、オリックス が25人を優先的に確保して、楽天は「余り物」を集めて生まれたと言われています。他球団を戦力外になった選手も含めてスタートした球団の2005年の最 初の年は38勝97敗1分(勝率.281)の大差の最下位。

それが今シーズンはシリーズ2位にまで躍進したのです。何となく最初から気になっていたチームの活躍に、横目でプロ野球を眺めていた私も今シーズンは「それなりに」楽しみました。

試 合後、日本ハムの勝利インタビューのあと、楽天のチームがスタンドのファンに挨拶をし、何と、野村監督が胴上げされました。負けたチームの監督の胴上げで す。70歳を越した野村監督が今年の楽天の躍進を生みだし、そしてこの試合が野村監督の最後になるのを、スタンドの全ての人が知っていたのです。

勝負の世界は必ず勝ち負けがありますが、それだけでないドラマがあるのですね。勝負そのものよりも、いつもその「ドラマ」が気になる私です。

2009年10月23日金曜日

暗闇に・・・


左右の写真、違いがわかりますか?
右の写真クリックして大きくしてみてください
暗闇にChuckの目が二つ


夜Chuckと一緒に外出から戻った時
いつものように庭からリビングに入ろうとしたChuck
ドアを開けた時にちゃんと入ったと思った私

しばらくしてChuckを呼んでみました
リビングのどこにも見あたりません

30分以上もベランダにじっとしていたChuck
吠えることもせず

何でボクはここにいるのだろう・・・
そう思っていたことでしょうね
ごめん、Chuck!



2009年10月22日木曜日

アパラチアントレイル

新・アパラチアン・トレイルの旅 -をまずご覧ください。

このアパラチアントレイル、全長3500キロを歩くのです。半年以上かけて。

そ れを娘のボーイフレンドがつい先週達成しました。最後の13マイルは山登りだったそうですが、メイン州はもう真冬の寒さとなり登山禁止。それだけが残った ようです。でも13マイルといえば、たった21キロ。3500キロの中の21キロです。全てを歩ききったのと同じ快挙です。

2年前京都に来たとき、彼はこの計画を私に話してくれました。「このトレイルは、若い時か、リタイヤした後でないと歩けないと思う。ボクはリタイヤするまでは待つつもりはないよ」って。そして今年の春に仕事を辞めて歩き始めたのです。

380 枚もの写真が入ったウェブアルバムが届きました。スタートした直後の雪景色。延々と続く山並み。道連れとなった人たちの笑顔。真夏の風景が少しずつ秋めい て、すっかり葉っぱの色が変わっています。そして、最後の写真は最終地点のMt. Katahdin。そこで出会ったトレイルを走破した仲間との大騒ぎの風景でした。

娘も彼女のブログにこの「冒険」について書いています。

散歩*Walk
ガイドブック*Trail Guide

このアパラチアントレイルの詳細は上記のブログに詳しいので、どうぞじっくり読んでみてください。「バックナンバー」というところをクリックすると、次々に文章が出てきます。このトレイルの「長さ」を感じていただければ、と思います。

2009年10月21日水曜日

秋の装い








職場の植え込みで見つけたはっぱ
ちょっとモダンな秋の装いです

2009年10月20日火曜日

パワーポイント

もともと企業などが企画提案や広告宣伝のプレゼンテーション用として使われていたコンピューターソフトのパワーポイント。最近では会議・講義・講演会などでは、使われない場面が少ないように思います。

コンピューターが苦手な人にはちょっと手強(てごわ)いことでしょうが、慣れてくると、初心者でも「それなりに」使えるのがこのソフト。グラフや表、画像を組み込んだ画面を示しながらの説明は、確かにわかりやすいもの。

ですが、暗くなった場内で、スポットライトを浴びる話し手を見る人はほとんどなく、観客(聞き手)はただスクリーンを見つめるだけ。話し手の独特の雰囲気などを味わうことも少ないように思います。

そ れと・・・このパワーポイント、作成に凝(こ)り出すと、きりがないのも事実。画面転換も上下・左右どんな方向からも「めくる」ことが可能ですし、それに 音をつけることもできます。色で華やかな画面にしたりなどその他にも「やり出したら止まらない」状況になることがしばしば。

伝える内容の吟味がおろそかになって、せっかくのパワーポイントの効果もそれほど・・・という状況にも陥(おちい)りがち。

人に語りかけるとき、素朴な「第一感」を話せと言われる。雄弁ではなくてもかまわない。自らの考えや思いを自らのことばで話すことだ。パワーポイントからは「第一感」は生まれない。

この新聞のコラムの文章に賛同します。

大学などの教育現場でのパワーポイントでの授業が学生や生徒に強烈な印象を与えることができるのでしょうか?教育者の生の声がしっかり伝わること。単に知識を与えるだけでなく、プラスアルファが伝わってほしいと思います。

2009年10月19日月曜日

グレーになった?

 Chuckの後ろ姿 何となく色が薄くなったような気がするのです



       しっぽのあたりはこの通り     

グレーのプードルに長年あこがれている私

もっともっと色が薄くなって本当のグレーになったら
もっともっと散歩に行こうね、Chuck!  
私は赤いセーターを着るからね!   

2009年10月18日日曜日

戦う人

10月12日のタイムアジア版の表紙には、アフガニスタンで負傷した兵士の写真がありました。担架(たんか)に乗せられ、口には短いたばこ。目は閉じています。どこを負傷したのか、それはこの写真からわかりませんでした。

極度に精神の緊張を強いられる戦いの場。いつどこで襲われるか、それを感じながら過ごす日々。この写真の兵士の表情はなぜか、とても穏やかに見えました。自分の負傷と引き替えに、安心できる場所に運ばれる・・・そんな気持ちなのでしょうか。

ア メリカ国内の飛行場では、よく入隊する若者たちを見かけます。真新しい制服が何か不似合いな、そんな若者たちです。徴兵制度がなくなったアメリカで、現 在、軍隊に参加する若者はほとんどが低所得層の出身です。兵役(へいえき)を終えたあとの身分保障は彼らにとっての将来の希望となるのです。

ですが、彼らが赴任(ふにん)する場所はどこも正常な精神力では耐えられないような場所ばかりです。「異常」であることを求められる場所であると言えます。今までの平穏な生活とは全く違う世界に訓練を受けた彼らは飛び込むのです。

タイムの表紙の負傷兵士の腕に「気違い」という日本語のいれずみがありました。本当の意味がわかってこのことばを彫ってもらったのでしょうか。そうせずにはいられなかったのかもしれません。

ノーベル平和賞を受けたオバマ大統領の国の若者です。今、現在、この地球の上でこのような苛酷(かこく)な状況で戦う人たちがいる。日々安穏(あんのん)な日本での生活では想像するのが難しいこと。でも目をそむけてはいけないのです。

2009年10月17日土曜日

金木犀の二度咲き


ラジオで「今年は金木犀が二度咲きました」という投書(投稿)が読まれていました。二度も咲くの???と思っていたのですが、今年は本当に二度咲いています。わが家のお隣の金木犀も!

今年最初に金木犀の香りに気がついたのは9月の中旬でした。職場の近くの金木犀の小さな花が地面に一杯散っていたのは9月の下旬でした。

もちろんわが家の庭にもお隣から金木犀の香りが漂っていたのです。

10月15日、仕事から帰ったら、またむせかえるような金木犀の香りがしていたのです。16日、庭に出て確かめたら、お隣の金木犀、満開でした。

こんな短期間に二度も咲くのでしょうか?そういえば、今年の「最初」の香りはあまり続かなかったような気がするのです。途中で「ちょっと待てよ、もう少し後にしようかな」って、金木犀が心変わりしたのでしょうか?

ネットで「金木犀 二度咲き」と検索すると、あちこちのブログに「今年は二度咲いた」とありました。本当にあるのですね。新発見でした。

2009年10月16日金曜日

MIHO MUSEUM

滋賀県信楽(しがらき)にあるMIHO MUSEUM
金曜日の休日となった今日、青空につられて出かけました

深い山の中、トンネルの先にあるこの美術館
お山の空気を一杯吸いながら歩きました



中国系アメリカ人の有名な建築家 IMペイ氏の設計
秋の光にあふれていました




近畿でも寒いことで知られる信楽
今年最初の紅葉に遭遇

PS: ペイ氏が「スペイン人」だと信じ切っていた私です。友人の指摘でちゃんと調べると、中国系アメリカ人。どこで思いこんだのでしょうか。しっかり調べてアップしないと!反省・・・

2009年10月15日木曜日

100年カレンダー #2

去年の5月28日にアップしたブログ100年カレンダー。私の手元にその100年カレンダーがあります。今日、老人ホームの入居者から頂いたのです。A4の紙に100年分のカレンダーが入っているのです。

今朝、オフィスの前でこの入居者の方とおしゃべりしていました。その方の趣味を尋ねていたとき、100年カレンダーのことが話題になったのです。「手元にありますよ」とおっしゃるそのことばに私は????100年分のカレンダーなら、壁一面の大きさになるような気がしていたのです。

ですが・・・

カレンダーは繰り返しが続くのですね。閏年(うるうどし)は別ですが、2001年と2007年は全く同じカレンダーが使えるのです。(知らなかった・・・・)

それをきちんと整理して、2001年から2101年までのカレンダーがA4サイズの紙に納まっているのです。この100年間に26回ある閏年のカレンダーは裏面にあります。

これを90歳を目前にした男性がコンピューターで作成なさったのです。びっくりです。

もう一枚頂いたカレンダーは1877年から2017年までのものです。自分の生まれた曜日が簡単に見つかります。もしご自身の誕生日が「何曜日」なのかがお知りになりたかったら、ぜひご連絡ください。このカレンダーで見てお知らせしますね。

少しですが日々の仕事に余裕がでてきたこの頃。お年よりとの会話が楽しくなってきました。

2009年10月14日水曜日

新・話の泉

NHKラジオの「新・話の泉」に凝っています。第一・第二の火曜日の夜放送です。

日本語のおもしろさを堪能できる番組です。毎回何度となく「吹き出して」しまう私です。ちょっとひねったユーモアやブラックユーモアを瞬時に理解するのは結構頭の体操にもなりますよ。

たとえば、こんなことば遊び・・・「エコとエゴ」

  ごみを区別すのがエコ
  人を区別するのがエゴ

  出張に車で行かず、電車で行くのがエコ
  出張を拒否するのがエゴ

  使い回しはエコ
  たらいまわしはエゴ

  うちわで扇(あお)ぐのがエコ
  うちわで扇がせるのがエゴ

  死んだ人はエコ
  生きている人はみんなエゴ
               ・・・・・・・・・????



2009年10月13日火曜日

今年のコスモス

近くの川べりのコスモス
秋の青い空に光っていました
秋桜、大好きな花です

2009年10月12日月曜日

再生する声

普段何気なく声を出している私たち。もし突然声がでなくなったら・・・それがプロの声楽家だったら・・・

ガンで声を失った韓国人テノール歌手ベー・チェチョルさんを手術した、一色信彦(いっしきのぶひこ)医師。79歳の現在でも日に2,30人を診察し、毎日のように声帯障害を抱える患者の手術を行っている先生。

一色先生のことを京都新聞で読んだのは、今年の5月上旬。そしてべーさんの記事が10月3日に朝日新聞に掲載されました。お二人の記事を読んで、見事な声の再生ドラマをみた私です。

日常生活で普通の声出すことまでは何の問題もなく治すことができるとおっしゃる一色先生ですが、音の強弱、高低を微妙にコントロールする歌手の音声には、さまざまな筋肉の複雑な動きが必要なので、完全な回復は難しいと思っていらっしゃったそうです。

昨年末に、べーさんが日本で開いたリサイタルを聴いて、一番驚かれたのは一色先生だったのかもしれません。「想像を超えた回復」だったそうです。

4 年前、甲状腺がんの手術で、声帯や横隔膜を支配する神経を切断したべーさんは、歌はおろか話し声さえ出せなくなっていたのです。クリスチャンのべーさん は、ひたすら神に祈ったとありました。そしてこころに平安が戻り、歌こそが神から与えられた才能だという思いは揺(ゆ)るがず、懸命に治療法を探し、一色 先生を紹介され、06年4月に京都で手術を受けたのです。

じれったいほどゆっくりした回復時期にもべーさんは祈り続けています。07年7月、ドイツ韓国人教会で、手術後初めて人前で歌った時、賛美歌の途中で声が出なくなったべーさん。そんなべーさんをかばうように会衆が声を合わせて一緒に歌い始めたのだそうです。

その後韓国に戻って母校で声楽を教えるようになったべーさん。手本を示すまでには回復していないかった彼は、全てをことばで説明したといいます。そうするうちに、不思議にも横隔膜が動き出すのです。学生と一緒にべーさんの体も声楽の基礎を学んだように。

現在の「新しい声」を大切にするべーさん。「人々とつながり合い、支え合うために歌う」と思えるようになったと言います。「人生は以前より美しい」「声は失った。でも、得たものの方がずっと多かった」

この秋に、日本で自伝「奇跡の歌」が出版されるそうです。その冒頭のことばは聖書からの引用です。

   苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
   私はそれであなたのおきてを学びました。
                  (詩篇(しへん)11篇71節)


「手術をしたのはボクだけど、あそこまで回復したのは圧倒的に彼の努力のたまものです。科学と芸術のデュエットを考えると、医学の力はまだ、芸術に遠く及ばないと痛感しました」一色先生のこのことばは、人間の持つ可能性のすばらしさを改めて教えてくださっているようです。

YouTube - 【PR】ベー・チェチョル リサイタル 2
日付は少し古いようですが、こんなページを見つけました。がんばれ、ベー・チェチョル

2009年10月11日日曜日

青虫

昨日のバーベキューの片付けをしていた朝、ペーパータオルの上に青虫を発見
草むらに戻したのですが・・・


夕方再会しました

ベランダの壁をまた登ってきたの?
ごくろうさま・・・



2009年10月10日土曜日

ベテランの味

母が今の病院でお世話になりだしたのは、今から10年以上も前のことでした。そのころから働いている看護助手のベテランさん。現在も元気に動き回る日々。 この方の年齢を偶然知ってびっくり。ご自身がもう70歳を越していらっしゃるのです。決してそうは見えない若々しい動きです。

母が精神的 に不安定になっていた時もしっかり支えてくださった方です。私の顔を見ると「○○ちゃん、来たはったん?」と気さくに呼びかけてくださっていました。日常 業務に追われてフーフーな私にとって、お昼の時にちらっと顔を見ると、何となくほっとする、そんな方なのです。

このベテランさんが、私の職場の老人ホームの当直に入って下さった先日の夜。その日はいつもよりもナースコールが多く、ほとんど夜中に休むひまがなかったと思える日誌の記録でした。

数日後、「あの日は大変だったでしょ?」と声をかけると、この方は「しゃあないやん」と一言。

お 年寄りに文字通り寄り添って仕事をするベテランならではの返事でした。寂しかったり、しんどかったりして、ナースコールを頻繁に押す日もある。それが複数 の人 からとなる日もある。あるがままを受け止める「しゃあないやん」に私は改めてこのベテランさんのこころの広さを感じたのです。

2009年10月9日金曜日

ノーベル平和賞

アメリカのオバマ大統領が2009年のノーベル平和賞を受賞するのですね。

Obama was praised by the Norweigan Nobel Committee for "his extraordinary efforts to strengthen international diplomacy and cooperation between peoples."

ノルウェイのノーベル平和賞委員会の受賞理由です。

国際外交の強化ならびに人々の協調に向けた彼の並々ならぬ努力を評価した、ということです。

まだ早朝のアメリカからは大統領からのメッセージはありませんが、これから次々にこの受賞に関しての報道がでてくることでしょうね。

何かが変わってきている。それを感じます。そうであって欲しいという祈りもこめて・・・

2009年10月8日木曜日

台風一過


午後3時過ぎ、明るい太陽の光が射してきた今日の京都です。日本を串刺(くしざ)しにするように通った台風18号。わが家の被害は・・・

今朝、新聞を取りに行こうとして、目を疑った私。

塀から大きくせり出している「のうぜんかずら」が完全にひっくり返っていたのです。つまり、庭にどさっと落ちてきていたのです。

ポストにも寄りつけず。門を開けるのも・・・

レインコートを着て、大きな枝と格闘して、少しだけ動かすことができました。支度をして、少しだけ開く門から出て無事出勤できました。

出勤前に、おなじみの植木屋さんに、メールで報告をして、今日でなくてもいいので切りつめてくださいとお願いしました。「今日のお昼に伺います」という返事。ガレージの鍵の隠し場所を再度メールしておきました。

夕方、戻って見ると、ガレージの前に散乱していた落ち葉がすっかりきれいになっていました。ガレージの中まで。そして、門もあっさり開きました。のうぜんかずらもすっきり。

去年の夏、わが家のポストに広告が入っていて、庭の手入れをお願いした植木屋さん。何でも気楽に相談できるご縁を楽しんでいる私です。

2009年10月7日水曜日

小さな秋

植物園の木陰で見つけたどんぐり
腹這いになってアップで写してみました
小さな秋を見っけ!

台風が近づいている夜
明日の朝、スタッフが出てこられるかな・・・とちょっと心配

警報が出れば、学校はお休みですが
生活の場である職場は休むわけにはいかず・・・

被害のないことを祈っています

2009年10月6日火曜日

序曲1812年

ナポレオンのロシア侵攻をテーマにしたチャイコフスキーの大序曲1812年。ロシア全土の軍隊をモスクワに集めてナポレオンに抵抗し、それがナポレオンの没落のきっかけとなった戦争を題材にして作曲されたもの。最後の楽章に「本物の大砲」を使うように指示されているとか。

実際の演奏会ではなかなかできないことですが、自衛隊が協力したコンサートをユーチューブで見つけました。この二つ、それぞれを見て頂くと、曲そのものと、大砲発射(空砲ですが)の模様がよくわかります。

クラシックの音楽は、コンサートホールで「まじめに」聞くものと思いがちですが、自衛隊の駐屯地でのコンサート。何だかでっかくていいですね。


大砲を使った序曲「1812年」のエンディング
1812年チャイコフスキー大序曲

2009年10月5日月曜日

ほのぼの屋

京都新聞で見かけたお顔、どこかで見たような・・・

フレンチレストランのシェフのお顔でした。「ミレイユ」という小さなレストランのオーナーシェフでした。母が元気だった頃、よく一緒に行きました。10人も入れば一杯になるお店。上賀茂神社から西へ・・・というような場所ですから、知る人ぞ知るレストランでした。

三重県の志摩観光ホテルで料理人として腕を磨いた糸井和夫さん、南フランスへの修行も含めてフランス料理一筋。1985年に開店したミレイユは、2005年まで、気楽でおいしいお店として人気がありました。

その糸井さんは現在、京都府の北、舞鶴市にあるカフェレストラン「ほのぼの屋」の料理長です。ほのぼの屋へようこそ

こ のほのぼの屋は社会福祉法人まいづる福祉会の障害者就労支援事業所「ワークショップほのぼの屋」が2002年に開設したレストランです。現在20人を超え る精神障害のある人が、プロから接客術を学ぶなど社会との接点を求めて働き、経済的な自立を実現する施設として注目を集めているのだそうです。

フレンチ料理のシェフとして常連客の好みを知り尽くしてその人に合った料理を出す。料理人としては一つの理想型ともいえる自由な仕事をさせてもらったと言う糸井さん。このほのぼの屋のシェフの仕事を聞いた時、「自分が求めてきた役目が回ってきた」と思ったのだそうです。

知的障害がある糸井さんのお姉さんが、学校や作業所で多くの人の世話になりながら生きている、その姿を見つめてきた糸井さん。ご自身が「恩返し」ができるかもしれない、そう思ったそうです。

糸井さんはこう言います。

「最 初は名前の意味がぴんとこなかったんです。でも働いている人はみんなそれぞれの障害とたたかいながら懸命に働いているんです。確かに動作が少し遅かったり することもあります。でもそれをお客さんも理解して急がず、いい景色と料理をゆったりと楽しんでいただきたい。その雰囲気が「ほのぼの」だと思うんで す。」

「この素晴らしい場所をなくすわけにはいきません。存続することが何より大事です。私は健康の許す限り働くつもりですよ。そして後継者を得てさらに永続させる、それをいつも考えています。」

糸井さんの友人が言ったそうです。
「ほのぼの屋に行ってから顔つきが変わったね。にこやか、和(なご)やかになった。」

一度行ってみたいレストランです。

2009年10月4日日曜日

青空の見えるトンネル





秋の青空が見えるトンネル
瓜(うり)やゴーヤ(かな?)がブラリブラーリ

2009年10月3日土曜日

落選でしたね

去年の2月末、珍しく東京で通訳をしていた時です。ドイツからの客人を連れて、自由時間に皇居の周りを散歩していました。近くのビルの壁面に大きな垂れ幕がありました。「2016年、オリンピック・パラリンピックを東京へ」という文字を見て、「そうか、東京が立候補しているのね」。他人事のような感想を持った私でした。

2016年のオリンピック・パラリンピックはリオデジャネイロに決定しましたね。昨日の最後のプレゼンテーションで、日本は英語が堪能な15歳の女子体操選手を「隠し球」(かくしだま)として起用。物怖(ものお)じしないスピーチぶりは見事でした。でも・・・

6月21日のブログに書いた東京オリンピック招聘(しょうへい)時の平沢和重氏の短いスピーチのようなインパクトはIOC委員には与えられなかったのか、リオが強すぎたのか、敗因はあれこれあるでしょう。

南アメリカで最初のオリンピック・パラリンピック開催を希望したブラジル国民の熱意はきっと日本人が1964年の東京大会を熱望したものと同じだったのでしょうね。

パラリンピックの車いすフェンシング競技に関して、アメリカ在住のブラジル人の女性が世界大会に出ていたことはありましたが、国内で盛んな競技ではないと思います。でも1964年の東京パラリンピックでも、ちゃんと日本人選手が車いすフェンシング競技に参加したのと同じように、選手を育成してくることと思います。オリンピック・パラリンピック全体だけでなく、各競技をしっかり運営していくための準備は気の遠くなるほどの作業が待っています。

アテネパラリンピックに参加した私が、全て終わった時に感じた「達成感」。きっと2016年のブラジル大会に参加する世界各国の選手・役員、そしてもちろん運営に関わる全ての人が同じ達成感を持って大会が終わるはずです。困難は一杯あるでしょうが、あるからこそ、その時が素晴らしくなるのだと思います。

2009年10月2日金曜日

がんばろう!

1995年の阪神大震災の数週間後から、仲間と一緒に「足湯ボランティア」で神戸に通いました。寒い時期の避難所で身体を固くしていた被災者の方々の足をゆっくり温めてマッサージしました。お湯の温かさにホッとなさった方々の重い口が少しずつ開いていきました。

何回目かの時でした。若い仲間が年配の女性の足をマッサージしながら、「がんばってくださいね」と声をかけた時、その方からの返事を聞いて戸惑ったと話してくれました。

「今までも一生懸命がんばってきましたんや。これからもがんばれって言わはるんですか?」

その後神戸のあちこちに「がんばろう神戸」という文字が掲げられました。みんなで一緒に「がんばろう」と言うのです。他から「がんばれ」と声をかけられるのではなく・・・

頑張るとは「が=我」を張ることという説明に出会いました。努力するという意味の中に自分の「我」を押し出すようなニュアンスがあるのかもしれません。

京都の花街(かがい)には「気張りとぅおす」という表現があります。「頑張りたい」と言うのとはちょっとニュアンスが違います。気を張り、周囲との関係性に 配慮しつつ努力しますという意志と、そのほうが、より効率よく自分の力を伸ばせるという気持ちも込められているとのこと。

「もっと、気張 らせてもらいとぅおす。どうぞ、よろしゅうおたのもうします」 お座敷で舞妓さんたちが言う時、それを聞く人たちは自然に「お気ばりや」と声をかけるので す。若い舞妓さんの心意気と、それを支えようとする人の柔らかな励まし。京ことばの持つ独特の雰囲気が醸(かも)し出す、温かい人と人とのつながりがそこ にあるのです。

私も仕事場で、一人で「頑張る」のではなく、「気張ろう」と思います。仲間に助けてもらいながら・・・


PS:京都のことば、ぜひ柔らかく「読んで」くださいね。

2009年10月1日木曜日

モロッコ

モロッコと聞いたとき、何を連想しますか?ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画カサブランカを思い出す方々はそれなりのお年かな。私はクスクスという食べ物とフロリダのディズニーワールドにあった「モロッコ館」で見たベリーダンスを思い出します。

ヨーロッパと地中海を挟んだ位置、北アフリカのこの国の正式名称は「モロッコ王国」。王様が統治する国家です。その王様のために、腕をふるう日本人の料理人が紹介されていました。

スペインとカナダの日本大使公邸料理人を7年務めた大沼秀明さん(35歳)。カナダ時代に彼の料理を食べたことがあった駐日モロッコ大使から「来日する国王に料理を作ってほしい」と頼まれたのが、彼とモロッコのご縁の始まり。

05 年の秋に日本でモロッコ国王に食事を作ったあと、数日後、大使から「モロッコに来てください。無理なら、国王に、彼は死んだと伝えなければならない」と拝 み倒されたのだそうです。この依頼の表現がちょっと変わっていますね。「生きているなら、必ず連れてこい」とでも国王がおっしゃったのでしょうか・・・

妊娠中の奥さんともども、モロッコに渡り、現地で生まれた長男を連れて、国王と王妃に随行しながら料理をお出しする生活。奥さんも料理人として一緒に調理場に立っているとか。

日本風食材を手に入れるのは難しく、モロッコ人の料理人との確執(かくしつ)が続く中、「強さも弱さも、豊かさも貧しさも肯定するモロッコ人の気質を素直にすごいと思えるようになった」のだそうです。

出身は山形県。材料を生かす素朴な料理を意識している大沼さん。「最近、王妃は大根や白菜の煮浸(にびた)しを好んで食べるようになった」という文章を読んで、エキゾチックな衣裳の王妃さまが和風の煮浸しを食べていらっしゃる姿を想像して、とても楽しくなりました。