5月8日のお昼前、「息子の奥さん」のママからメールが届きました。6日に「パパ」の腎移植が無事終わり、術後の調子もとてもいいという内容でした。
生まれつきの糖尿病だったパパは6年前に弟さんからの腎移植を経験しています。その後、再度移植が必要になっているほど、状態が悪くなっているのは全く知りませんでした。
「息子の奥さん」の妹がお父さんへの腎臓提供を考えていたこと。彼女のその気持ちを聞いていた友人がいて、そのおじさんが脳死になり、急にその方の腎臓をもらうことができたこと。驚くほどの偶然がパパの命を救ってくれました。
10日には、ロースクールを卒業する「息子の奥さん」と大学院を卒業する「妹」のお祝いディナーに元気に参加したパパ。翌日のロースクールの卒業式で、満面の笑みを浮かべるパパの写真を息子が送ってきました。5日前に腎移植を受けた人とは、とても信じられない笑顔でした。
臓器移植に関して、少々懐疑的(かいぎてき)な私です。臓器移植でしか助からないと言われた病人の家族にとって、脳死からの臓器提供を受けるのは切実な願い であるのはわかります。でも脳死と判定された人のぬくもりのあるその身体から臓器を提供するのは、たとえ本人の意志が示されていても、家族にとっては大き な迷いとなると思うのです。
ですが、今回の「パパ」の場合、身近の人の命が臓器移植で救われた、その事実にただただ感謝の気持ちを抱きます。
臓器移植法改正が国会で論議されている現在、人の死をどうとらえるのか、とんでもなく大きくて難しい問題を私たち一人一人が真剣に考えるべき時がきたようです。
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