2009年5月4日月曜日

ネパールの村で

私は1989年から20年、アジアからの留学生対象の奨学金財団、アジア21世紀奨学財団の京都事務局を担当しました。活動の中心は東京でしたが、京都では例年、2,3名の新しい奨学生とともに、私の家を拠点として交流を続けました。

1999年5月、新年度の奨学生を選考する面接を行いました。その中に、ネパールからの男性がいました。

「出身はカトマンズですか?」(ネパールで唯一知っている地名で質問)
「いいえ、カトマンズからバスで4時間です」
「そうですか。遠いのですね」
「はい、それから歩いて4時間で私の村に到着です」
「?!」

歩いて4時間・・・の意味が最初はピンとこなかった、私を含めた審査員の面々。現代の日本では想像できない場所なのが、何となく理解できました。

日本に来て5,6年たっていた彼の日本語はとてもなめらかでした。東京の大学を卒業して、京都大学の大学院で勉強を続けていました。

その後、彼は自分の村のためにNPO活動を立ち上げ現在に至っています。
特定非営利活動法人バル・ピパル奨学基金

日本での交友関係の広がりの中で、ごく自然にスタートした活動で、小学校を作り、制服、文房具を無償で支給し、村の子ども達を教育しています。今まで教育を 受けたこともなかった成人のための夜間クラスもあります。京都のロータリークラブの支援で、村への道路の拡張工事も進んでいて、歩く距離が短くなってきて いるようです。

この団体の名前にもなっている「バル・ピパル」とは、旅する人たちが休憩する場所の目印として植えられる2本の菩提樹の名前だそうです。

一人の男性が蒔(ま)いた種から芽が伸びて立派な木が育ってきています。私たちにとって「遠い国」、ネパールの小さな村で日本人の想いが色々な形でお役に立っています。

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