「この子は宝子(たからご)ですたい」と水俣病の少女の母親は、「お母さんも大変でしょう」と問われた時に答えたという。自分の体内の水銀を全て吸い取ってくれた大恩人であり、一人の子どもの世話に追われる日々、その子の下に生まれた6人のきょうだいたちには症状が出ず、互いに助け合う優しい子どもに育ってくれたから、というのがその理由。
このエピソードを「折々のことば」で見たあとのこと。この子の父親にマスコミ関係者が「お金が入るから宝子ですか」と尋ねたことを特集記事の中で読んで、胸が締め付けられた私。
不知火(しらぬい)の海に流れた水銀がこの60年にどこまで広がったのか、それは今も解明されていないという。「奇病とされた当初から、水俣病ほど偏見と差別、誹謗(ひぼう)と中傷にまみれてきた公害病もない」という文章。自分の、家族の健康、そして命を奪われたとしても、それ故に世間から排斥されてきた人たちの日々、60年の時間の長さ。
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