2016年5月31日火曜日

「記憶はつながりの中に」

久しぶりに誰かに手紙やメールをだすときの常套句(じょうとうく)「お変わりありませんか」。

生物学的な解釈をすると、生命体としての人間の細胞の構成成分は常に分解されつつ、同時に合成され続けているというのです。更新され続ける私たちのからだは一年もたてば物質的にはほとんど別人になっているというのです。だから本当の挨拶のことばは「お変わりありまくりですね」がいいとか。

生物学者の福岡伸一さんの連載コラム、「福岡伸一の動的平衡」で読んだ文章。専門的ではあるけれど、新聞の掲載文章ですから、いつもより「ゆっくりめ」に読めば、大体わかる・・というかわかったような気持ちになれます。

物質的にすっかり変わってしまう私たちがなぜ記憶を保つことができるのか。福岡さんは、それを環状線にたとえています。レールや枕木は時とともに古くなって取り替えられている(開通当時のものは何も残ってはいない)けれど、駅の位置は常に同じで、その関係性は全く変わらないというのです。リンクを貼ってもそのまま読めないようなので、書き直してみましたが、自分のことばで書くのは難しい・・・

「記憶は物質として保持されているのではなく、関係性として保持されいるのである」というコラムの最後の文章に、強く惹かれた私。大切な人との記憶を持ち続けられることに感謝。


2016年5月30日月曜日

2016年5月29日日曜日

金曜日のコンサート


佐渡裕(さどゆたか)さんが昨年音楽監督に就任した
ウィーンのトーンキュンストラー管弦楽団
びわこホールの演奏会に行きました
一人で、写真を持って

中学・高校時代の親友
東京芸大のバイオリンを卒業してウィーンに留学
それからずっとウィーンに住んでいました
彼女が所属していたのがトーンキュンストラー管弦楽団

3年前の6月、彼女は亡くなりました
日本に戻ることなく・・・

大ホールに重厚な弦楽器が響き渡りました
あの舞台に彼女がいたかもしれない
膝の上の写真ではなくて

15年前にウィーンの彼女のアパートに滞在
その折に伴奏した楽譜が手元にあります
「次までにはちゃんと練習しておくからね」
その約束を果たすことはできませんでした

学生時代のこと
日本に帰国した彼女と会ったこと
彼女が案内してくれたウィーンの街のこと
ずっと彼女のことを思っていたコンサートでした

2016年5月28日土曜日

ピューリツァー賞



ヨーロッパへ逃れた難民の姿を写し出しています

写真が持つ伝える力
それをしっかり感じる力を持ちたいものです


2016年5月26日木曜日

ネパール地震から一年

2015年4月25日、ネパールを襲った大地震。9000人近い死者、70万棟近い建物が全半壊したという政府発表。一年たった今も政府からの支援金の一部が受け取れたのは、641世帯のみという新聞記事。実際の被害の把握もできていないのが実情であるようです。

ネパール出身の私の友人も、ふるさとの村に作った小学校が大きく壊れ、復興のために寄付を募っています。一年経ってもまだがれきの処理も住んでいない山間の村も多いようです。

昨年9月からのインドとの国境が封鎖で、石油などの輸入が止まったことも復興の大きなブレーキになったとか。大きな災害のあと、復興の道のりはまだまだ遠いようです。

新聞記事に胸を痛めていたら、最近、ネパールを訪問した方の投書が目に留まりました。

「無惨に壊れたままの寺院や建物もあったが、住民の表情は以外だった。途中で通った村々では、子どもも親もみな、明るい雰囲気を漂わせているのだ」

「決して裕福ではなく、生活は日本の昭和30年代前半ごろの感じ。暮らしは不便に違いない。それでも互いに寄り添い、地域で自分の子も他人の子も同じように育て、支え合って暮らしている。こころの暖かさ、豊かさを感じた」

読み終わってホッとできた記事。ネパールの、そして熊本地震の被災者の方々の笑顔を思い浮かべていたいと思います。



2016年5月25日水曜日

小さなおめめ


こちらを見ている小さなおめめ
かわいい〜って思うんですけど・・・


私が植えた木じゃないけど
こんなになっちゃってるんです
他の木に移動すると困るんですが・・・

2016年5月24日火曜日

おばちゃん VS オバハン

関西弁の問題です・・・おばちゃんとオバハンの違いってわかりますか?

憲法をおばちゃん語訳をした「全国おばちゃん党」の谷口真由美さんの説明によると:おばちゃんとは、誰かのために何かをしてあげたい、というおせっかいの感覚や他者への配慮ができる人、なのだそうです。

その正反対の存在が「オッサン」とか。ありがとう、ごめんなさい、おめでとうを言えない人たち。現在の政治や大きな組織の中心になっている人たち。

おばちゃんと同じ感覚で同じことができる男性は「おっちゃん」。女性なのに、おばちゃんとの感覚とは違う人たちのことは「オバハン」と呼び分ける。ひらがなとカタカナのニュアンスの差も含まれているのかな。

お互いにこころを通わせて、「機嫌よう暮らせる」世界とは、きっとおばちゃんやおばちゃん的おっちゃんが一杯住んでいるところなのでしょうね。




2016年5月23日月曜日

日差しの中で





満開のバラ園
お昼の食事までの限られた時間の中
シャッターを切り続けた私


2016年5月22日日曜日

遠足

コーラスの仲間とバスで遠足
行き先は奈良富雄、霊山寺(りょうせんじ)

京都市内から高速を乗り継いで一時間ほど

境内(けいだい)の一画には
世界平和を願って50年前に作られたバラ園
200種以上のバラが咲き誇っていました



本堂では副住職から寺の歴史をじっくりうかがって・・・

赤膚焼(あかはだやき)の窯元で絵付け体験

最高のお天気に恵まれた一日
メンバーそれぞれに「非日常」を楽しみました

2016年5月21日土曜日

お天道様に申し訳ない

祖母がよく言っていたことば「そんなことをしちゃぁ、お天道様に申し訳ないよ」

お天道様がどなたなのか、小さい私にはわかりませんでしたが、どこかで誰かがしっかり見ていらっしゃる、そういう意味だったのはわかっていたようです。

最近の日本の企業の方々は、きっとこのことばはご存知ないのでしょうね。データの改ざん、ウソの報告などが次々に表面化している現実。

「おとなはウソをついてもいいんだね」と子どもたちが考えないか、ちょっと心配になってきます。記者会見で「もうしわけありませんでした」と背広を着た人が頭を下げればそれでおしまい・・・そんな光景が連日報道されているのですもの。

誰も何も責任を取らない。責任を追求することもない。原因究明もうやむやに。

お天道様は今も見ていらっしゃると思うのだけれどな・・・

2016年5月20日金曜日

てんとう虫

庭で見つけたてんとう虫

じっとしていないから
レンズの中になかなか入ってくれな〜い




2016年5月19日木曜日

仕切り皿

「近頃の若い人は食器をあげようと思っても、いらないって言うのよね・・・」

先日おしゃべりしていた先輩女性のことばです。若い人たちの好みが変わってきていることが話題になっていました。

新聞のコラムにも「家庭用の食器が売れない」とありました。理由は、というと、結婚式の引き出物需要が減ったこと、台所の収納スペースが少ないこと、カップ麺やコンビニ弁当など、器を使わないで食べる人が増えたこと・・・など。

その中で、食堂の「お子様ランチ」に使うような仕切り皿だけがよく売れているのだそうです。少子化時代のこの現象。おとなが使っているというのです。

一つのお皿に盛りつけることで、見た目がよくなったり、洗い物が楽になる、そして「持ち運びが簡単で好きな場所で食べられる」というような使用理由があげられているというのを読んで、ふ〜〜ん・・・・

決して食器に凝っているのではないけれど、食事作りの最後の楽しみはどの器に盛りつけようかと考えることかな、と思う私ですが、世の中はドンドン変わっているということですね。

2016年5月18日水曜日

小さなアレンジメント

植木鉢の植え替えをしました
冬から春にかけて一杯さいてくれたビオラ
きれいな花を集めた小さなアレンジメント


水に浮かべた花たちも

2016年5月17日火曜日

「なぜ、ぼくはがん治療医になったのか」

1996年に出版された「患者よ、がんと闘うな」という本の著者、近藤誠医師の「なぜ、ぼくはがん治療医になったのか」を偶然、図書館で見つけて2日で読破しました。

1998年発刊の単行本の文字がこんなに小さいとは・・・数字が一杯出てくるがん治療の詳細部分は頭がついていきませんでしたが、近藤医師の医学会への反乱とも言える発言がどのようにして生まれてきたのか、深くこころに届くことばに沢山出会いました。

少々長くなりますが、一部を抜粋します。

・がんで死ぬのは自然だが。治療で死ぬのは不条理そのものではないか

・闘う気持ちと闘って合理的な対処法を考えていくべきだ

・がんであっても危険な治療は許されない。治療のために一人も死なないですむ、そういう治療を目指すべきだと考えるようになった

・僕は今、患者さんが退出する間際にかけることばを失っている。でも僕はどんなことがあってもあなたを見捨てない。あながたどこへ行ってどういう療法を受けてもいい。戻ってきたらまた何も言わずに迎えてあげる。内心そういう気持ちで診察室を出て行く人の後ろ姿を見送っている

・辛くても自分で決めること


手術は成功したけれど患者は亡くなった、そんなことが少しでもなくなるように。医療者として、人間としての葛藤を思います。


2016年5月16日月曜日

ただ、だって


「ただ」の炭酸水
でもレジでお代はお払いくださいね

またまた留学生泣かせの日本語使用法

2016年5月15日日曜日

カモの引っ越し

この時期になると、ボチボチかな、と気になるのが京都のカモの引っ越しのこと。去年の記事では5月31日に小ガモが生まれた左京区の要法寺の池から鴨川に引っ越しています。

鴨川の東にあるお寺からまっすぐに鴨川に向かうのではなく、小ガモが水に入りやすい場所まで鴨川を北上して、そこから次々に飛び込むのだそうです。

10年ぐらい前からの恒例行事(?)となったカモの引っ越し。同じお母さんが毎年小ガモを引き連れて歩いているのではないとしたら、どうして、毎年同じ道がわかるのでしょうか?警官や近所の人たちに見守られて歩くカモはちゃんと進む道を知っているようです。

何の目印もない大海原の上を飛ぶ渡り鳥は地球の地磁気の流れに沿って渡りをするといいます。カモたちも私たちとは違う感性で、自分の歩く道を知っているのかもしれません。カモのお母さんの母性の中にもそれはちゃんと受け継がれているのでしょうね。

2016年5月14日土曜日

同じでなくても・・

夫婦別姓に関する新聞の特集記事を読んでいました。

「夫婦別姓は子どもがかわいそう」「いじめられるから」という意見があることに対して、「いじめる方が問題で、かわいそうにしているのは周囲。いじめられない社会にすることを考えるべきだ」という文章に、「納得」の私。

30年近く前に「帰国子女」を連れて日本に戻った頃は「帰国子女問題」があれこれ取りざたされていた時代。帰ってくる子どもが問題なのではなく、その子どもたちを受け入れない人たちや社会が問題なのにな・・・と思っていた私。

幸い、わが家の息子と娘は「それなりに」日本社会に順応してくれて、大きな問題はなかったけれど、シカゴの日本人学校で成績・人格優秀だった中学生が日本の学校に馴染めず、転校をくり返している、という情報にこころを痛めていた私。

現在「問題」となっている夫婦別姓も30年前の帰国子女問題も、「みんな同じ」でないといけない、かわいそう、の日本社会が変わっていないことの象徴のような気がする私。

多様性が社会を柔軟にし、生きやすくするはずなのに。「みんな違っていてもいいんだよ」とこころから言える社会であってほしい・・・と思う私。


2016年5月13日金曜日

朝陽と夕陽

東公園のプランターのピンクのかすみ草



夕陽の中の紫蘭(しらん)


スポットライトを浴びると
朝も夕方もお花が輝きます
逆光や斜光が大好きな私・・・


2016年5月12日木曜日

みそひともじ(三十一文字)


同時代の地球に生きて不憫(ふびん)なり
自爆する死も巻き添えの死も

朝日新聞投稿短歌より


五+七+五+七+七
たった31文字の中に全てが込められている

コラムの中でピカッと光っていた短歌

2016年5月11日水曜日

Aimee Mullins

Aimee Mullins エイミー・マリンズ
1976年生まれ、アメリカのアスリート、ファッションモデル、女優・・・美人です!

・生まれつき両足のひざ下の骨に異常があり、1歳までに両足切断
・ソフトボールやダウンヒルスキーの大会に出場するほどの活発な少女に成長
・名門大学、ワシントンDCのジョージタウン大学に奨学金を得て入学、国際政治を学ぶ
・在学中に陸上競技に挑戦し、走り幅跳びと100メートルで1996年のアトランタ
 パラリンピックに出場
・世界で初めてカーボンの義足を着用したランナー。
・1998年に現役引退し1998年からファッションモデル、2002年からは女優として活躍
・アメリカのスポーツ界にも大きく貢献し、2012年のロンドンオリンピック・
 パラリンピックへのアメリカ「特命全権大使」の肩書きが与えられた
・女性のスポーツに関して、上院議員だったヒラリークリントンの諮問委員もつとめる


私の好きなTEDにある彼女のスピーチを並べてみました。どれも日本語の字幕(subtitle)がついています。

1998年 初めて大学で陸上に取組んだ頃を話すエイミー、若くて、とても早口
2009年TEDMED 医学に関するTEDでのスピーチ、「障害」についてじっくり語ります
2009年TED 12組の義足について すてきなスピーチです

2016年5月10日火曜日

当たり年


今年はすずらんの当たり年
去年は咲いたとたんに虫に食われて散々だったけれど





雨上がりは水滴でおしゃれして・・・

30年近く前に芦屋の叔母の家の庭から持って帰ったすずらん
消えてしまいそうな頃もあったけれど
ちゃんと根付いてくれています

2016年5月9日月曜日

久しぶりのロング散歩

久しぶりのロング散歩
足元から離れないChuck

東公園に入っても、チラチラ後ろを振り返る

さっさと歩いていいんだよ・・・戻ってこなくても

一旦停止の「おすわり」はしっかり実行

新しい「売り地」が登場

徒歩11分、相当早足ですね

「さあ、もうお家だ・・・」ダッシュのChuck

2016年5月8日日曜日

宝子(たからご)

水俣病が公式に確認されたと記されるのは1956年(昭和31年)5月1日。60年前のこと。人生の大きな区切りとなる還暦を迎える年月が過ぎた。多くの患者が亡くなっている中、72歳と68歳の姉夫婦とヘルパーによる介護を受けている62歳の女性。30年ほど前に両親が亡くなってからは笑顔も消え、病状が悪化したという。

「この子は宝子(たからご)ですたい」と水俣病の少女の母親は、「お母さんも大変でしょう」と問われた時に答えたという。自分の体内の水銀を全て吸い取ってくれた大恩人であり、一人の子どもの世話に追われる日々、その子の下に生まれた6人のきょうだいたちには症状が出ず、互いに助け合う優しい子どもに育ってくれたから、というのがその理由。

このエピソードを「折々のことば」で見たあとのこと。この子の父親にマスコミ関係者が「お金が入るから宝子ですか」と尋ねたことを特集記事の中で読んで、胸が締め付けられた私。

不知火(しらぬい)の海に流れた水銀がこの60年にどこまで広がったのか、それは今も解明されていないという。「奇病とされた当初から、水俣病ほど偏見と差別、誹謗(ひぼう)と中傷にまみれてきた公害病もない」という文章。自分の、家族の健康、そして命を奪われたとしても、それ故に世間から排斥されてきた人たちの日々、60年の時間の長さ。