2015年8月31日月曜日

どんぐり


緑のどんぐり
先日の強い風で落ちたのでしょうね
8月末に見つけた秋の先駆け

2015年8月30日日曜日

質問と返答と

7月上旬、ほぼ押し掛けに近い状態で車いすフェンシング協会に取材を申し込んできたあるメディアの女性記者。

ロンドンパラリンピックを取材したあと、障がい者スポーツをより多くの方々に知らせたい、と思ったのだそうです。車いすフェンシングをHPで見つけて、わざわざ遠くから京都まで取材に。

2020東京パラリンピックに向けての課題は?今、解決すべき点は?

監督、事務局長の私、それぞれに同じような質問を投げかけてきました。

色々な課題はあるものの、私たちの答えは、競技団体を含めて関係者の努力で必ずうまくいきますよ、という立場。漠然としていますが「大丈夫ですよ」という気持ちが強いのです。

彼女の取材企画(予定?)には合わない答えを聞いて、何度か、少しずつ言い方を変えて質問を続けます。でも、答えは、ほぼ同じ、変わりようがありません。

メディアの取材を受けることが増えた昨今。質問する人の頭の中にある「答え」に近いものを返答しないと、質問者は納得してくれないようです。誘導尋問とは言いませんが、あらかじめ「答えありき」ではな・・・と思うこともしばしば。

こちらの想いを正確に伝えることって、何と難しいのかしら!

2015年8月29日土曜日

ひまわり

農協の近くで見つけたひまわり
青空の時に写真を写そうと思いつつ・・・


気がついたら、咲いているのは一つだけ
みなさん、もうおしまいです・・・って

今年の夏もおしまい・・・ですって

2015年8月28日金曜日

ぞんざいな・・・

「ぞんざいなこと、しなさんな・・・」

小さい頃、祖母からよく聞いたことば「ぞんざい」
漢字がないことを発見、不思議

「いい加減なさま」「言動が乱暴なさま」
「礼儀にかなっていないさま」「無礼」

おしとやか、とは縁遠かった祖母の孫娘
このことばを聞いていてはいても
けっこう荒っぽい性格
だから祖母が言い続けたのでしょうね
「ぞんざいはいけないよ」と


「ぞんないな口調や言葉をつかわないように」

松浦弥太郎さんの「くらしのきほん」で
懐かしいことばと再会

2015年8月27日木曜日

欄干の上の雲


夕暮れ前の時間
北大路通、高野橋の上で
欄干の上に雲が並びました

いつもの高野川の景色が違って見えました


2015年8月26日水曜日

ブータン新記録

北京で開かれている陸上・世界選手権の男子100メートルで、17歳のブータンの選手が「ブータン新記録」を樹立、というニュース。

元陸上・400メートルハードルのオリンピック選手の為末大(ためすえだい)さんが、ブータンの若手選手の指導をしたテレビを偶然見ていた私。為末さんはブータン政府からスポーツ親善大使として任命されています。

世界陸上は参加標準記録があり、男子100メートルは10秒16。このブータンのタシ・デンドゥップ君のブータン新記録は12秒15。国際陸上競技連盟が、競技普及のために、陸上後進国の選手達を世界選手権に招いて、レースをするということも初めて知りました。タシ君の記録は、この特別レースでも最下位。

国内唯一の陸上トラックで練習を続けるタシ君にとって、世界に飛び立つ大きな第一歩となった今回の北京大会。2020年東京に向けて一層練習を続けることでしょう。

世界には、まだまだスポーツの競技環境が整わない国もたくさんあるはず。日本人がこの分野でも世界でお役に立てることがあるなら、2020年東京がきっかけとなってそんな動きが盛んになれば、と思います。


2015年8月25日火曜日

グレープフルーツ


久しぶりにグレープフルーツを食べました
半分に切って、房に切り目をいれて・・
以前からこの食べ方がわが家の流儀

父方の祖父が毎朝食べていたグレープフルーツ
1960年代の頃からずっと
当時の京都では、グレープフルーツは貴重品
幸いご近所のくだものやさんから手に入ったとか

煎(い)った大豆と黒豆を粉にして
それを牛乳に入れて飲むのも祖父の朝の習慣

人一倍健康に気をつけて
88歳まで現役でした
京都の重鎮としてしっかりお役を果たしていました

グレープフルーツの思い出

2015年8月24日月曜日

お風呂

「風呂に入って死んだやつはおるけど、風呂に入らんで死んだやつはおらん」

介護を受けている「お風呂嫌い」の男性のことばだそうです。「折々のことば」で見つけて、プッと吹き出しました。亡くなった母を思い出したからです。

寝たきりになった母は毎週一回、訪問入浴のサービスを受けていました。文字通り、ベッドの横に浴槽がセットされての入浴です。病院に入院しているよりも、在宅の方が入浴可能な場合もありますよ、とスタッフのことば。

車にはぎっしり必要なものが詰まっていて、毎回、それを家の中に運び込み、入浴業務を済ませ、片付ける。何ともハードなお仕事でした。

母は、毎回「文句」を言っていました。様子がわからないままに着ているものを脱がされて「よいしょ」と運ばれるのですから、当然だったかとも思います。でも、そのブツブツが、少しずつ静かになって、気持ちよくなっているのがわかるのです。再度母が騒ぐ(?)のは、髪を洗ってもらう時。これは小さな子どもと同じこと。

亡くなる前の週にも普通に入浴できた母。お風呂を嫌がって介護する人を困らせた上記のご老人も訪問入浴のサービスは受けることができたのかな・・・

2015年8月23日日曜日

処暑


二十四節気の一つ「処暑」
暑さの収まる頃
今年は8月23日

夕方の雲の気配もなんとなく変わってきた頃
季節の移ろいが感じられる頃

2015年8月22日土曜日

育ち過ぎ!


リビングのモンテスラ
今年の猛暑で大きな葉っぱが数枚誕生
ベンジャミンに寄りかからないとしゃっきり立てない

最初は小さな株だったのに
ちょっと育ち過ぎ!
さて、どうしたものか・・・

2015年8月21日金曜日

「親になる権利」と・・・

子どもが欲しいと思うカップルにとって、現代は色んな治療が可能になりました。「生殖補助医療」で、自然に妊娠できない女性も赤ちゃんを授かる可能性が産まれました。

匿名の第三者が提供した卵子での体外受精が行われていたというニュースがありました。姉妹からの卵子提供は今までもあったようですが、匿名の他人からの卵子提供は国内初となるのだそうです。

匿名の提供者の精子を使う「非配偶者間の人工授精(AID)」は、日本では1948年から始まっています。今までに1万5千人以上がAIDで産まれたとされています。

その中の一人、医師の男性は、29歳の時、血液の白血球の型を調べる医学部の実習で、自分がAIDで産まれた事実を知ったとありました。それ以降、実の父親を探そうと努力を続けますが、それは叶えられませんでした。

生殖医療において「産まれてくる子どもの立場」を考えるのは不可欠であるはずなのに、日本においては、その子どもの出自を知る権利が法律で守られていないのです。

現在42歳になるこの医師のことばです。

「出自を知りたいという願いは人としての根源的なものだと、僕は体験に基づいて語ることが出来ます。そうした願いや様々な思いを持つ生身の『人間』を誕生させるのが生殖補助医療だということを、親も社会も改めて認識すべき時期が来ていると思います」

「単なる遺伝上の父でしかないけれど、精子提供者が見つかれば、一緒に酒が飲みたい」

親になる権利だけでなく、産まれる子どもの権利もしっかり守られる社会であってほしいものです。

2015年8月20日木曜日

おすそ分け


糖度12度というスイカを買いました
食べたあとにベランダで乾かしていたら、客人来訪
チョウチョも一緒だったのですが
カメラを構えたとたんに飛んでいってしまいました
カナブンさんはおかまい無しでした

2015年8月19日水曜日

がんばれ!

甲子園デビューです
満員のスタンド、気持いいことでしょうね
さ〜、ここで空気を入れ替えましょう
2球でツーアウトを取りましたよ
スリーアウト、好リリーフです


6回で9対0となった高校野球の試合
負けているチームの三人目のピッチャーが登板した時の
アナウンサーのコメントあれこれ

負けているチームに「がんばれ」の気持ちがあふれます

アナウンサーは中立でなきゃね、なんてことではなく
高校野球だからいいのです

珍しくテレビの高校野球の放送を横目で眺めていた午後のこと

2015年8月18日火曜日

笑ってください!

ある通訳が「今、スピーカーが面白いことを言ったから、笑ってください」と言いました。生真面目な日本人の聴衆は、指示通り一斉に笑いました。

この通訳は通訳の仕事をしたのでしょうか、それとも・・・

英語と日本語の橋渡しをしていると、そのまま訳すと全く意味のない発言に時々出くわします。日本語の「同音異義語」を使って、ダジャレを言うスピーカーには、何食わぬ顔をしながら、どうやってその場を切り抜けるか、必死に考える通訳。

ベテラン通訳なら、どんな場面でも対応できるのでしょうが、「一般通訳」にとって、これは冷や汗もの。「そんなことは通じませんよ」と言いたくなるのをグッとこらえて、こころの中でスピーカーをののしりながら(?)ことばを探すのです。

こんなエピソードも目にしました。
「アメリカのビジネスマンが冗談を言っています。私には訳せないし、訳したとしてもみなさんには理解できないでしょう。オチに近づいてきました。笑う準備をしてください。1.2.3、はいっ!」

こんな号令がかけられる通訳さん、すごいな!!

2015年8月17日月曜日

高校野球100年目

今年は高校野球の100年目
第一回は1915年のこと・・・
それを目にして気がつきました

母が生きていたら今年で100歳


しゃっきりしていて、持病もない元気な母でした
100歳なんか楽勝だと思っていました

でも認知症が進み、自宅介護が続く中
「母が100歳になると、私はいくつになるのだろう・・・」
そんな想いが頭をよぎった時期もありました

94歳で静かに旅立った母でした
100歳で元気なお年寄りを見ると
母もおしゃれをして、こんな風だったかな
そんなことを思う私です

2015年8月16日日曜日

赤い花


私たちのところに帰ってこられた方々が
静かに戻って行かれる8月16日

赤い花で送りたい
そんな気持ちになった今年の大文字の日

2015年8月15日土曜日

戦後70年


戦争を経験した人や遺族それぞれの上に
長い戦後の日々があったこっとと改めて思います


昨年傘寿(80歳)を迎えられた折の皇后様のおことば

戦後70年となった今年
戦後がこれからもずっと続くことを祈ります


2015年8月14日金曜日

国語辞典三代


新しい国語辞典を手に入れました

初代の初版は1952年、私のは1961年改訂版
二代目は1972年初版、1992年第四版
そして今回の三代目は二代目の第七版(2012年)


初代と三代目も三省堂のフォントはほぼ同じ
見慣れた感覚が辞書にはとても大切

「英語の辞書は新しくなきゃダメ
コンピュータ用語なんかがドンドン新しくなっているから
10年に一度は買い替えてくださいよ」と
以前は英語の生徒さんたちに言っていたのに、
日本語の辞書には無頓着(むとんちゃく)でした

単にことばを探すだけでなく
時には辞書を読んでみようっと・・・

2015年8月13日木曜日

30年の月日

日航機が群馬県の御巣鷹(おすたか)で墜落した事故から30年。520人の死亡者が出た、国内最悪の事故が起こったのは、1985年8月12日。

事故現場の特定が難しく、救援隊のヘリが事故現場に到着して救援活動を開始したのは、事故から14時間たった翌日朝8時半。生存者4名が救出されたものの、熊笹が生い茂る急な山の斜面をかきわけて上っていく地上からの救援は難航を極めたとか。

麓の群馬県上野村の住民も昼夜通しての救助活動を続けました。「あの状況では誰も疲れたなんて考えることもなかった。ただただ、早く助けてあげたいと思って、みんなが動き回っていた」と当時の消防団員の男性のことば。

12日の朝日新聞にお父さんを事故でなくした方の投書がありました。「数年に一度、母や妻と御巣鷹に上ります。慰霊の意味もありますが、こんな困難な場所で救助に当たってくださった方々への感謝を思い返すためでもあります」

暖かいこころを持ち続けるこの男性、亡くなったお父さんと同じ歳、41歳になったそうです。

2015年8月12日水曜日

元大統領

アメリカの39代大統領、ジミー・カーター氏、おんとし90歳。TEDのスピーチを聞いて感心することだらけ・・・

カーター氏の大統領在任期間は1977年から1981年の4年間だけ。再選を期した次の大統領選では、ドナルド・レーガンに大差で破れ、大統領としての功績はあまり評価されないままでした。

ですが、その後は、平和活動家として、文字通り世界各国を飛び回って現在に至ります。

女性の人権について語る、このTEDの16分のスピーチで、カーター氏は原稿もなしで、詳しい数字をあげながら、神の前に同列であるべき女性を、男性側の解釈でより低い存在とみなしている。それは世界のどこの社会でも同じであると述べています。

本来の意味での、存在そのものの男女同権、それを男性として真摯に訴えているのです。

スピーチの冒頭、新聞掲載された漫画のエピソードを語ります。その中で、男の子がお父さんに「ねえ、ぼくね、大きくなったら元大統領になりたいよ」と言ったのです。

カーター氏の大統領としての業績は、在任中の4年間には軍事侵攻をしなかったことも含めて、他の歴代大統領とは大きく違っています。弱腰で外交下手、内政も失敗だらけと評価されていました。

でも、その後「元大統領」としての立場を充分に活かした、世界に影響を与える数々の業績を打ち立てています。90歳、すばらしい年齢を重ねた元大統領、すてきです。


PS: このブログをアップした翌日、カーター元大統領がガンになったことを発表しました。多くの病気も克服してきた方です。ご本人らしく、淡々と、そしてこころ穏やかな日々をこれからも過ごしていかれることと思います。


2015年8月11日火曜日

歴史上の人物

私の母の父は京都大学設立時に東京大学から移籍した教授の一人。1915年生まれの母の4歳の年に亡くなっていますから、私にとっては「歴史上の人物」。京都大学の吉田キャンパスにある、百周年時計台記念館。「歴史展示室」の写真の中に祖父の顔を見つけました。




前列中央が祖父、難波正(なんばまさし)

2015年8月10日月曜日

コラージュ






コラージュの設定をあれこれさわっていました
写真の難しいソフトは全く触れないけれど
こんなことができるのって楽しい!

2015年8月9日日曜日

日本人の資質

東日本大震災後の被災者の方々の「穏やかさ」には海外から賞賛の声が多く届いていました。宗教学者の山折哲夫氏はそれを日本人が本来持つ自然観に基づいたものだとおっしゃっていました。

多くの自然災害とともに暮らしてきた日本人は、人間を超えた自然の力を絶えず感じていたはずです。「無常観」、つまり全てのものは移り変わる、常ならぬことを知っていたのです。その大きな力に対して抵抗するのではなく、全てを受け入れ、そこからまた次に進んでいく、そのしなやかさは、日本人独特のものだと山折氏。手弱女(たおやめ)のしなやかさ、という難しいことばもでてきました。自らの力を誇示する、益荒男(ますらお)に対することばです。

国として自己主張をし、自らで守るという意見はすばらしいいもののように聞こえます。でも日本人本来が持つものからは少しずれているのかな、とも思います。

日本人のユニークさ、それを世界に向けて発信できて(単にクールジャパンだけじゃなく)世界の安定につながる方法は・・それを真剣に考えてくれる指導者はいずこに。


2015年8月8日土曜日

お花畑



新しい写真がないのがバレバレ
北海道のお花畑の再登場
広かったな・・・

2015年8月7日金曜日

選手宣誓

ラジオのスイッチを入れたら、タイミング良く高校野球開会式の選手宣誓となりました。

高校野球100年の記念大会の選手宣誓は、京都の鳥羽高校梅谷成悟主将。第一回大会で優勝した京都二中の流れを汲む学校です。

100年の歴史の中で、日本は多くの激動と困難を乗り越えたこと、支えてくれた方々への感謝を述べ、「次の100年を担う者として8月6日の意味を胸に深く刻み、甲子園で躍動することを誓います」と多くの想いを見事に込めた宣誓でした。以前のように大声で怒鳴ることもなく、はきりした落ち着いた声はすてきでした。

昭和21年に再開された高校野球(まだ中等学校野球大会)で準優勝した京都二中のOBの声がラジオから流れました。「100年の記念の年に鳥羽高校が甲子園出場してくれたのは何かの縁(えにし)を感じます」。その後、宣誓した梅谷君がインタビューを受けて、「今年鳥羽高校の主将として宣誓したのは、運命を感じます」と。

偶然というより、とてもすてきな天の配剤に感じる、京都在住の私です。5月にお父さんを亡くしたという梅谷君、立派でしたよ!



2015年8月6日木曜日

でっかいぞ!

比叡山の上にでっかい入道雲がふた山
真夏の太陽に照らされながら、見る間にモクモク大きくなりました



夕立・・・を期待したのに、全く降らなかった午後
あんなに大きくなっていたのに
残念でした・・・

2015年8月5日水曜日

霧吹き効果


猛暑が続く京都
信じられない気温表示となっています

そんな中での車いすフェンシングの練習
道場はエアコンがあってもまさに蒸し風呂!
アテンドしているだけでも汗がじっとり・・・

体温調整がしにくいフェンサーのために、
冷たい水を霧吹きに入れて、練習のあと、後頭部を冷やしていました
そばで回っていた扇風機にもフーッ!

何と、サーッと気温が下がるのです、まさに「ミスト」効果

新発見が楽しくて、首を振っている扇風機二台を追いかけて霧を吹いていた私
わが家でもやってみています
お試しあれ!

2015年8月4日火曜日

不思議な写真


走る電車の中から撮影した夕陽
鉄橋の柱の中にオレンジ色の太陽が入りました
偶然の不思議な写真になりました

2015年8月3日月曜日

耳のうしろ

明治生まれの祖母に育てられた私。お風呂でよく言われたことば。「耳のうしろをしっかり洗いなさいよ」

そんなことばを思い出したのは、作家の幸田文(こうだあや)さんの「流れる」という作品に「耳のうしろを磨く」という表現があると紹介されていたからです。

これは花街の置屋の女主人のことば。結髪(けっぱつ)の芸者さんたちにとって、耳の後ろの清潔さの大切さを意味し、「しろうとさんとは違う」という自負も込められたものなのかもしれません。

祖母が芸者さんのことを思って、私に耳の後ろを洗うように、と言ったわけはありませんが、「髪を結う」ことが当然であった祖母にとっては、身だしなみの一つだったはず。

耳の後ろはいつも隠れている髪型の私でも、やっぱりそこはしっかり洗っておきたいと思います。そこは加齢臭が発生しやすい場所でもあるようですよ。(急に色っぽくなくなりますね・・・)

2015年8月2日日曜日

折々のことば


朝日新聞朝刊の一面にある「折々のことば」
今年の4月から哲学者の鷲田清一(わしだきよかず)さんが担当
以前は「折々のうた」として詩人の大岡信(まこと)さんが
29年間書き続けられたコラム

こどもがつぶやいたことば、誰もが知っている俳句や格言
ドキッとしたりホッとすることば
毎日変化する小さなコラム

本当に思っていることを、うまく書けない文章のほうが
ときには文章としては上である
詩人 荒川洋治

ブログの文章がまとまらない時に目についたことば


2015年8月1日土曜日

ラベンダー


真夏の太陽がギラギラ
連日の猛暑日

北海道のラベンダーが懐かしくなりました