「今日は本を読む!」と覚悟をした日。やっと池澤夏樹著「楽しい終末」を読み終えました。
図書館で借りたこの本、この著者の作品の中から、何となく選んだものでした。370ページもある本は、夜、寝る前に読みましょう・・・では、とても貸出期限内には読み終えることはできませんでした。
1990年から1993年にかけて書かれた文章がまとまっています。時代が「終末」に向かっているのでは、という考察を、広い分野で深く進めていくのです。「難しい内容」ですが、読み続けられたのは、作者の文章力によるものでしょう。
「核と暮らす日々」のタイトルの章がまず冒頭に出てきます。核開発、核兵器、核実験、そして原子力発電。物理学的内容から歴史的事実まで、内容は詳細です。東海村の原子力発電所構内で目撃した宅配便の車に、「もしテロリストが乗っていたら」と考える著者。「安全」と言われることに対する、純粋な疑問もしっかり記されています。
「覚えておくべきは人は全て愚かであると言うこと、少なくとも世界中で稼働中の数百基の原子力発電所を完全に無事故で何百年も運転できるほど賢くはないということだけである。そしてチェルノブイリが教えているのは、あの場合の経路を辿(たど)る形で事故が起こることがあるということと、起こった事故が大きければあのように広い範囲に深刻な影響が出るということの二つ」
「原子力関係の施設の事故の傷から恢復(かいふく)するだけの力は普通サイズの社会にはないのだ。東海村なり福島なりで炉心溶解規模の事故が起こったら、日本の社会はあまりに重大な損傷を被(こうむ)る。普通規模の産業事故とは三桁(みけた)も四桁(よけた)も違う危険を相手にしているにしては、原子力発電所の設計と運営にあたる人々の言葉遣(づか)いは軽薄にすぎる。新しい冷蔵庫を売るのと同じ程度のコピーで、数百万の人間の生死にかかわる安全を売ることはできない。彼らの言葉、彼らのロジックにはまったく説得力がない。信用しろと言う方が無理だ」
20年前に書かれたこの文章。「気がつかなかった」「学ばなかった」私たちであることを知らされた本でした。
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