高度成長期の日本を支えた企業戦士の父親が67歳で退職。その直後ガンがわかり、「段取りこそわが命」というこの父親は、自分の「終活」となるそれからの生活の段取りを自分で考える。それを娘が密着して撮影する。そしてできた映画が「エンディングノート」。
一つの家族の歴史が詰まった写真や映像と、病状が進む父親の姿が、オーバーラップしながら映画は進みます。
私にとって、一番身につまされた場面は、アメリカ在住の息子一家が父親の容態悪化を知って帰ってくるところ。私も1985年、息子と娘を連れて、シカゴから京都の父の元に戻ってきました。
孫の顔を見て、満面の笑みを浮かべた私の父、それは映画の父親の顔と全く同じでした。その約一週間後に亡くなるのも同じ・・・幼い孫たちが、旅立つ祖父の最後の姿をしっかり見つめたのも同じ・・・
人が亡くなるまでの記録といえば、見るのが辛いと思えるのですが、この映画は最後の最後まで、この父親のユーモアに救われます。お葬式の「段取り」を息子が相談する場面、「わからなかったら携帯に電話して・・・」と言ってニヤリ。病室には家族の涙とともに、笑い声も響くのです。
手持ちのカメラを抱えて、父親が弱っていく姿を見つめた、娘である監督。幼い時から家族にカメラを向け続けていたそうです。冷静でありながら、父親、そして母親に対する愛情があればこその作業だったのだと思います。
水曜日は、映画のレディスデー。朝一番9時50分の上映には、男性は数人のみ。涙の中に暖かいものをもらった朝でした。
PS:「エンディングノート」のオフィシャルサイトのコピーがうまくいきません。「エンティングノート」で検索なさってください。予告編が見られます。
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