私の家族がシカゴで生活したのは、1981年から6年間。我が家のこどもたちは小学校と幼稚園からのスタートでした。当時、我が家だけでなく、私の周りの日本人家族の間では、「親子の会話は日本語」が当然になっていました。将来日本に帰国するこどもたちにとって、日本語能力を維持するのが親の責任だと考えていたからです。
私たちの世代以前の駐在員家族の多くは、数年のアメリカ滞在で、こどもたちの日本語能力が急速に低下していました。英語が話せるようになるのと平行して、日本語を使わなくなるこどもたちが多かったのです。
「英語を自由に話す」ことは、昔も今も多くの日本人の「夢」であり、その夢が実現できていない人が多いのも事実です。「自分たちのように英語で苦労しないように」と、アメリカ生活をする親がこどもの英語力上達を放任する(あるいは「喜ぶ」)のは当然かもしれません。
ただし・・・です。数年で身につけた英語力は、決して年齢相応に充分な実力がついているわけではありません。使わなくなった日本語もどんどん低下していきます。日本へ「帰国」ということになれば、その日本人のこどもたちが「ことば」で再度、苦労するのは目に見えています。苦労だけでなく、根本的な遅れが生じることにもなるのです。帰国後、親子ともども苦労した、という話はあちこちにありました。
それを聞き及んだ私たちの駐在員世代が、子どもの日本語保持に努力したのは当然のことだったのです。
二つのことばを使いこなす人を「バイリンガル」といいますが、二つのことば、どちらも中途半端になってしまうことを「ダブルリミテッド」というのだそうです。
最近、外国で育って日本に戻るこどもたちの「ことば」が問題視されることが少なくなりました。帰国子女の受け入れ体制が以前より整ったのも事実ですが、しっかり日本語能力を保ち、その上で外国語も使えるこどもたちが増えているように思います。「帰国子女問題」と言われていたある時期のことを思うと、これはすばらしい変化です。
ただし・・・日本の小学校で英語が義務化され、日本語をしっかり学ぶべき時期に、その能力が身につかなくなるのでは、という疑問が改めて浮かびあがってきています。
私たちがものごとを考える、そのベースは「母語」です。全ての行動の基礎となるものです。本をよく読み、文章を書き、自分の意見を話す。そんな訓練が小さい時から積み重なってこそ、母語活用能力が身につき、自分らしさが形成されていきます。
「こどもは自然にことばを身につける」という安易な考え方ではなく、おとな全てが、次世代のこどもたちの言語能力を豊かにする努力を続けないといけません。将来の日本の「おとな」は、しっかりした意見交換ができ、自分のことばに責任が持てる、そんな人たちであってほしいのです。
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