2011年8月31日水曜日

再会

私のアルバムの写真を「プロ」に複写してもらいました
好きな写真がデータにも残ることになります

父や母、祖母、そして祖父・・・
小さな私にも再会
しばしのタイムトリップでした

2011年8月30日火曜日

日本化

日本経済が好調だった時、日本をまねることは多くの国にとっての「目標」でした。ですが、現在、海外で「日本化」ということばで表されるのは、「経済低迷よる財政悪化と政治の機能不全が生じている状態」を指しているという記事がありました。

当事者である私たち日本人は現実の厳しさをまだまだ実感できていないようです。「どうにかなってほしい」と、思ってはいても・・・

大震災から半年近くたっているのに、まだまだ今後の方針もしっかり決まらず。そんな中、昨日、2年間に3人目の民主党首相誕生。

「何かが変わる」というワクワク感は今はありません。でも、だからこそ、今回はしっかりお願いします。日本のこれからがかかっているのですから。

将来「日本化」という表現が、「大変な時期を、国民が結束して見事に乗り切った」という意味の表現になってくれれば、と思います。今回の党首選挙にいち早く手を挙げた野田佳彦氏。新しい舵取り役に期待したい・・・と願っています。


2011年8月29日月曜日

収穫間近

稲穂が重そうに頭をたれる時期
せっかくのお米、鳥たちから守らないといけません

一面にネットをかぶせたり、テープをヒラヒラさせたり




黒のビニール袋や古いCDもお役に立ってます


この田んぼ、今年の「かかし」は一つだけ
去年はもっと立っていたのにな・・・

2011年8月28日日曜日

そうですね・・・

今年の夏の甲子園、試合直後のインタビュー。質問を受けるほとんどの監督・選手は、まず「そうですね・・・」と口にしました。野球だけでなく、スポーツ選手がインタビューに答えてる時も同じこと。「そうですね・・・」の連発です。

「そうですね」という表現は、相手の考えに同意する時に口にすることばですが、この表現を無意識のように話す人たちは、「そうですね・・・」と何か含みを持たせているように感じてしまう私です。質問にすぐに答えず、少し時間を稼いでいるような、そんな雰囲気も感じます。

あまりにも同じように繰り返される「そうですね・・・」が耳について、せっかくのインタビューの内容が頭に入らないこともしばしば。「はやりのくちぐせ」として聞き流せばいいものを・・・

先日、ラジオで、電話インタビューを受けていた、仙台在住の児童心理の専門家の方(お名前は聞き逃しました)。震災直後から、こどもたちをサポートするネットワークを作って活動中です。被災地のこどもたちが、今何ができるかも含めて将来のことをどれだけ真剣に考えているかを熱く語っていらっしゃいました。

アナウンサーの質問を受けて、「そうなんです!」と返事があります。相手のことばを、全くその通りと肯定する気持ちがしっかり表れていました。お話の内容そのものと、その方の口調は、被災地のこどもたちへの暖かいまなざしがあふれているように感じました。

何度も耳に入ってきた「そうなんです!」が決していやでなかった私です。「そうですね・・・」とは全く違う「気持ち」が伝わってきたからでしょうか。

2011年8月27日土曜日

空を飛んだ!

びわ湖バレイの「ジップラインアドベンチャー」を体験しました
空を飛びました!!!

私の写真は写せませんでしたが・・・・


からだにはハーネス、頭にはヘルメット
手順はけっこうややこしいですよ

これは他のグループです
出発する前に、しっかり説明を受けます

直前の大雨が上がってすてきなお天気になりました


木々の間をくぐり抜けるような場所も


最後はびわこを望む絶景でジャンプ


全部で7つあるステーションの最後
ハーネスの胸についていたロープを背中に付け替えて
「空中遊泳」でジャンプします
それが一番上の写真です
小さい写真はクリックしてご覧ください

本当に空中を飛んだのですよ!!!
鳥になった午後でした

2011年8月26日金曜日

「健康」とは


ラジオあさいちばん「健康ライフ」は、朝5時35分過ぎから約10分間の短い番組です。寝ぼけている時間ですから、毎回しっかり聞く・・・のはとっても無理。HPで放送済みのものが聞けるようになっています。ぜひ「100人いれば100の健康」をお聞きください。

お話していらっしゃる、浜松医科大学名誉教授の高田明和先生は、生理学が専門のお医者さん。うつ病や不眠症に関して著名な方です。長年実践されている禅についての著作もあります。以前から数冊、先生の本を読んでいた私です。




「100人いれば100の健康」
を簡単にまとめておきます。

 ・(月) 誰にでも効く健康法はない:自分がいいと思う健康法を楽しんで実践する。

 ・(火) 正常値の考え方:人によって「正常値」は違う。
                  信頼できる医療者と一緒に自分にとって正しい正常値を知る努力を。

 ・(水) 病気の予防も人それぞれ:研究や実験データは、前提条件や実施条件で変わってくる。
                  数字に振り回されることなく、自分のこころの声に従うこと。

 ・(木) 脳にはたらく薬を考える:睡眠剤、睡眠導入剤、抗不安薬などを飲み続けると、
                 脳そのものの反応が変化してしまう。症状が治まって薬をやめようと
                 しても脳の状態が元に戻ることはない。
                 「よく効く薬」は危険も多いことを理解する。

 ・(金) 健康とは何か:「こころが楽である状態」 「足を知る」ことが大切。
                「自分を責めず、比べず、過去を思い出さず」


最終回は、現在の行き過ぎた「健康志向」への警鐘だと思います。一週間を通して、現代医療に関しても、しばし考えてみよう、と提案されているように思いました。


2011年8月25日木曜日

アメリカ東部の地震

24日朝、寝ぼけながらラジオのスイッチを入れると、「アメリカ東部で地震があり、首都ワシントンでは、ビルから飛び出した人たちが道があふれていた」というニュース。「ワシントンで地震???」

バージニア州リッチモンド郊外を震源地とするマグニチュード5.8の地震。目下ワシントンで仕事をしている娘の情報によると、同じ職場のほとんどの人にとっての「初めての地震」。全員で建物の外に避難し、パニック状態になったマネージャーさんが、「今日の仕事は終了」と言ったそうです。

ボルチモアに戻るために地下鉄の駅に行ったけれど、あまりの混雑にギブアップ。ワシントン郊外に住む友人宅目指して歩き出したのだそうです。3月11日の東京と同じで、「帰宅難民」がたくさん歩いていたとか。途中で友人に連絡して、車で迎えにきてもらって、ほっとしているところでの電話でした。

地震の多い西海岸とは違って、アメリカ東部は「地震がない」と考えられている地域。今回は、活断層が動くような地震ではなく、とてつもなく大きなプレートがずれたので、南はジョージアから、北はニューイングランドまで。西はデトロイトでも揺れが感じられたそうです。アメリカのサイズを考えると、いかに広い地域が揺れたのかがわかります。

ウェディングドレスで飛び出した花嫁さん、「地面が動く!」とビデオからの大声、落ちてきたレンガでフロントガラスが壊れた車。9・11の10周年を目前にして、テロか、爆発か、とパニックになった人も多かったようです。

大きな被害はほとんどなかったにしても、やっぱり原発ではトラブルが発生。

自然からの警告が世界中の人に発信されているようです。

2011年8月24日水曜日

鹿発見!

宝が池通りのトンネルの近く
またもや、鹿発見!
一匹だけでゆったり葉っぱを食べてました



Chuckがじっと見ていました
わかってるのかな・・・



2011年8月23日火曜日

先斗町

「PONTOCHO」と打ち込むと「先斗町」とちゃんと転換
不思議な音

四条大橋西詰を北へ
鴨川からすぐの細い通り
京都ですね、ここは・・・






2011年8月22日月曜日

社会転換の方向を考える

NHKラジオ早朝の番組、ビジネス展望。内橋克人(うちはしかつと)さんの時間は、できるだけちゃんと聞くことにしています。阪神大震災以降、内橋さんのコメントはいつも、深い意味が含まれているのを感じているからです。

今回のタイトルは「社会転換の方向を考える」。

現在の経済の停滞から抜け出すために、今回の大震災は「千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンス」だという世論が強まってきている。小泉改革以降、格差がある社会こそ、活動する社会だとして、日本はバランスの取れない、不均衡な国となってきた。その不条理を多くの人が感じてきていたのに、震災以降、市場が成長することが第一という、市場主義、経済主義が復活しようとしている。

未曾有な被害を受けた被災地の復興を考える時、今までと同じではいけない、日本を変えなくてはと、誰しも考えたはずなのに、以前と同じ感覚で経済復興をしようとしている人たちがいて、その考え方をメディアも懲(こ)7りずに伝え続けている、と内橋さんは警告します。

復興需要を当てにして経済を大きくしようという考え方は、「不幸が日本を襲えば襲うほど、日本経済が復興する」という、何とも奇妙で恐ろしいもの。

日本は今、生活者にとっての幸せは何かを真剣に考えて社会転換の必要がある、と言う内橋さんの4つの提案です。

1.弱者の雇用が可能になる構造転換
2.浪費なき国民経済:エネルギー、食料を考える
3.原子力からの脱退:エネルギーデモクラシー
4.経済成長市場主義の克服


PS: 2011年1月4日掲載、内橋克人さんを書いたブログです。
けやき便り: 実験的社会システム

2011年8月21日日曜日

ボールみっけ!

散歩の途中で見つけたテニスボールをくわえた北斗くん
私たちが公園を一周してきた時にも、同じ場所でした
ボールは絶対に離さない・・・のだそうです
いつまでねばっていたのかな、北斗くん

2011年8月20日土曜日

「すきま」がえる

おもてのドアにしがみついていたかえる



なんと、閉まったドアのすきまで休憩中



なかなか逃げてくれないので、そうっとドアを開け閉め

以前、かえるの「ひもの」がこのドアの上から落ちてきたことがありました

何でこんな場所に?
危ないよ!

2011年8月19日金曜日

敗者

19日朝の段階で、今年の全国高校野球選手権大会、つまり甲子園でこれから生まれる敗者は3校。

地方大会から計算すると、今まで敗者となった高校の数は4010校。たった一校、優勝するチームをのぞいて、今年の敗者の合計は4013校。

トーナメントの厳しさですね。だからこそ1つ1つの試合にドラマが生まれるのですね。横目で(横耳で)見ながら(聞きながら)の甲子園観戦もあとわずか。

最終版のドラマが楽しみです。

2011年8月18日木曜日

3D足型計測

みなさんはご自分の足のサイズをご存じですか?靴を選ぶ時、正しいサイズで選んでいますか?

アシックス直営店「歩人館」を見つけて、3D足型計測で私の足を測ってもらいました。

足の長さ、足囲(そくい:親指と小指の付け根を取り巻いた長さ)、かかとの幅、足高(甲の高さ)、アーチ高(土踏まずのアーチ)、かかとの傾斜角度、親指の側角度(外反母趾をチェック)の項目がコンピューターで計測されます。

そこでわかったこと。私の足のサイズは24.5センチではなく、25センチが正しいのです。足囲やかかと幅が比較的小さいので、24.5センチの靴でも大丈夫、と本人は感じていたようです。

もっとも、今でこそ、靴売り場に25センチの女性靴も並んでいますが、以前は24.5センチが最大でしたもの。同じサイズだった母が、「昔は靴を探すのが大変だった」と話していたのを思い出します。

もう一つ、「私の足は右が大きい」と信じていたのに、実際は左が1.2ミリ長かったのです。自分の感覚なんて、当てにならないものですね。

3.11、大震災の日、東京では帰宅困難者となった女性たちが、長距離は「歩けない」靴を履いていて、苦労したということも聞きました。おしゃれな靴でも、疲れずに歩けることが必要です。

自分の足に合った靴を探してみようと思いました。


2011年8月17日水曜日

2011年8月16日火曜日

一人歩き

お休みの日の朝
人も車もいないからってリードをはずしてもらいました



ちゃんと帰り道はわかっています



先に到着してもちゃんと座って待ってますよ



こわがりのぼくですが、今日は大丈夫でした
Chuck

2011年8月15日月曜日

だめ比べ

2009年の政権交代。政治に関心が薄い私ですら、「何かが変わるかも・・・」と気持ちが高揚したのを覚えています。そして、今、日本の現状は・・・

政権交代は、「自民党ではもうだめだから」という力学で起きた結果であり、政党本位、政策本位の選択では全くなかったという評価を目にしました。日本の民主主義もやっとここまで来たか、というような論もありましたが、結果は「わけのわからない二大政党のもとで、何も決まらない政治が続いている」「だめ比べで起こる政権交代なら何度起きても意味はない」ということになってしまうようです。

3月の大震災・原発事故、政府のその後の対応の何とまどろっこしいこと。鎌田實先生が震災4ヶ月の頃、「国会は、政局をしている暇なんてない」とブログに書かれました。5ヶ月目となった今でも同じような気持ちとなります。本当に動き出してくれる政治家たちはいないのでしょうか。

「だめ比べ」ということばを見つけた「“政治改革”再考」というコラムにあった一節です。

「民主主義のもとでの政党政治は、民意を映す鏡である。それはしばしばゆがむかもしれないが、映っているのは別世界ではない。あまりにひどいからといって背を向けてみても、背中が映るだけのことである。胸くそが悪かろうが、じれったかろうが、向き合っていくほかない。」

「時」を待ちましょう。日本の未来を信じて・・・

2011年8月14日日曜日

東華菜館

鴨川にかかる四条大橋、その西のたもとにある 『東華菜館』 
ウィリアム・ボーリスの設計
大正14年(1925年)から続く中華レストラン



日本最古の「現役」エレベーター
ドアは手で開きます


鴨川から東山を望む絶景の4階フロア


PS: 鴨川をはさんで東華菜館の斜め向かいにあるレストラン菊水。こちらは大正5年(1916年)創業。「見て!見て!」ブログに写真を掲載。

2011年8月13日土曜日

祈り

岩手県陸前高田市の津波でなぎ倒された松。薪(まき)となったこの松に、被災者の気持ちを書いてもらって大文字の送り火で使うと保存会が発表。放射線物質が出るのでは・・・という一部の市民の不安から、使用中止を決定。京都に送られるはずだった薪は、お盆の「迎え火」として現地で焼却。それに先だって、保存会の人が現地に出向いて、メッセージが書かれた333本の薪の写真を撮影。再度、送り火に使用するとして、現地から500本の薪が京都に到着。保存会のメンバーがメッセージを書き写している。

「京都はけしからん」と全国に広がってしまったこのエピソード。一応一件落着で、京都市長も安堵(あんど)の表情を浮かべたと12日の朝刊に書かれていたのですが、夕方のニュースで、新しく運び込まれた薪から放射性物質セシュウムが検出され、送り火での使用を断念したとのこと。

最終結果は思いがけないことになりましたが、震災の犠牲者の方々を追悼したい、という思いがスタートだったはずです。色んな意見が飛び交う中、保存会の方々も難しい判断を迫られたことと思います。

11日付の朝日川柳にあった、岩手県大船渡(おおふなと)の方の句。

「どこで燃えても 変わらぬ祈り」

選者は「東北のやさしさ」と記していました。

12日の「ほぼ日刊イトイ新聞」にもすてきなメッセージがありました。12年間続けた大文字送り火のライブ中継、今年も開催しますと伝えています。長いのですが、そのままコピーをしました。


今年の「五山の送り火」を、予定通り中継いたします。

震災時の津波で倒れた岩手県陸前高田市の松を、
五山の送り火のひとつ「大文字」に使う計画が、
中止になったという報道があったのち、
今年の中継を行うかどうかについて、
複数のお問い合わせをいただいておりました。

結論から申し上げますと、わたしたちは、
今年の「五山の送り火」も予定通り中継いたします。

起源については諸説ありますが、
「五山の送り火」が始まってから、ずっと長い間、
数えきれないほどたくさんの人たちがそれを支え、
そこで祈り、たのしみにしてきたと思うのです。
そこに流れてきた長い時と、人々の営みには、
誰しも敬意をはらわざるを得ません。

今回、一部の人たちのなかに残念な考えがあったとしても、
それ以外のほとんどすべての人たちの「思い」は、
それぞれに大切にすべきものであると考えました。

現在の状況をふくめ、ありのままの、
今年の「五山の送り火」を伝えることが、
わたしたちにできる、いちばん自然な対応だと考え、
このような判断をさせていただきました。

考えや立場のちがうかたを含め、
みんなが幸せな気持ちになれるよう、
今年の送り火を観ながら、
わたしたちは祈りたいと思います。

2011年8月12日 ほぼ日刊イトイ新聞

ほぼ日刊イトイ新聞 - 大文字送り火ライブ中継2011

2011年8月12日金曜日

8月のあじさい

8月1日に友人宅で撮影したあじさい
すてきな色がしっかり残っています
ずっと、このままなのですって
いいな・・・

2011年8月11日木曜日

六道まいり

今年は母の新盆(にいぼん)
猛暑の午後、
ご先祖さまをお迎えする「六道まいり」に出かけました
六道珍皇寺



「迎え鐘」は「突く」のではなく、ひもを引いて鳴らします
これでご先祖さまのお迎えができます



戒名を書いた「水塔婆」(みずとうば)を納めるところ
色々な作法がありますが、私は省略形で・・・
16日の大文字には、
しっかりご先祖さまをお送りします



「六道まいり」最終日だったのに、境内は人影がまばら
ご先祖さまをお迎えする風習がすたれてきているのでしょうか・・・

近くの五条坂では陶器市開催中
ここも最終日なのに、人出はぱらぱら・・・
例年になく賑わいのない風景
今年だけなのでしょうか・・・


2011年8月10日水曜日

賀茂なす #2

「ともだち」の「ともだち」の畑でできた賀茂なす
最後の収穫のお手伝いをしてきた「ともだち」から
わが家にもたくさんのお裾分け




畑の片付けが目的だから、小さいなすも一杯
わが家に来た賀茂なすさんたち勢揃い



偶然新聞で見つけた「賀茂なすジャム」の記事
まねして、「賀茂なすコンポート」を作ってみました
ヨーグルトと一緒に食べています
Chuckも少しお相伴・・・

2011年8月9日火曜日

ダブルリミテッド

私の家族がシカゴで生活したのは、1981年から6年間。我が家のこどもたちは小学校と幼稚園からのスタートでした。当時、我が家だけでなく、私の周りの日本人家族の間では、「親子の会話は日本語」が当然になっていました。将来日本に帰国するこどもたちにとって、日本語能力を維持するのが親の責任だと考えていたからです。

私たちの世代以前の駐在員家族の多くは、数年のアメリカ滞在で、こどもたちの日本語能力が急速に低下していました。英語が話せるようになるのと平行して、日本語を使わなくなるこどもたちが多かったのです。

「英語を自由に話す」ことは、昔も今も多くの日本人の「夢」であり、その夢が実現できていない人が多いのも事実です。「自分たちのように英語で苦労しないように」と、アメリカ生活をする親がこどもの英語力上達を放任する(あるいは「喜ぶ」)のは当然かもしれません。

ただし・・・です。数年で身につけた英語力は、決して年齢相応に充分な実力がついているわけではありません。使わなくなった日本語もどんどん低下していきます。日本へ「帰国」ということになれば、その日本人のこどもたちが「ことば」で再度、苦労するのは目に見えています。苦労だけでなく、根本的な遅れが生じることにもなるのです。帰国後、親子ともども苦労した、という話はあちこちにありました。

それを聞き及んだ私たちの駐在員世代が、子どもの日本語保持に努力したのは当然のことだったのです。

二つのことばを使いこなす人を「バイリンガル」といいますが、二つのことば、どちらも中途半端になってしまうことを「ダブルリミテッド」というのだそうです。

最近、外国で育って日本に戻るこどもたちの「ことば」が問題視されることが少なくなりました。帰国子女の受け入れ体制が以前より整ったのも事実ですが、しっかり日本語能力を保ち、その上で外国語も使えるこどもたちが増えているように思います。「帰国子女問題」と言われていたある時期のことを思うと、これはすばらしい変化です。

ただし・・・日本の小学校で英語が義務化され、日本語をしっかり学ぶべき時期に、その能力が身につかなくなるのでは、という疑問が改めて浮かびあがってきています。

私たちがものごとを考える、そのベースは「母語」です。全ての行動の基礎となるものです。本をよく読み、文章を書き、自分の意見を話す。そんな訓練が小さい時から積み重なってこそ、母語活用能力が身につき、自分らしさが形成されていきます。

「こどもは自然にことばを身につける」という安易な考え方ではなく、おとな全てが、次世代のこどもたちの言語能力を豊かにする努力を続けないといけません。将来の日本の「おとな」は、しっかりした意見交換ができ、自分のことばに責任が持てる、そんな人たちであってほしいのです。