2009年11月30日月曜日

母として、そして・・・

ピアニスト、辻井伸行さんのお母さん、辻井いつ子さん

元アナウンサー、さわやかな声の持ち主

「クリムトの接吻」の絵の前で、男女の抱擁の場面を説明する大らかさ

ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに優勝して、「ぼちぼち親離れをしなきゃ」とあっさりと世界に羽ばたく息子を育て

これからは自分の仕事をしたいという母  辻井いつ子の子育て広場


「もし目が見えるようになったら、一度でいいから母の顔を見たい。それでまた目が見えなくなってもいいから・・・」

深い絆(きずな)で結ばれた母と子


夕食の後かたづけもしないままに、珍しくテレビのドキュメンタリーにひっかかった夜でした

2009年11月29日日曜日

クリスマス準備OK

昨日の土曜日、仲間のおかげで早々にクリスマスの準備完了です
ご近所でも一番乗りでイルミネーションを点灯
例年より門の外がにぎやかに・・・




植え替えて元気になったベンジャミンもクリスマスの装いに

2009年11月28日土曜日

立っち #2


逆光の写真ですが・・・

すすきの葉っぱが好きなChuck

口が痛くないのかしら

おっぴろげで失礼します・・・

2009年11月27日金曜日

パーミル


パーミル:千分率。鉄道では勾配の程度を示す単位に使われる。

パーセントしか知らなかった私です。新しい単語発見です。

傾斜が急な山岳路線を持つ全国の私鉄が結成した全国登山鉄道‰(パーミル)会

私の職場への足、叡山電車も含まれています。

八瀬はもみじ狩りのメッカ。

今週はお隣のお寺を目指した観光客でごったがえしています。

2009年11月26日木曜日

三重苦

三重苦といえば、見えない、聞こえない、話せない。ヘレンケラーのような人を指しますが、ここでの三重苦は「読めない、書けない、呼びにくい」名前のことです。

女の子の名前から「・・子」というパターンが消えてから、もう随分たちました。最近の赤ちゃんの名前は女の子だけでなく、男の子の名前もユニークなものが増えているような気がします。

2008年の人気の名前を以前ブログにも書きました。赤ちゃんの名前

名前の響きが良く、個性的で、外国人にも発音しやすい、などがユニークな名前をつける親の考え方だそうです。今の子ども達がおとなになる頃には、「・・子」という名前はほぼ消滅していて、今風(いまふう)の新しい名前が普通になっていることでしょうね。

「子 どもの名前には親の知性や品格、センスなどが現れる一方で、基本的な常識や語学力の乏しさも露呈する」という手厳しい指摘を目にしました。思い入れ一杯で あっても、その名前を一生持ち続けるのは子ども自身であることを、しっかり自覚して名付けてほしい、というこの著者の考えであるようです。

わが家と言えば、子どもの名前を考えたのはもう30年以上前のこと。幼稚園の子どもでもわかる名前です。息子は「語呂」が好きだったからという単純理由。娘の名前は「ひらがな+子」。私と同じです。

アメリカに生活する二人、息子の短い名前はとても簡単に呼んでもらえます。娘の方は母音の並びが少々混乱するようで、彼女はずっと前からニックネームを通称として使っています。

私自身、自分の名前は大好きです。親が名付けてくれた理由も知っています。これからもこの名前と仲良くつきあっていこうと思っています。

2009年11月25日水曜日

宝ヶ池の夕暮れ

日が短くなりました
あっという間にあたりは真っ暗(まっくら)

でも一瞬の輝きはすてきです
漆黒(しっこく)の闇を前にして




2009年11月24日火曜日

サンタとインフルエンザ

「サンタさん、新型インフルエンザにかかったら、クリスマスはなくなるの?」

世界中の子ども達が気にしているそうです。

「クリスマスは中止されないと誓うよ」とサンタの約束をフィンランドの国営放送が伝言として放送。

「サンタも気をつけているから、君たちもインフルエンザには気をつけるんだよ!」とサンタは子ども達に話しかけました。

ラップランド地方のクルバトゥントゥリ山に住んでいるサンタからのメッセージだそうです。

今年も世界中の子ども達が楽しいクリスマスを迎えられますように!

もちろん、全てのおとなも・・・

2009年11月23日月曜日

おもちゃかご

ぼくのおもちゃが・・・
のぞいても大丈夫かな・・・
えーっと、どれを出そうかな・・・


遊んだら、おもちゃはちゃんと片づけなさいよ、Chuck!

2009年11月22日日曜日

京都のもみじ

岡山・新潟・徳島・三重・大阪・岐阜・名古屋・沼津・金沢・・・・

私が今日、車で30分ぐらい走った時に見かけた観光バスのナンバープレートのあれこれです。(運転中にキョロキョロしているのがばれてしまいますね)

三連休の京都は観光バスだけでなく自家用車も他府県ナンバーであふれています。

いつも思うのです。

紅葉の名所はどこにでもあるのに、なんで京都???

京都に住む私には気がつかない京都の魅力があるのでしょうね、きっと。

私とおなじことを考える人がいるのを発見しました。

京都のもみじは特別な種類ですか? - 教えて!goo

2009年11月21日土曜日

午後のミニトリップ


土曜日、職場に用事があって「歩いて」出かけました
紅葉の盛りの三連休、車が混んでいるはずと・・・

畑のそばの大きなもみじ

途中はこんな風景も

吊り橋の先がわが職場、約40分で到着
                

帰りは八瀬から叡電に乗車
途中で乗り換えた鞍馬行きの電車は大混雑
「おりま・・・・す!」と大声を出してやっと下車








観光客一杯で鞍馬に向かう電車

2009年11月20日金曜日

新聞のこと

1981年、随分昔、シカゴの生活がスタートしました。当時も朝日新聞を毎日読んでいました。当初は特別の郵便で会社に配達されていた新聞は、日本の2,3日遅れた日付でした。

し ばらくすると、コンピューターの普及で、アメリカ国内で印刷が可能になり、配達される新聞の日付は時には、アメリカの前日の日付のものが届くように なりました。半日以上ある時差のせいです。「明日、何があるか、教えてあげようか?」とアメリカ人の友人に冗談を言っていたものでした。

ITの情報化社会になって、新聞の存在が危うくなってきている現代。世界各国で、伝統ある有名な新聞が廃刊に追い込まれています。去年の12月12日、住んでいたシカゴの新聞、シカゴトリビューンの廃刊についてブログにも書きました。全面広告 #2   

新聞を読んでいて、「新聞たるもの“情報コンシェルジェ”となれ」というコメントを目にしました。速報性にはインターネットに負ける新聞こそ、氾濫する情報を分析し、詳しく正確な情報として提供すべきだというものでした。

9月以降、毎朝新聞をゆっくり読む時間はなくなった私の生活です。ざっと目を通す時に、気になる記事の掲載ページ番号を一面の上に赤ペンで書いておき、夜にもう一度その記事を読んで、おもしろいと思ったら切り抜きます。ブログネタの多くはこうやって見つけています。

切り抜きがたまる一方という弊害はありますが、その時の興味に応じて、自分なりに情報を集めている私です。自由に切り抜ける新聞の持ち味は、モニター画面から得られるものとはひと味違っているのです。

デジタル人間にはなりきれない世代なのですね、私は・・・

2009年11月19日木曜日

ちびもみじ


職場の植え込みで見つけたチビもみじ
葉っぱはちょっといびつだけれど、
ちゃんと赤くなりました

2センチたらずのチビもみじ
このままここで大きくなれるかな・・・

2009年11月18日水曜日

民族紛争・・・そして音楽

多民族国家だった旧ユーゴスラビア連邦が崩壊していく過程で、果てしない民族紛争が1991年から2000年にかけて続きました。

ウィキペディアにユーゴスラビア社会主義連邦共和国の説明としてこんなものがありました。

 ・七つの国境 (イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、
           ブルガリア、ギリシャ、アルバニア)
 ・六つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、
           ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)
 ・五つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、
           モンテネグロ人、マケドニア人)
 ・四つの言語(スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語)
 ・三つの宗教(ギリシャ正教、カトリック、イスラム教)
 ・二つの文字(ラテン文字、キリル文字)
 ・一つの連邦国家

民族同士が憎しみをぶつけ合って戦ったあと、表面上の平和(平穏)が訪れたあとも、人々にこころには不信や敵意の感情がくすぶっている・・・と感じたのはマケドニアの国立歌劇場での常任指揮者となった日本人の柳澤寿男(やなぎさわとしお)さんでした。

旧ユーゴ各地にあるオーケストラはそれぞれの多数派民族の出身者によって構成されているのだそうです。国境や民族を超えて一緒に演奏ができないかと考えた柳澤さん。2年前に「バルカン室内管弦楽団」を結成。民族の融合は不可能と思われていたこの地域で、年に一回のコンサートを続け、今年の5月には街の南北にアルバニア系住民とセルビア系住民が別れて住むコソボのミトロビツアという街で、南北の人々のこころをつなぐコンサートの開催にこぎつけました。

セルビア、コソボ、マケドニアの3民族15人の演奏家が集まって結成されたこの管弦楽団。
「最初の緊張していたが、練習の合間に菓子をつまんで雑談が始まった。信頼ができるにつれ、音の響きが変わっていくのを実感しました。」 指揮者冥利(みょうり)につきるコメントですね。

民族紛争とは全くかかわりのない、遠い日本からやってきた一人の指揮者。音楽を通して演奏家とそれを聞く人々のこころを一つにしたのです。その調べが日本にもやってきました。「バルカン室内管弦楽団」の最初の海外コンサートが東京で開かれました。

ラジオで柳澤さんの名前を2回耳にし、朝日新聞の夕刊のコラムで初めてそのフルネームを目にした私。すてきなエピソードがご紹介できました。

2009年11月17日火曜日

出して、出して!!!

一日中留守番してたんだよ
なのに、ケージからだしてくれない









しかたないから、一人遊び
おもちゃをケージの外にポイするの
でもおかあさん、
またケージの中に放り込むんだよ・・・いじわる!



今日は雨だから夜の散歩はなしだって
だからちゃんとおしっこしなさい・・・ってさ・・・
そんなこと言われても、急にはむりだよ・・・
出してよ!!!!


Chuck

2009年11月16日月曜日

ドナルド・キーン

日本の文学研究者として知られているドナルド・キーン氏。60年に渡って日本と関わってきた研究者のことばを読みました。第二次世界大戦中に日本語を覚えたキーン氏。戦後の日本をずっと見つめてきた方です。

日本人は「大きくなった」のだそうです。これは文字通り、サイズのこと。戦後すぐには、キーンさん自身は日本の社会では「大きい人」だったのですが、現在は「中ぐらいの人」になっているというのです。確かに日本人の体格は立派になりましたね。

その大きくなった日本人が「小さな世界に住むようになった」とありました。自分だけの世界に住む人が増えた、そういう意味のようです。

ですが日本人は国際化が進んでも、「自国意識」の強い国民であり、美しいものや自然への憧憬(しょうけい)と調和と簡素さを求めるこころは変わらない。キーンさんはそう言います。深いところではそれほど変化していないのが日本人なのだそうです。

バブル経済後、日本人は日本そのものや日本人としての自信を失っているような気がします。先行きが不透明な現在の社会で、日本人であることを誇りにできない風潮もあるようです。

そんな中、日本人に、日本に長年寄り添ってきたキーンさんのことばは大きな励ましだと思います。日本人って、日本の文化って、とても豊かですてきなんだよ。そんなメッセージをキーンさんのことばから感じました。

2009年11月15日日曜日

60歳になったら・・・

60歳になったら「笑っていること」

解剖学者の養老孟司(たけし)氏がラジオで言っていました

60歳を迎える人たちに、今さらあれこれアドバイスすることはないのだそうです

機嫌のいい人であること

それだけだそうです


(おまけ)

養老氏によると

「相手のことを考えられる唯一の生き物」が人間だそうです

最近は「人間」らしくない人が多いようで・・・


もう一つ

「自分という作品を完成させるために塗り残しがないように」

2009年11月14日土曜日

ご近所の秋

比叡山も・・・

さくらも・・・

いちょうも・・・

柿も・・・


青空に映(は)えるご近所の秋




PS: ぎっくり腰、どうやら回復しました。
明日(日曜日)から勤務再開します。
冷えないように。妙な座り方をしないように。しっかり歩くように。
もっと自分の身体の声を聞くように・・・・こころしたいと思います。

2009年11月13日金曜日

色見本

イギリスのウェッジウッドのカタログ
グレーのトイプードルがいました

カットは私好みではなく、
顔だけが白いのもちょっと・・・

でも・・・「こんな色になってよね」

Chuckに写真を見せて教育中・・・

2009年11月12日木曜日

天声人語

朝日新聞一面に掲載される「天声人語」。日本で一番名の通った新聞のコラムではないでしょうか?忙しくバタバタしている朝も、必ずざっと目を通しています。

この天声人語、ずっと細長い形状で、切り抜きを整理するにも、コピーするにも、難しいサイズでした。それが2008年4月から一行の文字数が少し増え (11文字から18文字へ)、コラムの形が、A4紙を三等分したぐらいの大きさになりました。今年の7月からは、小さく日付も入るようになり、切り抜きに は随分便利になりました。

近年、新聞の活字はどんどん大きくなりました。つまり、天声人語の総文字数は減ってきたことになります。限られたスペースでの表現で、▼は句点(。)と改行を同時に表すというルールのもと、620文字前後でまとめられています。原稿用紙の感覚でいうと、一枚半。

今朝の天声人語。森繁久弥氏を偲(しの)んだ文章です。

2009年11月12日(木)

生前のエピソードを交え、ご本人の人となりを見事に浮き上がらせ、そして最後はしっかりと締めくくってあります。

吟味(ぎんみ)されたことばの大切さを、今朝も天声人語を読みながら感じました。

2009年11月11日水曜日

セサミストリート #2

セサミストリートのミスターフーーパー役のWill Leeさんが心臓マヒでなくなったのは1982年のクリスマス。翌年1983年のThanksgiving Dayに放送された「フーパーさん、さようなら」です。

Farewell, Mr. Hooper

ビッグバードがフーパーさんの「死」が理解できないまま、フーパーさんにあげる似顔絵を描いてきました。

「フーパーさん、どこにいるの、これあげたいの」

「フーパーさんは死んだって聞いたでしょ?」

「うん、でもいつ戻ってくるの?」

「死んだ人はもう戻ってこないの」


それを聞いたビッグバード、寂しい、悲しい、会いたい・・・いろんな感情がわき上がってきます。彼にわかるようにやさしいことばで、なぐさめようとするおとなたち。

悲しみを一緒に分かち合う、とても静かないい場面です。最初は早い会話でスタートしますが、ゆっくりしたやさしい英語がとてもすてきです。

そして最後のことば
Just because....  (そうだから、そうなの・・・)

2009年11月10日火曜日

セサミストリート、40歳

11月10日、セサミストリートがスタートして丸40年の記念日。クッキーモンスターやビッグバードが活躍する画面をわが家の子ども達も食い入るように見 ていたものです。ミスターフーパーの店先はごちゃごちゃした町並みで、そこにあったゴミ箱の中からオスカーが飛び出してきていました。

最初の頃の画像がDVDになっていて、「intended for nostalgia purposes only」という文章が記載されているのだそうです。「昔を懐かしむためだけの目的」で作成しました、ということですね。

当時、クッキーモンスターはパイプを吸っていましたし、現在ではありえないほどの「汚い」街なみが再現されていたのです。自転車に乗っている子ども達で、ヘルメットをかぶっている子は一人もいません。現在の感覚では、「教育上よろしくない」内容です。

40年前、市街地の子ども達はまだまだ貧しく、セサミストリートでは、単に算数やアルファベットを画面で教えるだけでなく、その子ども達が「いいおとな」になるための社会性を身につけるために制作されていたとのこと。

色 んな場面を思い出すのですが、今でも私が覚えているのは「cooperation」(協力・協調)ということばを教えるシーンです。一人じゃできないこと も、誰かと一緒だとできるのだよ、そんな内容でした。一人じゃ生きられないんだよ。そんなメッセージをちゃんと伝えていたのだと思います。

画面上では時代遅れになっているかもしれない昔のセサミストリートですが、どんな時にも見る人のこころをほんわかさせる何かが流れている、そう思います。

'Sesame Street's' been swept, but the magic of show remains

Top 10 Sesame Street Moments

PS:今日、職場の病院で受診してきました。そんなに深刻ではないようです。やっぱり日にち薬。出会ったスタッフがそれぞれに、「大丈夫ですか」と「早くでてきて」と声をかけてくれました。心配してくれる仲間が一杯。うれしかったです。

2009年11月9日月曜日

せめて青空を・・・


素晴らしい青空の週末でした
私は生まれて初めての「ぎっくり腰」
初心者ですから、痛みにただただびっくり

今日は初めて欠勤してしまいました
起きあがるのに10分以上かかるのです
痛みの出ない起き方、模索中

当分「日にち薬」を信じておとなしくしています

せめてブログには青空を・・・

2009年11月8日日曜日

司法試験合格

息子の「お嫁さん」がやりました。ボルチモア州での司法試験に合格しました。

4年以上前にロースクール進学を決めてからは、全てが「勉強」だったようです。マメな息子が家事一般をこなしていました。彼女のお母さんがあるとき電話で、「あんなハズバンドはいないよ。家のことをみんなやってくれて、リポートの文章もチェックしてくれて・・」と言ったことがありました。彼の「母」として、ちょっといい気分でした。男子たるもの、マメでなくては!

大学を卒業したあと、京都にいた息子のところにやってきた「お嫁さん」。初めての日本でした。その後ほぼ4年、京都と東京に暮らしました。二人の将来を考えて、アメリカに戻り、仕事をしていた中で、ロースクール進学を決めたのです。30歳を越してからの決断です。

「家族」を考える時、色々迷いもあったことと思います。でもまず自分のやりたいことを優先させ、それを息子もしっかり支えたのです。

昨日、インターネットで自分の番号の横に「pass」という文字を見つけ、本当にほっとした、とメールにありました。司法試験の重圧からやっと解放されたのですから。

晩ご飯は息子のいつもより「きばった」ごちそうとシャンペンだったそうです。シェフとしての息子の生活は相変わらず続いているようです。

2009年11月7日土曜日

2003年2月15日

このタイトルの日、特別な日というわけではありません。仕事で、フロリダのオーランドに行き、半日の「休日」を作ってレンタカーで約50キロ離れたタンパに出かけたのがこの日でした。

ニューヨークヤンキースに松井秀喜が入団した年でした。松井に会えるかもしれない、とクライアントも私もミーハー的興味で出かけたのです。キャンプ地と言っても、毎年ヤンキースが使用する球場は「レジェンド・フィールド」と呼ばれ、過去の名選手の名前があちこちに書いてありました。アメリカ野球に興味のある人には懐かしい名前がずらりと並んでいるのです。日本人らしい姿もけっこう見かけました。

残念ながら、その日、松井はその球場に姿を見せませんでした。「明日は来るはず」と言われても・・・ギフトショップにはMATSUIと書かれたティーシャツがずらり。これは日本人観光客向けだったのでしょう、きっと。

あ れから7シーズン目。とうとうワールドシリーズのMVPになりましたね。ケガにも悩まされたここ数年。でも大舞台で力を発揮するのはさすがです。入団当 時、「ヤンキースのワールドシリーズ優勝に貢献したい」と言った、そのことばが実現してのですから、すごいです。まさに夢がかなったというとこですね。優勝の歓喜の輪の中に彼の笑顔を、「7年分の笑顔なんだと納得した」と朝日新聞の天声人語にもありました。

来シーズンの去就が注目される中、もし来年も松井がヤンキースのメンバーなら、あのタンパのギフトショップには、またMATSUIグッズが並ぶのでしょう。そして将来、MATSUIの名前もあの野球場のどこかに刻まれるのでしょうか。



2009年11月6日金曜日

ぼちぼち帰る?


秋の夕暮れ ねぐらに帰る相談中のみなさん

ねえ、どこに帰るの?

2009年11月5日木曜日

新しいスタッフ

11月から職場に新しい介護スタッフが加わりました。ケアマネージャーも経験した大ベテランです。「新しい職場ではゼロからのスタートですから」ととても謙虚に「先輩達」からのアドバイスを受けている彼女、今日は「さすが」というところを見せてくれました。

足元が不自由な90歳を超えた男性が、ベッドに座っていて、ずり落ちてしまったのです。奥さんからインターフォンで「滑ってしまいました」という連絡がありました。身体の大きな男性なので、若いスタッフと二人で部屋まで走っていったこのベテランさん。一人で、ヒョイとこの男性を持ち上げてベッドに座らせてしまったとか。

自分の力で持ち上げるのではなく、ズボンの後をしっかりつかんで、思い切りよく斜め後に引っ張り上げたそうです。この男性もうまく力を抜いた状態だったそうで、首尾良(しゅびよ)くベッドに座ることができたとか。

オフィスに戻ってきた彼女に、仲間のスタッフが床に座り込んで、引っ張り上げてもらっていました。先輩の手慣れた技に、引っ張り上げてもらったスタッフもただただ感心するのみ。

ゆったりとしたこのベテランの加入で、きっと職場の雰囲気も変わってくると思います。介護に対してのしっかりした彼女の信念をことばの端々(はしばし)に感じる私。こころからこの出会いに感謝、そして期待しています。

2009年11月4日水曜日

老舗

老舗(しにせ)とは「代々続いて同じ商売をしている格式・信用のある店」のこと。創業100年を超える老舗企業が全企業に占める割合を都道府県で比べると、もちろん第一位は京都、となりそうなのですが、あにはからんや、トップは山形県だそうです。

山形県2.53%、京都府2.46%、以下は新潟、三重、長野、福井、滋賀と続きます。

山 形県の鶴岡市にある機械・部品製造業の「伊藤鉄工」という会社が一番古い創業で1189年、何と平安時代に遡(さかのぼ)るのだそうです。平安時代で機 械・部品製造があった?と思わないでもないですが、この企業は鎌倉時代には鋳物(いもの)を製造し、神社の鐘(かね)などを作っていたとか。長い歴史の中で、その時代に合っ た商品を作り続けているということなのですね。この会社は、現在はバルブや水量を計測する電磁流量計などを製作しているのだそうです。

家訓は「細く長く」とか。確かに長いですね。800年を越す歴史です。

目先の利益に囚(とら)われることなく、地道に続いてきたのが本当の老舗。広く社会に認められたからこその実力を感じます。

2009年11月3日火曜日

気象予報士

国家資格として人気のある気象予報士。1994年に第一回の試験が始まりました。それまでのちょっと肩を張ったような気象解説ではなく、気象予報士それぞれ独特の解説が聞けるようになりました。

私はもっぱらラジオで天気予報を聞いていますが、NHK朝一番に出演している伊藤みゆきさん。その日のお天気の特徴を「五七五」調にまとめてくれることがあります。昨日の朝の五七五は冬将軍 1泊2日で やってくるでした。(彼女のブログを発見)

今朝の五七五は「冬将軍 午後には日本を後にする」。

そして今日の放送の中では「青空・雪・紅葉の三段染めがみられますよ」という解説もありました。

天気の予報技術だけでなく、その表現力が問われる気象予報士。どの世界も「ことば力」が必要なようです。

2009年11月2日月曜日

立っちです

立っちがよくできるChuckです
ちょっと失礼・・・でのぞきこんだり
テーブルの上のおかしを取ろうとしたり

もうすぐ二本足で歩きます・・・うそです

2009年11月1日日曜日

Obamu・・・?

TimeにLexiconという小さなコラムがあります。「用語集」という意味のこのコラムにObamuということばが出ていました。

Obamu v.-A slang term gaining popularity among Japanese youth.日本の若者がよく使っているスラング・・・だそうです。

「不適当だとか不便だと感じる事実や現実を無視し、“Yes we can, yes we can”と考える楽観主義。「拒む」Kobamuの反対語という解説もある。」という説明が続いていました。

でもネットで「オバム」を検索してもこんな意味がありませんでした。どこかで使い始められたことばが早々にTimeに掲載されたのでしょうか?

もしどこかでObamuっていうことばを耳にしたら、「知ってるよ!」って解説なさってみてくださいな。