1964年の東京パラリンピックの準備期間中、通訳の数が足りないことを知った皇后陛下がお友達に声をかけてボランティアを募っていらした、というエピソードを以前に読んだことがありました。
私たちの日本車いすフェンシング協会を20年来支えてくれているイギリス人のブライアン・ディッケンソンさんが、選手として東京パラリンピックに参加した時、当時の皇太子ご夫妻を何度か目にしたと話してくれたこともありました。
朝日新聞のパラリンピックと両陛下という記事で、日本でパラリンピックを開催するために、両陛下がより深く関わっていらっしゃったことを知りました。
記事の中で、初めてのメダル獲得となった卓球男子ダブルスの選手は当時、医療用の車いすを使っていたとありました。現在のパラリンピックではそれぞれの競技で使用する特別の車いすを選手たちは使っています(車いすフェンシングも)。
1964年当時に比べると、日本においても障がい者スポーツの認知度も上がり、2020年の大会は「オリンピック・パラリンピック」と必ず連記されるようにもなりました。競技性も高まった障がい者スポーツは、スポーツとして健常者スポーツと変わりがないという認識もやっと高まってきたのです。
日本のパラリンピック、障がい者スポーツの発展は、天皇皇后両陛下のご配慮が欠くことの出来ないものであったことをこの記事で再確認しました。
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