インターネットで小さな注文をしました。Amazonや楽天のようなサイトからではなく、会社に直接注文しました。
数日たって、「あれっ、まだ届いていない」と気がつきました。ネットで注文すれば、在庫がある限り、翌日には届くものと思っていたからです。まだ発送通知のメールもありません。
特に急いでいたものでもなく、翌日に届く必要も全くないのですが「遅いな」と感じてしまう私。
インターネットで簡単に注文できて、それが「すぐに」届く。今の世の中は宅配便の普及で、それが当たり前になっています。これを支えるのは、個々の荷物を確実に届けるために走り回るドライバーさんたちの努力。なのに、少しでも配達が遅れることがとても気になる私たち。
確かに便利、ですが、その陰で、小回りのきく小売り店が次々となくなり、この便利さを利用できない、インターネットを使わない人たちもたくさん存在する現実。
私の注文した「小さな荷物」、もうしばらく待ってみることにします。
2015年4月30日木曜日
2015年4月29日水曜日
マメごはん
春には「絶対」食べなきゃいけないマメごはん
さやに入ったうすいえんどうが出回る時には必ず
小さなパックが300円を越していた今年のおマメ
中に入っていたさやはたった15個
今年のマメごはんはマメが少ない
いつもは緑がいっぱいのマメごはんなのにな・・
2015年4月28日火曜日
ネパールの大地震
4月25日、日本時間午後3時11分に発生したネパールの大地震。すぐに日本在住のネパール人の元留学生二人にメールしました。「家族は無事でした」と二人からは翌朝に返信がありました。知り合いの家族が無事であったことにホッとした私でした・・が、その後の報道で、被害の大きさにただただ驚くばかりです。
首都カトマンズ出身の女性のご両親は、余震が続く中、地震発生直後屋外に避難していたようですが、広場は人であふれ、横になれないほどだったので、家に戻ろうかどうしようか思案していたとか。カトマンズから車で4時間近く東にある村の出身の男性の家は壁にひびが入り、近所には倒壊した家屋もあったようです。
地震発生から3日、生存の可能性のリミットと言われる72時間が近づきます。がれきの下に、そしてヒマラヤの雪崩の下に閉じ込められている人たちに救援の手が届きますようにと祈るばかりです。
登山家野口健さんのブログに地震発生後のヒマラヤ地域のことが詳しく掲載されています。
首都カトマンズ出身の女性のご両親は、余震が続く中、地震発生直後屋外に避難していたようですが、広場は人であふれ、横になれないほどだったので、家に戻ろうかどうしようか思案していたとか。カトマンズから車で4時間近く東にある村の出身の男性の家は壁にひびが入り、近所には倒壊した家屋もあったようです。
地震発生から3日、生存の可能性のリミットと言われる72時間が近づきます。がれきの下に、そしてヒマラヤの雪崩の下に閉じ込められている人たちに救援の手が届きますようにと祈るばかりです。
登山家野口健さんのブログに地震発生後のヒマラヤ地域のことが詳しく掲載されています。
2015年4月27日月曜日
「課題検討会」
JR宝塚線脱線事故の被害者家族とJR西日本が、事故の背景を合同で検証しようとして立ち上げたのが「課題検討会」。なぜ事故が起きたのか、再発を防止するためには何が必要なのかを話し合った場となりました。この検討会は被害者側からの提案でスタートしたものでした。
JRの責任追及をする場ではなく、真実の解明を優先させること、それがこの会合の基本でした。立場が全く違うものが集う中、冷静に話し合いが続けることは大変であったと想像されます。ですが、どんな状況でも対話を続けようと参加者みんなが努力したといいます。
JRが事故後、運転手に「定時運行へのプレッシャー」を尋ね、30人中3人が「ある程度感じる」「とても感じる」と答えたアンケート結果に、会社側はプレッシャーに感じる運転手が一割だったと思ったのに反し、被害者側の理解は「一割もの運転手がプレッシャーを感じている」というものでした。立場が違うと見方が相反する現実を双方が改めて感じ取った検討会だったようです。
「私自身がもし被害者家族の立場なら、大切な家族を奪った企業の社員を前にして、とても冷静にはなれないだろうと思いました。ご家族の方々の真摯な態度に感銘を受けました」と参加していたJR社員のコメント。相手の非を責めるのではなく、真実を知りたいと冷静な態度を保った被害者家族の方々の強い想いが、事故の教訓を将来に活かしていくのだと感じました。
JRの責任追及をする場ではなく、真実の解明を優先させること、それがこの会合の基本でした。立場が全く違うものが集う中、冷静に話し合いが続けることは大変であったと想像されます。ですが、どんな状況でも対話を続けようと参加者みんなが努力したといいます。
JRが事故後、運転手に「定時運行へのプレッシャー」を尋ね、30人中3人が「ある程度感じる」「とても感じる」と答えたアンケート結果に、会社側はプレッシャーに感じる運転手が一割だったと思ったのに反し、被害者側の理解は「一割もの運転手がプレッシャーを感じている」というものでした。立場が違うと見方が相反する現実を双方が改めて感じ取った検討会だったようです。
「私自身がもし被害者家族の立場なら、大切な家族を奪った企業の社員を前にして、とても冷静にはなれないだろうと思いました。ご家族の方々の真摯な態度に感銘を受けました」と参加していたJR社員のコメント。相手の非を責めるのではなく、真実を知りたいと冷静な態度を保った被害者家族の方々の強い想いが、事故の教訓を将来に活かしていくのだと感じました。
2015年4月26日日曜日
不審物発見
時は今年の4月上旬
場所は京都、疎水べり
雨模様の中、警察官が二人登場
「不審物発見!」
水道局の職員さんも登場
あれ、また登場
不審物を手元に引き寄せます
不審なものではなく、ゴミだったみたい・・・
2015年4月25日土曜日
10年の月日
4月25日、JR宝塚線(福知山線)の脱線事故から10年。107人の死者、562人の負傷者がでた大惨事。世界中を駆け巡った事故の報道。息子の奥さんのお母さんから「大変な事故のようね、大丈夫?」と心配したメールがその日のうちにアメリカから届きました。
被害者家族にとって、この10年は亡くなった人への想いがつのる日々であったはず。この10年、JRの職員が「被害者担当」としてずっと寄り添ってきたという新聞記事。事故発生の時から、原則として各遺族に二人ずつ担当職員がついたのです。
被害者の悲しみ、怒りに向かい合い、それを受け止め、加害企業の責任を果たそうとした担当職員と、被害者家族の間に、この10年間に心が通じ合い、信頼関係も生まれてきたケースがあるとのこと。
事故から7年間担当し、持病の悪化で急逝した担当社員の写真を、亡くした娘の写真のわきに飾る遺族。担当社員の家族も交えて交流を続ける遺族。両親を事故で亡くし、現在東京で暮らす一人息子の自分の代わりに、毎月25日には金沢市にある墓を参ってくれる社員に感謝する遺族。
遺族とJRとの補償交渉には関わらず、ただ遺族のそばに寄り添うだけの担当社員。遺族とのやりとりの中でこころを病んでしまった担当職員もいたという現実もある中で、加害企業の社員と被害者家族という関係から、人間同士の信頼関係を育むことにもなったこの10年。
被害者家族にとって、この10年は亡くなった人への想いがつのる日々であったはず。この10年、JRの職員が「被害者担当」としてずっと寄り添ってきたという新聞記事。事故発生の時から、原則として各遺族に二人ずつ担当職員がついたのです。
被害者の悲しみ、怒りに向かい合い、それを受け止め、加害企業の責任を果たそうとした担当職員と、被害者家族の間に、この10年間に心が通じ合い、信頼関係も生まれてきたケースがあるとのこと。
事故から7年間担当し、持病の悪化で急逝した担当社員の写真を、亡くした娘の写真のわきに飾る遺族。担当社員の家族も交えて交流を続ける遺族。両親を事故で亡くし、現在東京で暮らす一人息子の自分の代わりに、毎月25日には金沢市にある墓を参ってくれる社員に感謝する遺族。
遺族とJRとの補償交渉には関わらず、ただ遺族のそばに寄り添うだけの担当社員。遺族とのやりとりの中でこころを病んでしまった担当職員もいたという現実もある中で、加害企業の社員と被害者家族という関係から、人間同士の信頼関係を育むことにもなったこの10年。
2015年4月24日金曜日
2015年4月23日木曜日
ソロ・ウェディング
ニュースの中の特集で見た「ソロ・ウェディング」。京都の旅行会社が「京都で結婚式を挙げませんか」というプランを作ったというのです。参加するのは「女性一人」「ソロ」です。京都旅行をしてウェディングドレス(打ち掛けもあり)を着てみたいという女性を対象としたこの旅行商品がヒットしているとか。
料金は一泊二日で32万円。相当な出費ですが、ドレスレンタル、メイキャップなど、全て込み。スタッフの丁寧な対応に「お姫様気分」も味わえる時間となるのだそうです。
京都へ行きたい、変身してみたい、二つを同時に叶えるこの企画は女性のアイディアで生まれたもの。海外からも問い合わせがあるというのです。一緒にテレビを見ていた「おじさん」がひとこと、「わからんな、なんで・・・」。私はわかるけれどな・・・
料金は一泊二日で32万円。相当な出費ですが、ドレスレンタル、メイキャップなど、全て込み。スタッフの丁寧な対応に「お姫様気分」も味わえる時間となるのだそうです。
京都へ行きたい、変身してみたい、二つを同時に叶えるこの企画は女性のアイディアで生まれたもの。海外からも問い合わせがあるというのです。一緒にテレビを見ていた「おじさん」がひとこと、「わからんな、なんで・・・」。私はわかるけれどな・・・
2015年4月22日水曜日
2015年4月21日火曜日
大綱
「今後“おおつな”に準じた検討を行う予定です」
テレビのニュースから聞こえてきたことばに私の耳がピンと立ちました(アニメじゃあるまいに・・・)「おおつな???それ、たいこうじゃないの???」
しばらくすると、相方(あいかた)のアナウンサーが「さきほど“おおつな”と言いましたのは“たいこう”の誤りでした。訂正いたします。もうしわけございませんでした」
「綱」という漢字と「網」がこんがらかる私。辞書で確認してみました。
「綱」とは網をしめくくる元綱(もとづな)を意味し、そこから要(かなめ)や大体の骨組みの意味が生じた、とありました。
同じ漢字で場面によって読み方が変わるのですから、日本語は難しい。でもニュースは「下読み」するはずですよね。一人で声に出さないで読んだのかな。この失敗をしたキャスターさん、さぞかしめげたことでしょうね。誰にでも間違いはありますものね、気にしないで!
テレビのニュースから聞こえてきたことばに私の耳がピンと立ちました(アニメじゃあるまいに・・・)「おおつな???それ、たいこうじゃないの???」
しばらくすると、相方(あいかた)のアナウンサーが「さきほど“おおつな”と言いましたのは“たいこう”の誤りでした。訂正いたします。もうしわけございませんでした」
「綱」という漢字と「網」がこんがらかる私。辞書で確認してみました。
「綱」とは網をしめくくる元綱(もとづな)を意味し、そこから要(かなめ)や大体の骨組みの意味が生じた、とありました。
同じ漢字で場面によって読み方が変わるのですから、日本語は難しい。でもニュースは「下読み」するはずですよね。一人で声に出さないで読んだのかな。この失敗をしたキャスターさん、さぞかしめげたことでしょうね。誰にでも間違いはありますものね、気にしないで!
2015年4月20日月曜日
ひなたぼっこ中
松の枝にカメが登った・・わけはなし
宝ケ池の水面(みなも)に垂れた松の枝
そこにカメがやってきてひなたぼっこ中
手前の岸もひなたぼっこカメで混雑中
まだ上がってくるカメもいて
よく見ると、あちこちでひなたぼっこ中の方々が
2015年4月19日日曜日
漁船の事故
宮城県南三陸町の漁船が転覆
乗組員三人、一人が死亡、二人が行方不明
船長は37歳、乗組員は34歳と20歳
東日本大震災で船が流出
去年の秋に進水した新しい船
その船に乗り込んでいた三人
復興を支える若い力
周囲から期待されていた行方不明の船長
あの大きな災害で生き延びたというのに
勤めていた工場をやめて
船に乗り始めたばかりの20歳の乗組員
仮設住宅から復興住宅へ
転居が目前だった34歳の乗組員
転居が目前だった34歳の乗組員
不慮の事故で命を落とした(であろう)三人の海の男たち
2015年4月18日土曜日
2015年4月17日金曜日
耳鼻咽喉科
母が存命だった頃、耳鼻咽喉科に連れていこうと思った時がありました(何のためだったか、それは失念)。近くに新しくできた医院に連絡して、高齢の母を長時間待たせられないので、先に診察の順番取りができないか聞いてみました。「当院では、みなさんにお待ちいただいておりますので」という返事。受診はあきらめました。
昨年末から左耳の聞こえが悪く、花粉症で鼻もムズムズなので、ウン十年ぶりに耳鼻咽喉科へ行かなきゃ、と思った私。上記の医院のホームページを読むと「丁寧な診察をこころがけていますので、お待ちいただくことになります」とありました。受診するとなると午前中はつぶれそうな気配。その時、もう一つのご近所の耳鼻咽喉科を思い出して「あっちへ行こう」とさっそく自転車で。
懐かしい、古い医療機器が並ぶ診察台。鼻の治療器具や耳の聞こえをチェックしたり、鼓膜を刺激する器械も年代物。「点鼻薬と内服薬をだしましょうか」「内服薬はほとんど飲まないので・・・」「じゃあ、点鼻薬だけで」とあっさりした会話の年配の先生。「聞こえを良くする薬もあるけれど、それもやめておきましょう」「また調子がおかしくなったら、来てください」それで治療は終了。
最新の治療機械ではなかったけれど、私に合った(?)ゆったりした耳鼻咽喉科。待ち時間もなく、予想よりずっと早く帰宅できました。何だか得したような朝でした。
昨年末から左耳の聞こえが悪く、花粉症で鼻もムズムズなので、ウン十年ぶりに耳鼻咽喉科へ行かなきゃ、と思った私。上記の医院のホームページを読むと「丁寧な診察をこころがけていますので、お待ちいただくことになります」とありました。受診するとなると午前中はつぶれそうな気配。その時、もう一つのご近所の耳鼻咽喉科を思い出して「あっちへ行こう」とさっそく自転車で。
懐かしい、古い医療機器が並ぶ診察台。鼻の治療器具や耳の聞こえをチェックしたり、鼓膜を刺激する器械も年代物。「点鼻薬と内服薬をだしましょうか」「内服薬はほとんど飲まないので・・・」「じゃあ、点鼻薬だけで」とあっさりした会話の年配の先生。「聞こえを良くする薬もあるけれど、それもやめておきましょう」「また調子がおかしくなったら、来てください」それで治療は終了。
最新の治療機械ではなかったけれど、私に合った(?)ゆったりした耳鼻咽喉科。待ち時間もなく、予想よりずっと早く帰宅できました。何だか得したような朝でした。
2015年4月16日木曜日
2015年4月15日水曜日
2015年4月14日火曜日
時刻表
JTBの時刻表がこの4月号で創刊90周年となったという新聞記事。全盛期には200万部が売れていたけれど、最近はネットで気楽に調べられるご時世となり、販売部数は減少。でもいまだに毎月9万部が売れているというのは立派。
私の時刻表との出会いは必要に迫られたから。浪人時代、アメリカ人夫婦と九州、中国地方を旅行。まだ英語もおぼつかなかったのに「僕たちの通訳」と紹介されてくすぐったかったこと。
陶芸家のご主人は私以上に日本の陶芸に詳しく、山間の名前を聞いたこともない街が目的地だったりしました。ガイドを兼ねた私は、急きょ、時刻表を買って「どうやってたどり着くのか」の解明に四苦八苦。でもそのおかげで、時刻表から旅を作り出す楽しさも知りました。
後日、このご夫婦のところでホームステイする留学が本決まりに。私の人生の大きな転機となった旅、時刻表との出会いとともに、懐かしい思い出です。
今でも新幹線で動く時には、必ず小さな無料の時刻表を手にする私。時の流れがわかるのが好きなのです。
私の時刻表との出会いは必要に迫られたから。浪人時代、アメリカ人夫婦と九州、中国地方を旅行。まだ英語もおぼつかなかったのに「僕たちの通訳」と紹介されてくすぐったかったこと。
陶芸家のご主人は私以上に日本の陶芸に詳しく、山間の名前を聞いたこともない街が目的地だったりしました。ガイドを兼ねた私は、急きょ、時刻表を買って「どうやってたどり着くのか」の解明に四苦八苦。でもそのおかげで、時刻表から旅を作り出す楽しさも知りました。
後日、このご夫婦のところでホームステイする留学が本決まりに。私の人生の大きな転機となった旅、時刻表との出会いとともに、懐かしい思い出です。
今でも新幹線で動く時には、必ず小さな無料の時刻表を手にする私。時の流れがわかるのが好きなのです。
2015年4月13日月曜日
普賢象
象さんの名前ではありません
八重桜の名前です
二本のびためしべを
普賢菩薩(ふげんぼさつ)が乗られた
象の二本の牙になぞらえた、とか
道場の入り口わきに咲いています
濃いピンクの独特のつぼみ
ピンクのグラデーションがすてきです
少し白っぽくなったかな
急な寒の戻りでとてもゆっくり開花しています
気ぜわしかった今年のお花見
最後に、ゆっくり楽しめる桜を発見です
2015年4月12日日曜日
準備完了
「4月12日は練習はできませんので・・」
車いすフェンシング道場
旧山王小学校を管理していらっしゃる先生から
11日、道場の二つ向こうの教室が
統一地方選挙の投票所に変身
写真撮影は前日だから許していただくことにして・・・
閉校となった小学校も
まだまだ地域のイベントにとっては大切な場所
もちろん車いすフェンシングにとっても
2015年4月11日土曜日
2015年4月10日金曜日
留学生
1989年から約20年間、アジアからの留学生たちとの活動を続けてました。小さな奨学金財団でしたが、東京と京都で毎年新しい留学生たちとの出会いがありました。
財団創設当時は、中国からはよりすぐりの国費留学生が多く日本に来ていました。中国の将来を担う人材としての派遣でした。中国と韓国からの留学生の応募が多かった時代から、しばらくすると東南アジアの留学生の応募が増えてきました。それぞれの国の発展状況が留学生の変化によって感じられたものでした。財団活動の後期になるとより多くの国籍の留学生との出会いがありました。
先日の朝日新聞の「特派員メモ」に、内戦が続くシリアの女子学生が奨学金をもらって日本留学が決まったことを知らせてきたという記事がありました。ダマスカス大学で日本語を専攻するこの女子学生は、迫撃砲の音が聞こえる中で、熱心に助詞の「が」と「は」の違いなどを質問していたそうです。日本のアニメを好きになって、インターネットで独学し、大学入学時には日常会話には不自由しないレベルになっていたとか。
「毅然(きぜん)として努力を続ければ、何でもできる。私の夢は奨学金を得て、日本で文学博士号を取ること」と語っていた彼女の夢の第一歩が始まります。
こころ引かれた小さな記事でした。
財団創設当時は、中国からはよりすぐりの国費留学生が多く日本に来ていました。中国の将来を担う人材としての派遣でした。中国と韓国からの留学生の応募が多かった時代から、しばらくすると東南アジアの留学生の応募が増えてきました。それぞれの国の発展状況が留学生の変化によって感じられたものでした。財団活動の後期になるとより多くの国籍の留学生との出会いがありました。
先日の朝日新聞の「特派員メモ」に、内戦が続くシリアの女子学生が奨学金をもらって日本留学が決まったことを知らせてきたという記事がありました。ダマスカス大学で日本語を専攻するこの女子学生は、迫撃砲の音が聞こえる中で、熱心に助詞の「が」と「は」の違いなどを質問していたそうです。日本のアニメを好きになって、インターネットで独学し、大学入学時には日常会話には不自由しないレベルになっていたとか。
「毅然(きぜん)として努力を続ければ、何でもできる。私の夢は奨学金を得て、日本で文学博士号を取ること」と語っていた彼女の夢の第一歩が始まります。
こころ引かれた小さな記事でした。
2015年4月9日木曜日
2015年4月8日水曜日
2015年4月7日火曜日
医療化
長尾和宏医師のブログ、“町医者だから言いたい!”の中で見つけたことばです。
自分の不調に自己判断で病気を造り出す患者、その原因は本人の「不安」にあるのだとか。一方、医師が病気を造り出すことが「医療化」というのだそうです。まず病名をつけて、その症状に効くだろうという薬を与える。「新しい病気」ができれば、「新しい薬」の市場ができる。「医療化」が製薬会社の利益につながる。
近代は医学が目覚ましく進歩した、そう言われても、病人は増えるばかり。移植医療のような「超高額医療」は確かに進歩したのでしょうが、何か釈然としないところがあります。少しの不調に「まず、お薬を」と私たち現代人は訓練されてしまっているのかもしれませんね。
昨年11月末の食中毒以降、最近になく体調を崩した私でしたが、ビタミン剤以外は何も飲まないままに過ごしていました。しんどいけれど、お医者さまにかかる状態ではない、そう感じていたからです。(もちろん、体調管理アドバイザーからはあれこれ知恵をもらっていましたが・・)
自分のからだとの対話がいかに大切か、文字通り「身をもって」体験した私でした。
自分の不調に自己判断で病気を造り出す患者、その原因は本人の「不安」にあるのだとか。一方、医師が病気を造り出すことが「医療化」というのだそうです。まず病名をつけて、その症状に効くだろうという薬を与える。「新しい病気」ができれば、「新しい薬」の市場ができる。「医療化」が製薬会社の利益につながる。
近代は医学が目覚ましく進歩した、そう言われても、病人は増えるばかり。移植医療のような「超高額医療」は確かに進歩したのでしょうが、何か釈然としないところがあります。少しの不調に「まず、お薬を」と私たち現代人は訓練されてしまっているのかもしれませんね。
昨年11月末の食中毒以降、最近になく体調を崩した私でしたが、ビタミン剤以外は何も飲まないままに過ごしていました。しんどいけれど、お医者さまにかかる状態ではない、そう感じていたからです。(もちろん、体調管理アドバイザーからはあれこれ知恵をもらっていましたが・・)
自分のからだとの対話がいかに大切か、文字通り「身をもって」体験した私でした。
2015年4月6日月曜日
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