50年前に東海道新幹線が開通したとき、乗客は「夢の超特急」の時速200キロを期待して乗車していたようです。開通の日、新大阪からの列車を担当した当時の運転手さんのコメントです。
「東京と新大阪間を4時間で走るスケジュールでは時速200キロを出す必要はありません。ですが、車掌から、いつ200キロを出すのかと乗客からの問い合わせがある、と運転席に連絡がありました。京都駅を出て、トンネルの中はスピード感覚がありませんから、少しスピードを落として走行。トンネルを出てから200キロを出したのですが、お客様は大満足でした」
現在では考えられないこと。運転手さんの判断でできたなんて、本当かしらと思いますが、200キロがとんでもない速度であったからこそ。
新幹線構想は戦前からあって新丹那トンネルはその頃から掘削(くっさく)されていたトンネルを利用した、三年たらずの本格的工事で開通にこぎつけたのは、東京オリンピック開幕の10日前だったなどなど、新幹線50周年で、あれこれ知ったエピソードは一杯。
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