「自助努力が足りない・・・」
このことば、ある時期、失業して次の仕事が見つからない人などにかけられていたように思います。何か失敗をした人にも、努力不足を指摘して、「自助努力だよ・・・」という風にも。
努力とは、自分でがんばることですが、では「自助」とは一体何なのでしょうか。何であっても、自分一人で必死になることなのでしょうか?
「助けられ上手」という小さなコラムを読んでホッとしました。
東京江東区での「支え合いマップ」づくりが進行しているという記事でした。地域のお年寄りや障害のある人たち自身から「助けて」と声をあげてもらい、その人たちを支えてくれそうな「世話焼きさん」とつなぐ取り組みだそうです。
この記事の中では「自助とは、助けてくれる人をみつけること」とありました。「家族のことは言わない」「家に他人が入ってくるのはいやだ」など、まだまだ閉鎖的な状況で生活している人はいっぱいです。たとえ、生活そのものが不自由になっても、どうにか「自助努力」を続けようとする人たちです。
ですが、「助けてほしい」という意志表示をし、「了解、なにをしましょう?」という人がいるならば、きっと、生活の質は大きく変化するはずです。
頼まれなくても行動する世話焼きさんは少ないが、「頼まれれば、他人を助けたい」と考える人は多い。その力を引き出すには「困った、助けて」と上手に頼めることこそ必要なのだ、とコラムにありました。
介護保険などの公的なサポートシステムだけでなく、地域に根ざした、新しい形の「おせっかいなお隣さん」たちが増えればいいですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿