2010年12月31日金曜日

10年日記


2001年から書き続けた10年日記。今日で最後です。「次」をどうしようか、今回はあれこれ考えました。10年間の記録が一つにまとまるのはとても楽しいのですが、日記帳が大きくて重い。それが段々気になっていたのです。

3年日記か5年日記に代えようかなと思っていたところ、偶然見つけたA5サイズの10年日記。これにしました。書き込むところは小さくなりますが、それはそれでいいのです。

11月に目にした朝日新聞の投書に、「喜び悲しみ10年日記」というのがありました。70歳から書き続け、80歳になったところで、「次」をどうしようか、と思案している方の文章でした。10年の間にはご夫婦の金婚式や孫達の大学入学があり、その後にご主人を見送ったとのこと。「いま80歳9ヶ月。もしまた10年日記にすると90歳まで。元気で日記を書き込むことができるだろうか」と書かれたこの方はどうなさったのかな。やっぱり「次」も10年日記でしょうか。

今日、12月31日の天声人語に、「ためらわず十年日記求めけり」(水原春郎)という句が掲載されていました。ちょっと今回は「ためらった」けれど、明日から新しい10年日記をスタートさせます。

母を見送った今、まっさらな日記にどんなことが書けるのでしょうか。楽しみです。

今年の日めくりの31日のことば:
    「去りゆくすべての人と物と事とに感謝せよ、新しき良きもの来る」

みなさま、よいお年をお迎えください。

2010年12月30日木曜日

コンビニおにぎり

娘がアメリカに戻る時、京都駅に車で送っていく途中、コンビニで必ず買い物をします。おにぎりを買うのです。気に入ったものがないと、「はい、次」と言って、「次」のコンビニを探します。飛行機の機内食がきらいな娘は、このおにぎりを食べるのがとても楽しみなのだそうです。

昨日、息子がアメリカに戻りました。今回は帰り際に、「ごちそうさま」と言うほど食べ続けた10日+αでした。そして、息子もコンビニのおにぎりを買って行きました。関空からシアトルまでのフライトは食事が出ますが、アメリカ国内は、彼の会社のSouthwest Airlinesを乗り継いでボルチモアまで帰るので、機内での食事サービスはなし。途中でこのおにぎりを食べるのだそうです。

いそいそとジップのついたビニール袋にきっちりおにぎりを詰めている息子に、「賞味期限が切れてしまうよ・・・」と言ったのですが、「時差で、賞味期限内になるからいいか」と、ワケのわからない理由でなんとなく納得していた私です。

長くアメリカに住んでいても、わが家の子ども達の食べ物の好みは日本食。胃袋は生粋(きっすい)の日本人。(娘は今でも日本の胃薬を愛用しています)

2010年12月29日水曜日

従業員第一

息子が勤務しているのはアメリカのSouthwest Airlines。1970年代にスタートした「格安航空」の先駆けの会社です。

徹底的な合理主義の経営方針で、座席の予約はなし、機内清掃は乗務員が行う、同一の機種のみを使用する、短い距離をバスの感覚で運航する・・・など、サウスウェスト航空の経営学として、日本でも有名になった会社です。

この会社のもう一つの大きな特徴は、従業員第一であること。ずっと以前のエピソードですが、飛行場のカウンターで、係員に文句を言っている乗客に対して、偶然居合わせた社長が、「我が社の社員にご不満でしたら、どうぞ他の飛行機会社をご利用ください」と言ったとか。社員の「自分の会社」という意識が高く、仕事の合理化も多くは社員が考え出したものだそうです。

この会社の人事部に勤める息子宛に、ボルチモアのオフィスからお供えのお花が届きました。仲間の家族が亡くなった時、お花を届けるのが習慣になっているようです。出発前に一応辞退してきた、と息子は言っていたのですが、ちゃんと送られてきました。

お花やさんの「代筆」のメッセージに、暖かいお悔やみの文章がありました。

「合理化」の名の下に、不況になれば人員整理をするのが当たり前のアメリカの会社。(現在では日本でも当然になってしまっていますが・・・) 従業員を大切にする「珍しい」この会社は、9・11のあとも、アメリカで唯一収益が落ちなかった航空会社です。

どんな時代であっても人を大切にする会社はしっかり生き残り、業績を上げていくようです。そこで働けることをこころから楽しんでいる息子です。

2010年12月28日火曜日

読者第一号

ご近所の小さな公立図書館。入り口近くに新刊の棚があります。時間のない時は、いつもその棚だけをチェックしています。新刊と言っても、ベストセラーを手にすることはありません。みんなが読みたい本は予約が一杯ですから、棚には並ばないからです。

先日借りた本。私が第一号だったようです。本のひもが「新品」の状態でした。ちょっとうれしい本との出会いでした。

今年の年末年始はゆっくり本が読めるかな・・・

2010年12月27日月曜日

Obamaをゲット



滋賀県高島市まで息子と出かけました
最初に立ち寄ったのは、「高島市新旭水鶏観察センター」
白くなった山を背景に、びわこ岸に水鳥がいっぱい



遠くに竹生島(ちくぶしま)を望む知人の別荘
おもちつきを見学したあと、バーベキュー
雪の天気予報が見事にはずれたいいお天気



帰り道小浜(おばま)の道路サインを撮影する息子
オバマ大統領当選時には
小浜のフラガールがアメリカでも報道されたとか
証拠写真をアメリカに持って帰ります


2010年12月26日日曜日

自宅で看取るということ

私の祖母、母の母は40年前に90歳で亡くなりました。母も長寿の遺伝子をしっかりもらっていたようです。祖母は少しずつ「ぼけ」が進んでいましたが、ゆっくり動いて自分のことはほぼ自分でやっていました。

旅立ちの最後の一ヶ月だけ、寝たきりになりました。いつものお医者さまに往診していただいて、家族そろって介護をしていました。当時の私は少し手を出すだけでしたが・・・

祖母の旅立ちも静かなものでした。その50年も前に亡くなった祖父と同じ日に天国に行きました。とても穏やかな死でした。

「在宅で死を看取るのがこわい、と思う人が多い」とケアマネから聞きました。人は「知らない」ことをこわく思うものですが、私は祖母の死の記憶から、在宅で母を看取ることに対しての恐怖はほとんどありませんでした。

そして、2004年の先代プードル、クッキーの最期も、私にとって大きな経験でした。最後の一ヶ月、えさを口にしなくなり、やせ細っていきました。でも、トイレには自分で行こうと、旅立つ前日まで必死で歩いていました。一緒に寝ていたクッキーのからだが冷たいのを感じたのは、朝のことでした。何事もなく、彼女の旅立ちも静かなものでした。

犬と人間を比べるのはおかしいかもしれません。ただ、年を取り、亡くなるのに、人間も動物である以上、同じなんだという気持ちが強い私です。

自然であればあるほど、その最期は静かです。ここ半年、お薬を全てやめ、口から入る食事と飲み物だけで過ごした母。その生命力が終わる時がきて、静かに天国に召されたのです。

色々な死の形はあると思います。でも看取る人が無用な恐怖を持つことなく、死は全ての人に100%訪れる自然なことだと理解すれば、自宅での看取りに踏み切れる人が増えるのでは、と思います。

一人一人が自分自身のこととして、死を見つめること、「メメントモリ」(死を覚えよ)ということばを改めて思います。

2010年12月25日土曜日

一番寒い朝

今朝は一番寒かった
でもセーター着て散歩だったから大丈夫

お母さんが「格好いいよ」って写してくれた
でも家の中からだから、窓の汚れが写ってる
僕はきれいなんだよ・・・

もうサンタさんは着ないよ
Chuck


2010年12月24日金曜日

音符が並んだ

五線紙に音符が並んだ
一杯並んでにぎやかなこと
あれ、「高い」音が一つ
うまく歌えないよ、この楽譜


曇り空の朝にも並んだ並んだ
ここにも一つ「高い」音符が・・・
五線紙の下にも一つ

2010年12月23日木曜日

プードルとは

プードルとは顔が長い犬
息子の頭にはそうインプットされています
初めてChuckに会った息子
もひゃもひゃの顔が気に入りません
はさみを持ち出して、カットです

さすがに素人が一人では無理
私が押さえ込んで(?)顔をチョキチョキ


寅(とら)年親子が寅年にした「とら刈りカット」
いかがでしょうか?・・・あまり変わらないでしょうか・・・

2010年12月22日水曜日

台所が・・・

「ヘルパーさんに来てもらうなら、家を片づけなきゃ」と言った私の友人がいます。彼女はフルタイムで働いていて、高齢のお母さまと同居中です。

「片づけものがヘルパーの仕事の一つなんですけれど、ヘルパーの行く前に一人で片づけて疲れてしまうお年寄りもいらっしゃるのですよ」とヘルパーさんから聞いたこともあります。

11月の第二週から、週4日、お昼とおやつの時間にヘルパーさんに来て頂いていました。私が自由に出かけられるように、ケアマネが手配してくださいました。その頃の台所は結構「きれい」だったのですよ。出しっぱなしのものが減りました。一手間かけて片づけていました。

そして、今は・・・あれこれ散らかりかけています。

やっぱり「他人の目」は大切ですね。気兼ねではなく、ちょっと「見栄」をはって片づけていた私です。

日本人は「他人」が自宅に入ってくることが苦手という人が多いようです。でも介護に他人の助けは必要です。一人では介護はできません。一人一人のヘルパーさん、それぞれの暖かさ、やさしさに支えられたからこそ、母を自然に送ることができた私です。

みなさんも「その時」には、プロの力を大いに利用してくださいね。台所がきれいになっている方が気持ちがいいですよ。

2010年12月21日火曜日

親孝行って?

母のことで、息子が3年ぶりにアメリカから戻ってきました。彼の帰国した翌日から、朝日新聞の家庭欄に「親孝行って?」というコラムがスタートしました。

成人した子が親と過ごす残された時間は、意外に少ない、とあります。親の寿命と一年間に会う日数、そして一日に一緒にいる時間を11時間として、全てを掛け合わせると、60歳の親と今後、一緒に過ごせる日数は、あと55日だそうです。

「毎年、会っていても55日しかないんだって・・・」と私。
「だって、会ったら結構、長く一緒にいるから、同じだよ」とサラリと流す息子。

確かにね。今回も、仕事で帰ってきたのではない息子は、格好の運転手であり、掃除のアシスタント、そしてChuckのおともだちです。次から次にあれこれ言うものですから、さっさと一人で出かけてしまいましたが・・・

親孝行の形もそれぞれ違っていていいのですね。わが家のようにベタベタしない親子では、数年ぶりの、「やぁ、元気?」が一番似合っているのかもしれません。

2010年12月20日月曜日

僕も!

ごぉーたん、お出かけ?一緒に行っていい?


さぁ、行こう!


ねえ、いいでしょ?早く行こうよ!

でも
連れてってくれなかった・・・
Chuck

2010年12月19日日曜日

街角スナップ

クリスマスの飾り付けではないけれど
ちょっとかわいいオーナメント

2010年12月18日土曜日

みんな母が・・・

長い間借りていたベッドがなくなりました。母の部屋に写真を飾りました。部屋がとても広々しました。

在宅介護の3年間、介護用品でずっとお世話になっていた方に、今までの素晴らしいサービスにお礼を言いました。必要なものを、いつもすぐに調達してくださったのです。

最後にお世話になったエアーマットがそうでした。褥瘡(じょくそう)がひどくなりかけたのを見つけた看護師さんに言われて、ケアマネを通してエアーマットの手配をお願いしたその日の夕方にマットがやってきました。そのマットになってから、母の様子がとても落ち着いていたのを覚えています。

褥瘡そのものはマットが変わったから治るものではありませんが、全く自分で動かなくなった母のからだの圧をマットが分散してくれるのですから、定期的な体位交換を考えなくても大丈夫でした。

この体位交換、つまり、からだを動かすことが必要になると、夜中の介護も必要になります。在宅介護では「厳しい」ものの一つです。私にとってもありがたいエアーマットでした。

昨日、改めてお礼を言った私に、その業者の方がおっしゃいました。「それはTさんがちゃんとうまくいくようにしていらっしゃったからです。いくら努力してもうまくいかないケースも一杯ありますからね」。

(この方だけでなく、ケアマネ、ヘルパーさん、みなさん母のことを名前で呼んでくださっていました)

母のケースでは、一度も「うまくいかなかったことがない」のだそうです。全てスムースに手配できて、届けることができたのだそうです。

そのあとにケアマネと一緒にわが家にきてくださった「サービス提供責任者」(ヘルパーさんの派遣を担当)の方が、「Tさんのところへのヘルパーさんの手配は、誰も断ったことがありませんでしたよ。特別に夜に行ってもらうのも、必ずみんな受けてくれましたよ」と言ってくださったのです。

ヘルパーさんたち、それぞれに家庭があり、それぞれのご都合があるはずです。でも私が夜外出する時や仕事で一日中留守をする時、ちゃんと誰かがカバーしてくださっていたのです。

みんな母がやっていたのかもしれません。私を含めて全ての人がうまく動けるように。きっとそうなんだと思います。

もちろん母が自分の意志でやったのではありません。ですが、母にとっての「最善」が、全て、母のために用意されていました。

母の最後の「子育て」としての在宅介護の日々、終わったあとにも多くの学びがあります。

2010年12月17日金曜日

通行手形

母の容態が悪くなったと伝えたら、息子が「来週から二週間休みを取っているので、帰ろうか?」と言ってくれました。アメリカからの帰国ですから、すぐに、とはいかず、結局母の最期には間に合いませんでした。でも三年ぶりに会えるのですから、今の私は嬉しい「お母さん」です。

フライトも無事に押さえて(航空会社に勤めていますから、料金は考えなくてもいい息子です)、帰国の日時を伝えてきた後に再度連絡が・・・「パスポートを見たら、切れてるんだよね」

何てこってしょうね。グリーンカードを持っているとはいっても、国籍は日本。パスポートは必需品です。前回帰国した2007年、日本の免許証の更新はちゃんとしていたのですが、半年後に失効するパスポートのことは気がつかなかったのです。幸いにもワシントンDC近くのボルチモアに住んでいるので、翌日大使館に出向くことができた息子です。

結局「帰国のための渡航書」つまり日本に入国する「通行手形」を発行してもらって帰国できることになりました。さて、その次は、滞在中にパスポートが手にはいるかどうか、それが問題です。アメリカに戻るフライトの変更が必要になるかもしれません。

旅券事務所に問い合わせると、今回の滞在日程で十分でした。20日(月曜日)に申請して28日に受け取ることができる予定です。ただし、今晩、金曜日の夜帰国の息子のために、必要な書類を揃えておかなければなりません。それは「母親」の仕事です。

同じくアメリカ滞在の娘も一度パスポート切れとなってあわてたことがあります。これであおあいこ。似たもの兄妹です。

今週、「娘業」は卒業した私ですが、これからしばらく「母親業」再開で、バタバタです。

2010年12月16日木曜日

お別れ

「日本で参列した告別式の中で一番よかった」

友人のイギリス人のご主人のコメントです。火曜日、家族と近しい方々だけで母を送りました。

宗教色はなにもなし。セレモニーもなし。約1時間みなさんが談笑してくださり、私がご挨拶したあと、納棺。全員でお棺の中をお花で一杯にしました。

母のアルバムを見ながら、昔を懐かしむ人。久しぶりに顔を合わせて、嬉しそうに話し込む方々。母を通して、ご縁のある人たちの暖かい輪ができました。みなさんのリラックスした雰囲気が、何ともいえないホッとした「場」を作り出しました。

95歳の大往生。お気に入りのシルクのワンピースを着た母は、私が今まで見た中で一番美人でした。ノーメーク、唇に紅をさしただけ。見事なまでに色白で、きれいでした。シミもなし。「うらやましい・・・」と女性陣からの声しきり。

今日は「まだ」木曜日。月曜日の朝、この時間、私は母に朝ご飯を食べさせていました。

全てが自然に流れていきます。穏やかに、そして暖かく・・・

2010年12月15日水曜日

閉め出し

このところ、Chuckが何度も閉め出されています私と一緒に出たり入ったりしているChuckですが、ドアの開いている時に、サッと走り込まないと、取り残されるのです。ドアの動きにうまく反応できない時(ちょっと腰が引ける時)、私は中、Chuckは外、ということに。玄関からリビングに入る時が一番問題です。

玄関の床は黒、茶はチャコールグレー。どちらもほぼ同じ色。物体がリビングに入ったかどうか、しっかり確認することもない私です。

取り残されたChuckは・・・じっとしています。それも黙って・・・ウンとかスンとか、犬ですからワンとか言えばいいのに、決して声を出しません。ただそこに取り残されています。Chuckがいないのに私が気づくのは、大体20分から30分後。それまで、ただひたすら黙ってドアの外にいるChuck。先日は何と2時間、じっとしていました。

インターホンが鳴ると大声で吠える犬がなぜ静かに待っているのでしょうか。Chuckの不思議の一つです。

右上の写真のように、ほぼ保護色ですから、どこにいるやら・・・・(見たままを写してみました。電気がついていないと、本当にこんな感じです)

2010年12月14日火曜日

子育て終了

今年の2月末、母との同居再開の直前にこんなことばに出会いました。

「介護は年老いた親がする、最後の子育てである」

介護して「あげる」と考えていた私にとって、これは大きな発想の転換でした。とてもこころに残る表現でした。

昨日の朝、母は静かに旅立ちました。日曜日、急にタンがひどくなり、夜、看護師さんに吸引機を持ってきていただきました。全身症状はそれほど悪くない、ということでした。

夜中にも一度、タンを引きました。思ったより「簡単」で、しっかり引けるのは達成感があったほどです。朝も数回タンを引き、ヨーグルトを食べていました。ツルンと口に入る物がいいので、小さなプリンも一つ食べました。

それから約一時間後でした。大きく苦しむこともなく、本当に自然に旅立ちました。看護師さんやお医者様に緊急の連絡をしたあと、Chuckをひざに抱いて、じっと母の手を握っていました。静かな、静かな旅立ちでした。

この「子育て」を通して学んだことは私の大きな財産となりました。多くの素晴らしい出会い、思い出ができました。全ての方々、ありがとうございました。

8回目の年女(としおんな)を数週間後に迎えられるはずだった母でした。自由にはばたいていることと思います。子育て、ごくろうさまでした。

2010年12月13日月曜日

Framily

“Framily”は辞書にはありません。スペルチェックにかけると「ミススペル」の表示がでます。

この単語を見つけた文章には「A hybrid word blending “friend” and “family”」とありました。 「友人」と「家族」の合成語です。

家族と友人、その中間に位置するのがFramily。こころが通じ合う人たちと、家族のように、家族以上に繋がっていることの幸せ。

あちこちに広がる私のFramily、みんなに感謝です。これからもよろしくお願いしま~すね。

2010年12月12日日曜日

チビですが・・・

けやき便り: ど根性グループと同じ玄関先に芽を出した草一つ
3センチもないおチビさん
朝陽を浴びてがんばってます

もうすぐ霜が降りるんだけどな・・・

2010年12月11日土曜日

ボールが・・・

ガラスのテーブルの下にテニスボールが
どうしようかな



ちょっと届かない・・・こっちはもっと遠い・・・


さて・・・


こっちからアタック!
やっとつかまえた


これは私のしわざ 

2010年12月10日金曜日

やっと、やっと・・・

先月末からの風邪気味がどうしても抜けなかった私。今まではからだを温めて風邪を乗りきるのがうまかった私。でも今回は様子が違いました。

とにかく鼻水が出続けました。からだが冷えている証拠です。時には二つもカイロを貼ったり、暖かい紅茶や番茶を飲み続けたりしましたが、ティッシュの山は高くなるばかり。

今週になって、スポーツドリンクを飲もうと思うようになりました。2リットルのペットボトルを買い込みました。それがどんどんなくなります。冷たい飲み物を私が飲むのは、とても珍しいこと。夏でも冷たいものはほとんど飲みませんから。(ビールは別として・・・)

おとといの水曜日、通訳の仕事があり、熱っぽい頭が回ってくれるか心配な状態でしたが、どうにか終了。そして「もはやこれまで」でした。

昨日の木曜日、午前中は母の訪問看護師さんの日なので、がんばって起きていましたが、午後はお昼、おやつ、それぞれのヘルパーさんに全てお願いして、とにかく横になっていました。ずっと眠っていたわけではありませんが、トロトロ・・・としているうちに夕方に。寝過ぎで腰が痛かったほど。

看護師さんに「お薬は飲んでますか?」と聞かれましたが、返事は「いいえ」。お薬といえばビタミン剤を多めに飲むことぐらいです。

そして、今朝、からだが少し違うのを感じました。おとといの夜からほとんど何も食べていないので、「おなかがすいた」と感じるのです。本当に久しぶりの感覚です。何だかとても嬉しい感覚です。

やっと、やっと、ここまで回復です。クリスマスを前にして、やっと、やっと動けそうです。ありがたいこと!

2010年12月9日木曜日

ITシニア

「おばあちゃまの字は読めない」とお孫さんに言われて、一念発起(いちねんほっき)してコンピューターを勉強してメールを覚えた母のお友達。海外でもどことでもやりとりできるメールで、家族の絆が深まっていると、以前伺ったことがあります。母のことも、「お母さまのご様子、いかがですか?」と折にふれてメールをくださいます。去年米寿のお祝いでした。

70歳を越してから、コンピューターを使い出した私の友人。長年短歌を詠(よ)み、指導する立場の彼女は、書評を「きれいに」書きたい、それがコンピューターを勉強しようと大きな動機でした。私には難しそうにも思える縦書きで、多くの短歌の書評を書いていました。メールにも挑戦して、若いメル友をたくさん作っていました。残念ながら数年前に亡くなってしまいましたが、コンピューターを通して、彼女の最晩年は見知らぬ世界へも大きく羽ばたいていました。

インターネットを利用する65歳以上の人たちは、使わない人たちよりも活動的だと先日の新聞にもありました。使ってみたいけれど、使い方がわからない・・・という年配の人が多い中で、新しいことに挑戦していく、その態度が、気持ちも若々しくするのでしょうか。

生まれた時からコンピューターが身近にあるITネイティブ達が大きくなってきている現代。比較的「昔」からコンピューターを使い出した私。この便利さに振り回されることなく、これからも上手におつきあいしたいと思います。

老化予防には指を使うのが一番とか。日々、指の運動にも勤(いそ)しむことにします。

2010年12月8日水曜日

小さな来訪者

見事にぼけた写真を掲載します

「か」の文字の左上に何か見えますか?

新聞と一緒にやってきた小さな来訪者
「尺(しゃく)取り虫」です

あまりにも小さくてデジタルマクロでも
ピントが合いませんでした

2010年12月7日火曜日

シャッターチャンス

ちょっと、じっとしていて!
飛んでっちゃだめ!!

何度も写しそびれたシーン
やっとシャッターチャンス到来です


2010年12月6日月曜日

ごぶさたで~す

「あのね」でみつけたかわいいコメント

  ・おじいちゃんの家に着くまで、車の中で「ごぶさたです」と練習。
   そしてあいさ つ、「子豚さんです!」  2歳 女の子

   
これから、みなさんに 「こぶたさんで~す」って言ってみようかな・・・


もう一つ

  ・運転中のママに「座席を起こして」と言われ、座席に向かって叫んだ。
   「起きなさい!」  5歳 女の子

2010年12月5日日曜日

12月だからって・・・

12月になったからって
なんでこんなもの着るの、ぼく・・・

Chuck

2010年12月4日土曜日

視点を変えると

電気自動車(EV)が将来の車として現実味を帯びてきた自動車業界。技術的に解決すべき問題は山積みでしょうが、技術開発競争は日進月歩ですから、ガソリン車がなくなり、全てが電気自動車となる時代も、案外そう遠くないのかもしれません。

電気自動車に特化した 株式会社ゼロスポーツという会社。岐阜県に本社を置く小さな会社が、郵便の集配用軽商用車の電気自動車を約千台来年度に日本郵便(JP)に納入するのだそうです。大手メーカーの車からエンジンやガソリンタンクを取り外し、モーターや充電池を載せる改造EVです。大手の自動車各社は乗用車のEVを開発の中心としている中、この改造EVにたどり着き、特化たのだそうです。

電気自動車普及のための啓蒙(けいもう)活動も活発に行う、ゼロスポーツ社長の中島徳至(なかしまとくし)さん。この新しい業界を引っ張っていく方のようです。

朝日新聞土曜版「be」の一面に掲載される「フロントランナー」には、この中島さんのような、ユニークな活動をする人たちを紹介しています。(残念ながらウェブではずっと以前の掲載分だけですが・・・) 

実業家・起業家・ボランティア・宗教家・芸術家など紹介される分野は多岐(たき)に渡っています。若い人から、時には年配の方も登場し、毎週、どんな方が掲載されるのかとても楽しみです。

このシリーズを読んでいて気がつくのは、どんな分野であれ、どんな年齢であれ、国籍・性別を問わず、全てここに登場する方々は、自身の視点がしっかりしているということです。もちろん、そこにたどり着くまでには、語り尽くせない多くの出来事があったはずですが、「こうでなければいけない」、「こうあるべきだ」、「世間ではこうだ」などなどの束縛から離れ、自分らしさを獲得した方々ばかりです。

日常生活の中でも視点を変えると、多分見えることが変わってくるはずです。どんな時にも、そしていつまでも、それができる「しなやかさ」を持っていたいと思います。大きな変革のためではなく、自分が自分らしく生きるために、とても大切なのだと思います。

2010年12月3日金曜日

休憩中

はっぱがすっかりなくなったさるすべりの木
すずめたちが休憩中
寒さの中、ふくらすずめになりました

2010年12月2日木曜日

いらっしゃい


玄関のドアが開いてたら、
小さな葉っぱのお客さんが
入ってきた

いらっしゃい!って
お迎えしたよ
Chuck

2010年12月1日水曜日

芸術作品

複雑なタッチ、大芸術家の作品
(クリックで拡大してとくとご覧ください)
写真の色を変えてみると、違った趣(おもむき)も・・・




こんな「原画」から作りました



作品を見つけた場所は?
はい、ご近所の電気メーターのボックスです

「天才芸術家」の名前は?
はい、「なめくじさん」です