チリ落盤事故の新聞報道で、救出された作業員のあるコメントが目に止まりました。
「これ以上、どんな気持ちかと聞かないで」
心理学者への不満を、親類へ手紙で語ったものだそうです。
これを見て、思い出したことがあります。
阪神大震災直後のこと。通訳仲間から連絡がありました。アメリカのカウンセラー達が神戸に来る計画を立てているので、その通訳ができないか、というもので す。地震発生後、まだ10日も立っていない頃だったと思います。わざわざ現地にやってこようとしているアメリカの人たち。でも・・・
「こんな時期に、自分のこころを話す人はいないよね。ましてや通訳を通して外国の人にね」と、電話をくれた友人に話していましたが、その計画は実施されなかったようです。
アメリカはカウンセリングを受けることは多くの人にとって「普通」のことです。自分のこころの調子が悪ければ、カウンセリングを受ける、話すことで自分自身 を見つめ直そうとするのです。娘が高校時代、彼女が受けていたカウンセリングを「見学」しました。じっくり話を聞いて、そこで必要なアドバイスをするカウ ンセラーの「技術の高さ」に感心したことがある私です。
ですが、日本ではちょっと事情が違うような。まして、大きな災害直後に、何が何だかわからない時に、話すことで整理がつく人は少ないのではないでしょうか。その時に必要な援助は少し違うように思います。
震災後の寒い日々、仲間と一緒に足湯ボランティアで避難所のお年寄りの足をマッサージしました。ほとんど会話はありませんでした。足が温まり、ほっとした気持ちになって、初めてことばが出てきた被災者の方々でした。
災害被害者だけでなく、辛いことを経験している人には、何かを聞き出そうとするのではなく、「私(たち)は、ここにいますから、もしよろしければお手伝いしますよ」というこころづかいが一番なのではと思うのですが・・・
地下の閉じこめられた生活での心理学者とのやりとりがかえってこころの重荷になっていた。これは多くのことを考えさせられる事実だと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿