10年来活動してきた車いすフェンシング。海外遠征にも活発に出かけた女性フェンサーがいます。彼女は両足切断の障害者です。
赤ん坊の時の事故で両膝から下をなくした彼女は、「私の知っている私はずっとこれだから」と言います。障害者・健常者の区別を全く感じない私たちのグループなのですが、彼女の「あっけらかん」とした反応は、慣れているはずの私たちでも驚かされることが度々ありました。
ある夏、東京の障害者スポーツ・フェスティバルへの参加依頼がきました。車いすフェンシングは、車いすを固定する重いピストが必要です。京都から車で運ばなくてはなりませんでした。
神宮の競技場でのフェスティバル。室内競技の「はず」の車いすフェンシングを屋外でデモンストレーションするのです。晴天だったからよかったものの・・・審判器のための発電機が猛烈な音をたてていました。
その日のイベントには、今まで聞いたこともないような障害者の競技がたくさん参加していました。休憩時間にはそれぞれのブースをのぞきに行った私たちです。
この女性フェンサーは身軽に動く時は車いすで移動です。車いすに腰掛けていると、彼女の足が膝で「途切れて」いるのがよくわかります。小さい子どもたちは、そんな彼女を不思議そうに眺めるのです・・・・そこでの会話。
「どうして足がないの?」
「邪魔だから家に置いてきたよ」
「???・・・・・」
「あれ、あなたの足ははずせないの?不便だね。」
「???・・・・・」
この会話をした子どもたち、自分の足はなぜ取り外せないのか、きっとお母さんたちに聞いたことでしょうね。そこで、お母さんたちも「???・・・・・」
彼女のこのあっけらかんとした明るさは、私たちの活動での大切な潤滑油でした。普段の会話は冗談ばかりで大笑い・・・そんな時間を過ごしていた私たちです。
2000 年のシドニーパラリンピックは応援団として、一人でオーストラリアまで行った彼女です。2004年には見事に選手としてアテネパラリンピックに参加しまし た。女性同士として、海外遠征の折にはいつも同じ部屋で過ごしていた私です。
「あっけらかん」の彼女とのあれこれ、私にとってすてきな経験です。
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