8月23日に「臓器移植#2」を掲載して、二ヶ月以上が経過しました。このところ脳死や臓器移植に関しての新聞記事が目に止まりません。
ほぼ一ヶ月前の9月30日の朝刊に「脳死判定100例目」という記事を見ました。1997年以降、法的脳死判定を受けて患者の死亡が確定したのが100件となったのです。
そして、10月4日の社会面の一番下に小さく「家族承諾14例目の脳死」という記事がありました。7月の法改正で、本人の意志確認ができなくても、家族の承諾で臓器提供が可能になって以降、14家族が申し出をしたのです。これは101例目で、今年になって18例目です。
臓器移植にとって、脳死判定の議論は避けて通れないもの。人それぞれの脳死に対する考え方がある中で、「家族が同意したから」という理由で、臓器移植が相次いでなされることに、まだ完全に納得できない私です。
「死をどこで決定するか」というあまりにも大きな問題を前にして、自分自身、何をどう考えればいいのか、わからない状況です。今はただ、あれこれ本や新聞記事の切り抜きを読み返したりしています。
だ からこそ、臓器移植の件数だけが、小さく報道されてしまうことに抵抗があります。一人の命が終息し、それを看取る家族がそれぞれの事情の中で、臓器提供を 申し出ているのです。大きな決断が、将来の後悔とならないためにも、突然の死に直面したかもしれない家族に対して、本当の意味の情報提供と精神的支えが 「現場」でなされているのか。そうあってほしいと願いつつ、改めて「101例目」という数字を眺めました。
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