阪神淡路大震災から14年。その特集番組「震災・秘められた決断」を見ました。未曾有(みぞうう)の災害に直面した消防士、行政スタッフなどの人たちが、何をどう決断して行動していたかというレポートです。
14 年前、地震の一週間後に、水、紙おしめ、そしてお線香を車に積み込んで、京都から神戸に向かいました。大阪経由で6時間かけて神戸に到着し、あまりにも変 わってしまった風景に同乗の友人共々、話すことばがなかった私です。救援物資を神戸のYWCAに届けて、ホッとしたのですが、トイレを使うこともはばから れて、みなさんに「どうぞお気をつけて」と言うのもほどぼどに帰りを急ぎました。
震災直後から、お線香がないという情報が届いていまし た。もちろん棺桶(かんおけ)も足りないということもわかっていましたが、ボランティアとして集められるのはお線香だけ。震災の情報が交錯(こうさく)する中、多くの 亡くなった方々をどうやって弔(とむら)えばいいのか混乱していた現場を想像することは、当時の私にはできませんでした。
昨日のテレビに 、遺体の安置所となった体育館で、棺桶がない、火葬する手だてがない・・・という状況を経験した担当者の話がありました。寒さが厳しい時期でした が、遺体を保存するためのドライアイスも手に入らない中、遺族の苛立(いらだ)ちに、ただただ頭を下げていた日々だったとその人は語っていました。
「道ばたに咲いていた野菊を手向(たむ)けることだけが私のできることでした」
近隣府県の火葬場にヘリコプターで遺体を搬送することも含めて、全ての遺体の火葬が終わったのは、震災後3週間のこと。
自身が被災者だった方々も多かったはずの消防士や行政スタッフの人たちが、極度のプレッシャーの中で、どう「仕事」をこなしていったか。「その場」を経験した人しか話せないことばの重みを感じた番組でした。
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