2010年2月14日日曜日

一瞬だったけれど・・・

バンクーバーオリンピックの女子モーグル。上村愛子選手の4位はすごい!

画面に次々登場する外国の選手達の馬力のあること。モーグル競技を始めてゆっくり見て、改めてその難しさを感じました。大好きなスキーですが、コブのある斜面は極力避けて滑るわたしですもの・・・

決勝選では、ゴール付近に、暫定(ざんてい)の1位、2位、3位の選手が座る真っ白なゆったりしたソファが並んでいました。あとから滑る選手の成績が上回ると、そのソファに座るメンバーが目まぐるしく変わりました。

日本の村田愛里咲(ありさ)選手が1位のソファに座りました。次の選手の成績が出るまでの、ほんの一瞬でしたが、トップだったのです。

「次は本当にここに座るぞ!」

19歳の村田選手はきっとそう思ったことでしょうね。どこまでもトップを狙うのが競技スポーツ。たとえそれが不可能に思えても、そのために努力するのが選手たち。

4回のオリンピック出場を経験した、上村愛子選手がそうであったように。たとえ、結果がトップにたどりつかなくても、努力はどこまでも続くのですね。

アスリート達が見せてくれる壮大なドラマ。普段は縁のないテレビにひっかかる日曜日の午後です。

2010年2月13日土曜日

発信チャレンジ

2月3日のブログで紹介した鎌田實医師。「言葉で治療する」

2008年5月から続くブログを毎日更新中です。100万人突破!

世界を飛び回る鎌田先生、あちこちからブログをアップするのが楽しみなのだそうです。通信事情がよくないイラクからも、その日の出来事をアップして日本の読者に届ける。まさに「チャレンジ」なんでしょうね。

私がコンピューター持参で海外出張や車いすフェンシングの海外遠征を始めたのは、1990年代の後半。まだダイアルアップが主流でした。各国のローミング番号を前もって調べ、現地のホテルで、あれこれ悩みながら接続を試みていたものです。

インドネシアではつながったのに、イタリアのナポリでは全くお手上げになったり、スペイン北部の日本人にはほとんど知られていない街、オビエドではあっさり開通したり。

苦 労してアップした一番の思い出は、2000年のシドニーパラリンピックの時。サポーターとしての参加でしたから、ダウンタウンの安ホテルに滞在。ホテルか らの通信は全く不可能。選手村のプレスセンターの朝日新聞の記者さんと仲良くなって、技術の方に多大な迷惑をかけながら、配信ラインをちょっとお借りして 発信させてもらいました。

原稿と写真を京都に送信して、ホームページを更新してくださったのは、私の「コンピューター師匠」。デジカメの性能がまだまだの頃、写真の画像はもう一つですが、とても懐かしい記事をご覧ください。(記事の一番下から読んでください。)パラリンピック便り


10年前のあの苦労を思うと、今のインターネット環境は隔世の感があります。「まともな」ホテルなら、部屋のデスクにはブロードバンド接続のコネクターがあり、コンピューターのスイッチを入れれば、インターネットが飛び出してくるのですから。

鎌田医師は14日からイラクに出発だそうです。現在のイラクでは接続環境がいい場所ばかりではないはずです。鎌田先生、またブログ発信にチャレンジですね。

2010年2月12日金曜日

座ってるよ

座れ(sit)!っていったでしょ?

だからぼく、座ってるの・・・

これからどうしたらいいの???

Chuck

2010年2月11日木曜日

お互いさま

「お世話になり、ありがとうございました。」
「お互いさまですから」

こんなことばでさらりと返事をしてもらうと、ホッとこころが暖かくなります。すてきな人間関係を嬉しくなるものです。

人は一人では生きられない。こんな当たり前のことを再確認できるのも、お互いの存在がありがたいと思えばこそ。

私が小さかったとき、このことばをよく耳にしていたように思います。

今はあまり耳にしないような気がします・・・

2010年2月10日水曜日

大雪















先週末のアメリカ首都ワシントン地域の88年ぶりと言われる大雪。金曜日の夜から日曜日にかけて停電していたようです。寒い中暖房が止まってしまい、「夜は家族と飼い犬で体を寄せて寝るしかなかった」と、朝日新聞の特派員が記しています。寒かったことでしょうね・・・

息子と娘が住んでいるボルチモアはワシントンから60キロの距離。ここもこんなに降りました。息子が送ってきた写真には、雪に埋もれた車が並んでいます。息子も日曜日に「やっと」車を掘り出したようです。

小さいときにはシカゴに住み、アメリカでもドカ雪で有名なバッファローで暮らしていた娘ですら、「シカゴでもバッファローでも ここまでえらいこっちゃの雪は 経験した事ないですね。」とメールを送ってきました。

さて、ワシントンの停電ですが、先ほどの特派員の文章をそのまま拝借・・・

「停電3日目の日曜日。昼のラジオで電力会社の人が“復旧までまだ数日かかるかも”と言っていてやや絶望的な気分になったが、望みは少しあった。」

「夜に、アメリカンフットボールのプロ全米一を決めるスーパーボウルがあるからだ。」

「米国人にとっては、プロ野球の日本シリーズどころではない大行事だ。スナックを食べつつテレビ観戦するのがこの晩の正しい過ごし方で、テレビの歴代最高視聴者数が記録されることもある。その時間までに電気が復旧しなければ、電力会社に抗議が殺到するのは必至である・・・と思って、倒れた木で薪(まき)を作っていたら、“あっ、ついた”。試合開始の約1時間前。“やればできるじゃないか”。私たちもその晩、テレビ観戦したことはいうまでもない。」

そうなんですよね。スーパーボウル・サンデイは特別の日なんですよね。いつだったか、出張でアトランタに行った時、何年ぶりかで会った友人に、「一緒にテレビ見よう!」と家に連れていかれましたものね・・・

2010年2月9日火曜日

手紙~親愛なる子供たちへ

このウェブをご覧ください。
認知症になった親から子どもへの「手紙」です。
偶然ラジオでこの詩のこと、歌のことを知りました。

樋口了一[手紙 ~親愛なる子供たちへ~ 歌詞]


気持ちが波立った時、この詩を音読しようと思います。
自分の声で自分の想いを込めて。

2010年2月8日月曜日

ブルキナファソ #2

ブルキナファソ、もうみなさんは、アフリカの国の名前だっておわかりですね。

ブルキナファソへNGOから派遣されたイイダツトムさん。3年の任期が終わったところで、自分がブルキナファソで本当にできることを考えたそうです。

内 戦やエイズで親を亡くした子どもが多いブルキナファソ。孤児院を作ろうと思ったイイダさん。自分の貯金をはたいて、目下孤児院建設を計画中とか。インフラ も整っていないところでは、電気を引くところからのスタート。政府からの許可を今年中にはもらって、正式に孤児院をスタートさせたいという計画。

孤児院の名前は「竹の子の家」。一本一本すくっと伸びる竹は、地中では、しっかりつながっている、それを思っての命名だそうです。将来は、竹の子の家で育った子ども達が戻ってきて、自分がこれからやろうとすることを続けてほしい。その時がくれば、自分の役目は終わる。

NHK の地球ラジオで「聞きかじった」情報です。メモを取ったのではないので、ちょっと記憶があいまいかもしれません。でも夕食の準備をしながら、イイダさんの お話しを聞く私自身の耳がとんがっていくのがわかりました。自分で納得できる「何か」を見つけて、アフリカの土地で生きようとする日本人。すごい!