2009年10月7日水曜日

小さな秋

植物園の木陰で見つけたどんぐり
腹這いになってアップで写してみました
小さな秋を見っけ!

台風が近づいている夜
明日の朝、スタッフが出てこられるかな・・・とちょっと心配

警報が出れば、学校はお休みですが
生活の場である職場は休むわけにはいかず・・・

被害のないことを祈っています

2009年10月6日火曜日

序曲1812年

ナポレオンのロシア侵攻をテーマにしたチャイコフスキーの大序曲1812年。ロシア全土の軍隊をモスクワに集めてナポレオンに抵抗し、それがナポレオンの没落のきっかけとなった戦争を題材にして作曲されたもの。最後の楽章に「本物の大砲」を使うように指示されているとか。

実際の演奏会ではなかなかできないことですが、自衛隊が協力したコンサートをユーチューブで見つけました。この二つ、それぞれを見て頂くと、曲そのものと、大砲発射(空砲ですが)の模様がよくわかります。

クラシックの音楽は、コンサートホールで「まじめに」聞くものと思いがちですが、自衛隊の駐屯地でのコンサート。何だかでっかくていいですね。


大砲を使った序曲「1812年」のエンディング
1812年チャイコフスキー大序曲

2009年10月5日月曜日

ほのぼの屋

京都新聞で見かけたお顔、どこかで見たような・・・

フレンチレストランのシェフのお顔でした。「ミレイユ」という小さなレストランのオーナーシェフでした。母が元気だった頃、よく一緒に行きました。10人も入れば一杯になるお店。上賀茂神社から西へ・・・というような場所ですから、知る人ぞ知るレストランでした。

三重県の志摩観光ホテルで料理人として腕を磨いた糸井和夫さん、南フランスへの修行も含めてフランス料理一筋。1985年に開店したミレイユは、2005年まで、気楽でおいしいお店として人気がありました。

その糸井さんは現在、京都府の北、舞鶴市にあるカフェレストラン「ほのぼの屋」の料理長です。ほのぼの屋へようこそ

こ のほのぼの屋は社会福祉法人まいづる福祉会の障害者就労支援事業所「ワークショップほのぼの屋」が2002年に開設したレストランです。現在20人を超え る精神障害のある人が、プロから接客術を学ぶなど社会との接点を求めて働き、経済的な自立を実現する施設として注目を集めているのだそうです。

フレンチ料理のシェフとして常連客の好みを知り尽くしてその人に合った料理を出す。料理人としては一つの理想型ともいえる自由な仕事をさせてもらったと言う糸井さん。このほのぼの屋のシェフの仕事を聞いた時、「自分が求めてきた役目が回ってきた」と思ったのだそうです。

知的障害がある糸井さんのお姉さんが、学校や作業所で多くの人の世話になりながら生きている、その姿を見つめてきた糸井さん。ご自身が「恩返し」ができるかもしれない、そう思ったそうです。

糸井さんはこう言います。

「最 初は名前の意味がぴんとこなかったんです。でも働いている人はみんなそれぞれの障害とたたかいながら懸命に働いているんです。確かに動作が少し遅かったり することもあります。でもそれをお客さんも理解して急がず、いい景色と料理をゆったりと楽しんでいただきたい。その雰囲気が「ほのぼの」だと思うんで す。」

「この素晴らしい場所をなくすわけにはいきません。存続することが何より大事です。私は健康の許す限り働くつもりですよ。そして後継者を得てさらに永続させる、それをいつも考えています。」

糸井さんの友人が言ったそうです。
「ほのぼの屋に行ってから顔つきが変わったね。にこやか、和(なご)やかになった。」

一度行ってみたいレストランです。

2009年10月4日日曜日

青空の見えるトンネル





秋の青空が見えるトンネル
瓜(うり)やゴーヤ(かな?)がブラリブラーリ

2009年10月3日土曜日

落選でしたね

去年の2月末、珍しく東京で通訳をしていた時です。ドイツからの客人を連れて、自由時間に皇居の周りを散歩していました。近くのビルの壁面に大きな垂れ幕がありました。「2016年、オリンピック・パラリンピックを東京へ」という文字を見て、「そうか、東京が立候補しているのね」。他人事のような感想を持った私でした。

2016年のオリンピック・パラリンピックはリオデジャネイロに決定しましたね。昨日の最後のプレゼンテーションで、日本は英語が堪能な15歳の女子体操選手を「隠し球」(かくしだま)として起用。物怖(ものお)じしないスピーチぶりは見事でした。でも・・・

6月21日のブログに書いた東京オリンピック招聘(しょうへい)時の平沢和重氏の短いスピーチのようなインパクトはIOC委員には与えられなかったのか、リオが強すぎたのか、敗因はあれこれあるでしょう。

南アメリカで最初のオリンピック・パラリンピック開催を希望したブラジル国民の熱意はきっと日本人が1964年の東京大会を熱望したものと同じだったのでしょうね。

パラリンピックの車いすフェンシング競技に関して、アメリカ在住のブラジル人の女性が世界大会に出ていたことはありましたが、国内で盛んな競技ではないと思います。でも1964年の東京パラリンピックでも、ちゃんと日本人選手が車いすフェンシング競技に参加したのと同じように、選手を育成してくることと思います。オリンピック・パラリンピック全体だけでなく、各競技をしっかり運営していくための準備は気の遠くなるほどの作業が待っています。

アテネパラリンピックに参加した私が、全て終わった時に感じた「達成感」。きっと2016年のブラジル大会に参加する世界各国の選手・役員、そしてもちろん運営に関わる全ての人が同じ達成感を持って大会が終わるはずです。困難は一杯あるでしょうが、あるからこそ、その時が素晴らしくなるのだと思います。

2009年10月2日金曜日

がんばろう!

1995年の阪神大震災の数週間後から、仲間と一緒に「足湯ボランティア」で神戸に通いました。寒い時期の避難所で身体を固くしていた被災者の方々の足をゆっくり温めてマッサージしました。お湯の温かさにホッとなさった方々の重い口が少しずつ開いていきました。

何回目かの時でした。若い仲間が年配の女性の足をマッサージしながら、「がんばってくださいね」と声をかけた時、その方からの返事を聞いて戸惑ったと話してくれました。

「今までも一生懸命がんばってきましたんや。これからもがんばれって言わはるんですか?」

その後神戸のあちこちに「がんばろう神戸」という文字が掲げられました。みんなで一緒に「がんばろう」と言うのです。他から「がんばれ」と声をかけられるのではなく・・・

頑張るとは「が=我」を張ることという説明に出会いました。努力するという意味の中に自分の「我」を押し出すようなニュアンスがあるのかもしれません。

京都の花街(かがい)には「気張りとぅおす」という表現があります。「頑張りたい」と言うのとはちょっとニュアンスが違います。気を張り、周囲との関係性に 配慮しつつ努力しますという意志と、そのほうが、より効率よく自分の力を伸ばせるという気持ちも込められているとのこと。

「もっと、気張 らせてもらいとぅおす。どうぞ、よろしゅうおたのもうします」 お座敷で舞妓さんたちが言う時、それを聞く人たちは自然に「お気ばりや」と声をかけるので す。若い舞妓さんの心意気と、それを支えようとする人の柔らかな励まし。京ことばの持つ独特の雰囲気が醸(かも)し出す、温かい人と人とのつながりがそこ にあるのです。

私も仕事場で、一人で「頑張る」のではなく、「気張ろう」と思います。仲間に助けてもらいながら・・・


PS:京都のことば、ぜひ柔らかく「読んで」くださいね。

2009年10月1日木曜日

モロッコ

モロッコと聞いたとき、何を連想しますか?ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画カサブランカを思い出す方々はそれなりのお年かな。私はクスクスという食べ物とフロリダのディズニーワールドにあった「モロッコ館」で見たベリーダンスを思い出します。

ヨーロッパと地中海を挟んだ位置、北アフリカのこの国の正式名称は「モロッコ王国」。王様が統治する国家です。その王様のために、腕をふるう日本人の料理人が紹介されていました。

スペインとカナダの日本大使公邸料理人を7年務めた大沼秀明さん(35歳)。カナダ時代に彼の料理を食べたことがあった駐日モロッコ大使から「来日する国王に料理を作ってほしい」と頼まれたのが、彼とモロッコのご縁の始まり。

05 年の秋に日本でモロッコ国王に食事を作ったあと、数日後、大使から「モロッコに来てください。無理なら、国王に、彼は死んだと伝えなければならない」と拝 み倒されたのだそうです。この依頼の表現がちょっと変わっていますね。「生きているなら、必ず連れてこい」とでも国王がおっしゃったのでしょうか・・・

妊娠中の奥さんともども、モロッコに渡り、現地で生まれた長男を連れて、国王と王妃に随行しながら料理をお出しする生活。奥さんも料理人として一緒に調理場に立っているとか。

日本風食材を手に入れるのは難しく、モロッコ人の料理人との確執(かくしつ)が続く中、「強さも弱さも、豊かさも貧しさも肯定するモロッコ人の気質を素直にすごいと思えるようになった」のだそうです。

出身は山形県。材料を生かす素朴な料理を意識している大沼さん。「最近、王妃は大根や白菜の煮浸(にびた)しを好んで食べるようになった」という文章を読んで、エキゾチックな衣裳の王妃さまが和風の煮浸しを食べていらっしゃる姿を想像して、とても楽しくなりました。