2016年2月29日月曜日

料理力

たった半年でしたが有料老人ホームのマネージャーをしていた時のこと。高齢のご夫婦が入居を決められた時、「これでやっと食事作りから解放される」とおっしゃった奥さま。多分、毎日の食事の用意に四苦八苦していらしたのでしょうね。

でも、ほどなく、この奥さまの様子が変わってきました。「楽になった」反面、「することがなくなった」日々。動きやおしゃべりが鈍くなっていってしまいました。

人が生きていくためには日々、食べていかなくてはなりません。その食事作りが面倒なら、しんどいことでしょうね。見かけによらず(?)食事を作るのが好きな私。時間のある時にお料理するのが、バタバタした日常のいい気晴らしになっています。

食育・料理研究家の肩書きの坂本廣子(ひろこ)さんのことばです:いい人生にするカギは料理力にあるのよ

子どもも高齢者も「料理力」をつけて人生を楽しんでほしい、そんなメッセージです。

2016年2月28日日曜日

ろうそく芸術

ろうそくが作った芸術(?)
でもこれは何?
「雪ん子」?

「きつね」ができてる

う〜んと、これは何に似てるかな・・・
ベル?それとも「エイ」?

これは「いるか」!

2016年2月27日土曜日

シリアは美しい国・・・だった

シリアの現状を伝えるニュースの多くは爆破された街並や逃げ惑う人々。2011年から始まった内戦は停戦協定を結ぶ努力はあるものの、解決にはほど遠い現実。

ハフィントンポストに掲載されたシリア出身の女性が書いた記事。「私が住んでいた内戦前のシリアは本当に美しい国だった」というタイトル。

「オリエントの真珠」と讃えられてきた首都ダマスカス。人類の貴重な遺産が次々に破壊され、シリアにとどまる人たちは餓えに苦しみ、国を捨てて難民となる人たちは命をかけて地中海を渡ろうとする。

遠い国のこととしてではなく、同じ地球に今生きる人たちに起こっている出来事として感じることが大切、それは十分わかっているつもりの私たち。「美しい国だった」という記事の中の写真は、素晴らしさを伝えるからこそ、シリアの「今」に思いを馳せることの大切さを改めて教えてくれるような気がします。


2016年2月26日金曜日

小さな手

京都マラソンの沿道で小さな手がニュッ

ランナーが近寄ってきてハイタッチならぬ
ロータッチ

お父さんの応援にやってきた坊や
ランナーたちへの応援が続きます

同じ場所で
1時間半も市民マラソンを見ていたのは初めてのこと

軽快に走る選手たち
相当練習を積んでいるであろう選手たち
楽しければいいかな、という感じの選手たち
とにかく行けるところまでは、という選手たち

私が立っていた20キロ地点まで
たどり着いただけでもすごいです

それにしても、寒かったな・・・

2016年2月25日木曜日

フィリピンの大統領

先月末の天皇皇后両陛下のフィリピンご訪問。その時期の報道のあれこれから、第二次世界大戦で戦った日本とフィリピンが現在の友好関係を築くまでの歴史を少し学んだ気分になりました。その中で、戦争犯罪者として収容されていた日本人に恩赦を与えたキリノ大統領の存在がとても大きいことがわかりました。

戦争という暴挙の中で、キリノ大統領は、日本軍に妻と娘を殺されています。自身が日本を憎んでいた、はずです。

「将来の比日関係を見据え、対日憎悪の連鎖を断つことの大切さをフィリピン国民に示し、日本国民にはフィリピン人の痛みへの理解を促した」とされる、キリノ大統領の恩赦。議会の承認を受けることなく、自身の判断で「戦犯の日本人全員を釈放し、日本に送還する」ことを決定したのです。

赦(ゆる)すことの難しさ、それを大統領という立場で行ったことが、どれほど大変だったのかと想像します。この恩赦によって、次の選挙では落選したというキリノ大統領。個人の感情に封をして政治家として、国の将来を思って判断をした人。大きな視野を持った人に救われたのは、戦犯の日本人だけでなく、日本、フィリピン両国の国民だったような気がします。

赦すこころを人は持つことができるのですね。たとえどんな状況にあっても。


2016年2月24日水曜日

TOKYO2020タオル


先日更新した自動車保険の会社が
オリンピック・パラリンピックのゴールドパートナー

代理店の担当者の紹介で
JWFAにタオルをいただきました

オリンピックマークとパラリンピクのマークが並びます

オリンピック・パラリンピック
どちらも同じスポーツ競技大会
「併記」がやっと当たり前になりました

2016年2月23日火曜日

こころの窓

嫌なこと、腹の立つこと
そんな色々が耳に入ってきて
こころがざわつくとき
こころの窓を閉じればいい、と

寒い風の吹くとき
外に埃が舞っているとき
窓を閉めるのと同じこと

しばらく窓を閉じていれば
また窓を開けてみたくなる時がくるはず


嫌なことばも聞かないように
自分を護るためにも
こころの窓の開閉は自由自在に


2016年2月22日月曜日

京都マラソン2016

2月21日朝9時半
京都マラソンの規制でいつもと違う道で「出勤」

オフィスから自転車で北山通へ
先頭の3名が通過したところ
まだガラガラ

早いランナーたちがボチボチやってきます

ここが中間点

北山橋の西に「見慣れた顔」発見
ネパールからの留学生だったリジャルです
今は東京の大学の先生
同僚の先生がネパール地震復興のために走ってくれたのです

ランナーの数がドンドン増えてきます

あとからあとから・・・
参加ランナーは16000人

ゼッケン番号を手に書いてます

おじさんが募金に参加してくださいました

結局、同僚先生発見できず
あんなにしっかり旗を振っていたのですが・・・

鴨川沿いにランナーは続きます

風の冷たい鴨川の堤防でした
大雨の翌日でよかったこと


2016年2月21日日曜日

人参のこともう一つ

先日も人参サラダに凝ってます、とブログをアップした私
彩誉(あやほまれ)というあま〜い人参があることを知りました
ジュースにするとその甘さが際立ち、誰もが驚く味だとか

飲んでみたい、食べてみたい・・・

人参嫌いの人にはわからないだろうな、この感覚
私は卯年ではないのですが・・・

2016年2月20日土曜日

幸福感

杖が必要になった76歳の女性がゆっくり歩いてコンビニへ。金髪の若者が開いたドアにもたれてスマホをいじっていました。この女性がコンビニに入ったら、若者はさっと店の奥に。彼は杖をついて歩いてくるこの女性のためにドアを開けて待っていたのです。

このコンビニを出る時には、レジの女性がドアを開けて見送ってくれたとか。

今までは「誰のお世話にもなってない」との気持ちが強かったけれど、衰えたからこそ、味わえた「幸福感」にこころがほんわかしたという投書。「あの金髪の若者にしあわせな将来があるように、と祈るばかり」ともありました。

見ず知らずの人の親切に感激して、その人のために祈る気持ちが湧いてくる。すてきな出会いのことを知った私のこころも、ほんわか。


2016年2月19日金曜日

更地

わが家から南へ、大きな道の角地
自動車屋さんがなくなって
デイケア施設になって・・・
こんな更地(さらち)になりました

地下鉄から歩いてくる人にとって
とってもいい「目印」だった角地

さて、次はどんな「目印」ができるのでしょうか

2016年2月18日木曜日

誤字チェック

先日、知人からブログの「誤字」を教えてもらいました
アップする前にちゃんとチェックしているつもりですが
見落としも多々ありますね

学生時代、サンディエゴに留学していた頃
父母への手紙を出すと母からの返信は
「さて、今回の修正・・・」というような表現で
まず私の誤字チェックがありました

文章を書くのが大好きだった母です
「間違い探し」は習い性(ならいせい)になっていました

自分の文章はついつい「思い込み」もあって
なかなか不備に気づきません
久しぶりの「誤字チェック」、懐しかったです・・・


それにしても2月1日に、ブログを三本もアップしていた私
(あとから気づきました)

車いすフェンシングの合宿を控えて書きだめして
アップのスケジュールに手違いあり

こんな時にはアメリカのことわざを思い出します
「完璧なのは神さまだけ・・・」

私って、とっても人間っぽいんです、はい


2016年2月17日水曜日

行列


2月11日祭日 出町商店街
「ふたば」の前の行列です
5重になっています

久しぶりに自転車で出町に買い出し
「豆もち」買ってくるね、なんて言ったけれど
これに並ぶ気はありませんでした
すごいですね、みなさんの忍耐力!

2016年2月16日火曜日

ヘッドライト

街を走る車のテールランプに小さな球が並んでいるのは最近の車。あの小さな球はLEDだな、と思っている私。前を走る車のブレーキランプも以前の車よりも明るく点灯しているように感じます。

新車を購入した車いすフェンシングの監督いわく「夜の運転が楽になった」。明るいヘッドライトで見やすくなったということのようです。「夜の運転はちょっといやや」と言っていた監督でしたから(見にくくなってきたのは、お年のせいだと思いますが・・・)明るいヘッドライトは救世主。

・・ですが、視覚過敏の人にとってLED照明が苦痛になるということを聞きました。運転手にとってよりよく見える明るさですから、対向車の光が目に入るのが以前より増えたということ。新聞の投書欄にも同様の意見がありました。

エネルギー効率からみれば、寿命も長く、消費電力も少ないLED照明の普及は正しいが、今後、白熱灯や蛍光灯の生産や輸入を禁止するのはやり過ぎでは、というもの。快適な照明環境は個人差が大きいのだから、色んな明かりを選べるべきだというのです。

間接照明の多いアメリカでの生活を経験した私にとって、日本の家や建物の照明は明るすぎる、と感じます。LEDの登場で、いよいよこの傾向が強まるのかもしれません。何が何でも経済効率優先、でなければいいのですが・・・

2016年2月15日月曜日

おひなさま


以前は毎年飾っていたおひなさま
去年は忙しさに取り紛れてお出ましなし
今年はちゃんと出ていただきました

お正月気分もないままに過ごしていた日々
このところの不安定なお天気の中
せめて家の中では季節を感じるようにこころがけます

2016年2月14日日曜日

パラサポ

パラサポを初めて訪問

次々に変わる映像の中
車いすフェンシングの映像をゲット

障がい者スポーツ団体のオフィスが並びます

常住する競技団体、時々利用する競技団体
共有スペースもゆったりして自由に使えます

エントランス

京都を拠点とする車いすフェンシング協会
今後、パラサポを東京の拠点とする活動も増えそうです
TOKYO2020まで残り約1600日


2016年2月13日土曜日

見つけてください

見つけてください
富士山の頭が少し・・・
浜名湖通過中です

こんなにはっきり、くっきりの富士山でした

2016年2月12日金曜日

我が意を得たり

冒頭に「お疲れ様です」と書かれたメール
「私はまだ疲れてないもん」とこころの中で反発する私

折々のことばの鷲田清一さんの解釈
「たぶん“とりあえずビール”と同じで
本番に向けて力むことなく助走するための
符号みたいに使われているのだろう」

決まり文句で文章をスタートするのは昔も同じ
「立春とは名のみの寒さの候、
いかがお過ごしでいらっしゃいますか」
こんな文章の「時候の挨拶」

メールにはちょっとね・・・


でも、やっぱり「お疲れ様です」は使いたくない私


2016年2月11日木曜日

パンダ



王子動物園のパンダタンタンです
神戸の用足しのあと、少し時間があったので会いに行きました
ちょうどお食事中でした
タイヤにすっぽりはまって
あの固い笹をすごい勢いでムシャムシャ

パートナーのコウコウが2010年に死んでから一人っきり
新しいパートナーが来てくれるのを待っているタンタンです

2016年2月10日水曜日

アフガニスタンを支える道

1980年代からアフガンでの医療援助を続けてこられた福岡出身の中村哲医師。2000年以降は井戸を1600本掘る事業で住民の環境整備を試みてこられた方です。2003年からは用水路の土木工事事業を開始、全長27キロの用水路が完成して、3000ヘクタールが農地になり、15万人が地元に戻ることができました。

朝日新聞の記事アフガン復興を支えるの中で、30年に及ぶアフガニスタンの活動の中で、治安は今が一番悪いと中村医師。大国に翻弄されるアフガニスタンの実情。そこで活動を続けてこられた中村医師のコメントは、普段私たちが目にするメディアの情報とは全く違います。現地の情勢の複雑さが語られています。

「平和国家・日本」のブランド力がどれだけご自身の活動の助けになったか。軍事力を背景としない援助だからこそ、現地の人に受け入れられたのだと。

今後、日本がどれだけ民政支援に徹することができるのか、本当の意味でのアフガニスタンの人々への援助となり、平和につながる道に貢献できるのか。それが問われているのです。

2016年2月9日火曜日

春を待つ


寒中の木の芽  内村鑑三

 春の枝に花あり
 夏の枝に葉あり
 秋の枝に果あり
 冬の枝に慰あり
    (なぐさめ)

2016年2月8日月曜日

ホームホスピス

ホームホスピスとは普通の家で人を看取る活動。5〜6人のスタッフが5人ほどの入居者の世話をし、最期の看取りをする場所。家族だけでは世話ができなくなっても、家庭的な雰囲気の中で生活ができるのです。

この活動の先駆けとなったのがホームホスピス宮崎。以前、NHKの番組で、そのゆったりした日常を見た私です。最期の時が近づくと家族たちが集まり、見送ることができる環境は、悲しみの中にも穏やかな静けさがありました。

ホームホスピス宮崎を立ち上げた市原美穂さんのことば:死が医療に管理されて、なくしたものがある。死は自然なこと。看取りは物理的な死の確認ではなく、残された人が逝く人の人生を受け止めることだと思う。文化として広めたい。

人の自然な生き様と旅立ち、それを支える暖かいチームの存在に心打たれます。

2016年2月7日日曜日

飛び石

鴨川にある飛び石
渡ってみようと思いました

2日前の大雨のせいか、足元の流れはとても急でした

流れの真ん中でまず北山を撮影

回れ右して下流を撮影

ヘルメットをかぶった姉弟くんたちも戻ってきました

あの小さな人は渡ってこられるかしら・・・
ちょっぴりこわいよね

2016年2月6日土曜日

ちいさな記事

佐藤初女さんが亡くなりました。ガイアシンフォニー「地球交響曲」という映画の中で初めて初女さんのことを知りました。岩木山を望む青森県で、森のイスキアという誰もが訪れることができる場所を用意した初女さん。映画の中では、たっぷりサイズのおにぎりを作って訪問者をもてなしているすてきなおばあちゃまでした。

それ以降、初女さんの本もたくさん読みました。生きる指針となることばもたくさんいただきました。尊敬する女性の一人でした。

小さな新聞の死亡記事が初女さんの大きな、そして静かな人生があったことを改めて伝えてくれていました。


ガイアシンフォニーの監督、龍村仁さんの追悼文です。

初女さんのことを書いた2012年のブログです。