2011年7月31日日曜日

初めてのカヌー


雨が上がったびわこ、高島の岸からカヌーで出発
風もなく、静かな湖面を進んでいきます

前後に座る二人のこぎ手の息が合わないと
カヌーはあらぬ方向へ・・・


浮島は水鳥が巣をつくるためのもの


岸近くには水草の菱(ひし)がいっぱい
オールが重くなります
右の写真にぼんやり写っている「S」字
カヌーが動いて菱をかき分けた跡


水鳥観察センター
ShinAsahi Waterfowl Centre
びわこを望んでこんな光景


ボートハウスの中で
カヌーはこんな風に収納されていました

2011年7月30日土曜日

朗読


先日の土曜日の朝、8時10分頃、ラジオのスイッチを入れました。NHKラジオでは、今年の4月から土曜日の朝8時台に朗読番組が始まりました。バタバタした時間帯にゆっくり聞けないな、と思っていた私でした。

その土曜日は、吉村昭さんの短編「梅の蕾(つぼみ)」。東北、三陸海岸の過疎の村を舞台とした作品に、どんどん引き込まれた私でした。

無医村に、千葉のがんセンター勤務の医師が自ら名乗り出て赴任(ふにん)してきます。村にとって、信じられないこと。村民あげて医師の家族を歓迎します。山野草に興味のある医師の夫人は、村の女性たちと一緒に、季節のいい時は、毎日のように山に入ります。医師の家には、女性たちが集まり、家事を手伝う姿も見られるようになりました。

その夫人は、白血病を患っていました。毎月東京に戻って診察を受けていた夫人が、入院のために村に戻れなくなり、そして亡くなります。夫人の実家で執(と)り行われた葬儀。ちょうど東京に出張していた村長が焼香を済ませたところに、数台のバスが到着し、村人たちが次々に降りてきました。夫人と一緒に山野草を取っていた腰のまがった女性もやってきました。村の診療所の奥さんの旅立ちを、村人の多くが見送ったのです。

このあたりで私の目頭が熱くなりました。閑静な住宅街にバスが止まった様子が目に浮かび、村人たちの姿まで見えてきました。音だけの世界がドンドン広がっていったのです。
  
さっそく手に入れた文庫本で、聞き逃した最初の5分のところも読みました。東北が大好きだった吉村さんのこころが、書き込まれた文体からにじみ出ているのです。

文章の美しさ。それが「音」になって伝わったときの表情の豊かさ(朗読者の技量も大きいですが・・・)。

「三陸海岸大津波」を読んでから吉村昭さんの本を図書館で次々に予約して借り出しています。黙読だけでなく、時には、すてきな表現を声に出して読んでいます。

2011年7月29日金曜日

一日だけの同居人

ある朝、ゼラニウムの鉢に、こんなきのこが・・・
たった一日だけの同居人でした

2011年7月28日木曜日

いたち

朝からChuckがリビングの窓の外を気にしていました
く~ん、く~ん・・・妙な声を出していました



小さな「いたち」が庭に入っていました
午前中、窓の外をウロウロしていました
Chuckもずっと、く~ん、く~ん



「Chuckはやっぱり犬なんだね」
再確認

2011年7月27日水曜日

四方綱引


四方綱引き(よんぽうつなひき)という競技があることを初めて知りました。この全国大会のご案内の中にある映像をご覧ください。四方綱引全国大会

普通の綱引きと違って、動きがとても複雑です。四方に引き合うだけでなく、時には、二対二、時には三対一となったりします。微妙な駆け引きの中で、流れが絶えず変化しています。

力任せにまっすぐ引くだけではなく、左右の動きを入れて、自分の「陣地」にライバルチームを引き込もうとする「頭脳作戦」は普通の綱引きにはないおもしろさです。

綱引きといえば、シカゴに住んでいた頃の、日本人補習校の運動会を思い出します。綱引きは一番盛り上がる競技でした。長い綱を必死で引き合って「日本」を感じたものでした。例年運動会の後は、必ずお医者さんに行く父兄が出ることになるのですが・・・

綱を引き合う「単純さ」ゆえのおもしろさ。無理は禁物ですが・・・


2011年7月26日火曜日

「あやまる」こと

いつの頃からでしょうか。企業や組織の不祥事が起こったあと、記者会見で、幹部たちが一斉に頭を下げている写真が増えてきたのは・・・

大きなミスを起こして、社会的な影響が及ぶとき、当然「謝罪」は必要です。でも、単に頭を下げる写真だけでは、何か「上っ滑り」(うわっすべり)な感じがするのは、私だけでしょうか。

世界の多くの国では、自分のミスを認める前に、まず自分を弁護する理由をあげることが多く、それに比べて、日本人はあっさりと「ごめんなさい」と言う、と以前に聞いたことがありました。「あやまる」ことが簡単に行われている。大きな社会組織であっても、まずあやまってから、というところなのでしょうか。

普段の生活で人間関係を円滑にすすめるためには、「ごめんなさい」はとても大切です。ですが、自分の都合が悪くなった時に、単に「ごめんなさい」と、表面上あやまって逃げてしまっていては、全く謝罪の意味がありません。

このところ、菅首相の「謝罪」が続きます。「首相、公約甘さ陳謝」という新聞の見出しがありました。一国の首相として、「おかしい」と思った時にあやまるのは大切ですが、「その次」はもっと大切なはずです。あやまったあと、そこからどうするのか。どんな解決策を考えているのか、はっきり明示しないといけません。

「潔さ」(いさぎよさ)を良しとする日本人ですが、潔くあやまるなら、それからの対応も含めて、より明白な「潔さ」を示してほしいものです。

2011年7月25日月曜日

賀茂なす

京の伝統野菜の一つ、賀茂なす

ご近所のグリーンハウスの中
今年の暑さで、賀茂なすは日ごとに大きく
作っている方と出会うこともなく
ほしいな・・・と思う日々




ご近所の農協マーケットで買った賀茂なす
気楽な値段、味も合格!


2011年7月24日日曜日

飯舘村

「ここには先祖さんがみんないるんだぞ。俺は村を離れたくない」。
年配の男性が言います。

原発事故以降の福島県飯舘村のドキュメント番組。

一人一人・・・と村民が避難していく現実。

原発で家族がバラバラになってしまう現実。

30年以上手塩にかけて改良した牛を手放す現実。

「くやしいです」と言う男性の涙。

原発事故から4ヶ月、飯舘村の全村避難は7月末に完了予定。


5月1日けやき便り: 計画避難の飯舘村、住民の困惑と怒り

2011年7月23日土曜日

テレビ画像


永谷園のお茶づけ海苔の封を切って


中身をみんな出して


小さな「のり」たちが行進して


みんながそろったらこんなになっちゃった!
七味とうがらしも整列!

地デジの警告文章がなくなり、テレビ画面を撮影しようとした時
NHK教育(Eテレビでしたっけ・・・)で見つけた画像

NHKで商品名がこんなにはっきりでてる!

2011年7月22日金曜日

満身創痍

満身創痍(まんしんそうい)とは全身が傷だらけのこと。引退した大相撲の魁皇(かいおう)は、両肩、両ひじ、両ひざ、両ももを痛めていて、文字通り、満身創痍。腰痛も慢性化していて、ここ数年、本場所が終わると歩くこともままならないほどだったとか。大関在位65場所で、かど番(負け越せば大関の地位から下がること)の場所を迎えた数は、史上2番目の13回。

現役を続けるために、やるべきことをまじめに続けた彼の態度は、多くのファンを引きつけ、取り組み前には大きな「魁皇コール」を受けていました。

引退後の記者会見での明るい笑顔がすてきでした。全てをやり終えた安堵(あんど)感があふれていました。「23年間、色んなタイプの関取と対戦した経験を、これから若い力士たちに伝えたい」と語っていました。

被災地の巡回慰問にもでかけた魁皇。「気は優しくて力持ち」だった魁皇。「全ての人に感謝したい。魁皇としての人生は最高でした」ということばを残しての引退。まだ39歳。これからの親方人生、期待しています。

2011年7月21日木曜日

ヤタガラス

これは娘の「手作りJFAエンブレム」。アメリカ在住の娘。手作りエンブレムをアディダスのTシャツの胸につけて、息子の家で、なでしこジャパンとアメリカが対戦するワールドカップの決勝戦を応援。

一週間後に迫った司法試験の勉強に没頭している娘。本人も「なかなかのできで・・」、と久しぶりの「工作」がいい気分転換になって満足とのこと。

ワールドカップの大舞台、決勝での日米対決。アメリカ生活の方がずっと長くなった息子と娘。こころの中の「日本人」が興奮した試合だったようです。

「なでしこジャパンサポーターin USA」を「見て!見て!」ブログにアップしました。娘も「ばいりんぶろぐ」アップしたようです。


PS: 日本サッカー協会(JFA)の「ヤタガラス」説明文です。
三本足のカラスは、1931年(昭和6年)6月3日の理事会で採用されたもの。三本足のカラスは中国の古典では日の神 (太陽)のシンボルといわれ、日本でも神武天皇東征の時、「ヤタガラス」が天皇の道案内をしたという伝説もあって、日中の故事から、ボールを押さえたカラ スは日本のサッカーを統治指導するものと考えられた。

2011年7月20日水曜日

Happy Birthday!

7月20日、Chuck、3歳になりました

散歩が大好き、元気のかたまり
雨の日は、リビングで大暴れ
ちょっと疲れて休憩中

「なんか、ようじ??」

2011年7月19日火曜日

フェアプレー賞

サッカー女子ワールドカップで優勝した、なでしこジャパン。キャプテンの澤穂希(さわほまれ)選手はMVPと得点王を獲得。日本チームはフェアプレー賞を受賞しました。

今回の会期中、6試合で警告は5,退場が1。退場となったのは、決勝戦、延長戦最後の最後、アメリカのシュートを身体ごとぶつかって阻止した岩清水選手。「ここで点をとられるわけにはいかない」という執念が退場につながる行為になったのだと思います。見ていて、レッドカードは厳しいな、とも感じましたが、緊迫したあの瞬間、主審の下した判断に、一瞬びっくりした表情のあと、すぐに残り時間に集中した選手たちでした。

今朝の天声人語には、「俺が俺がのプレー、汚い反則や抗議がなく、ボール回しを楽しめた」とありました。男子と同じフィールドで走り回る女子サッカーは、ともすれば、動きが緩慢でおもしろくない、と思われがちですが、世界一を争うレベルの試合は、延長時間を含めて、その長さを忘れるほどでした。

フェアプレー賞の日本女子。改めて「すごい」です。

たんぼ



この暑さ  あればこそ増す 田の青さ


ご近所のお寺の掲示板にありました
そうなんですよね
暑さも必要なんですよね

台風が近づいて、暑さはちょっと一休み
でも、蒸しますね
風や雨が気になりますね

2011年7月18日月曜日

勝った!

見ました、女子サッカーワールドカップ決勝。

勝った!
すごい!
眠い!

ポスター展

岩手県釜石市と大槌町で撮影された写真のポスター展
会場は左京区役所のロビー
左京区在住の東北出身の主婦が企画
大きい写真から伝わるメッセージ
響いてきました





宿直室の前で見かけたピンクと白のバラ
新築の区役所の中の、ひときわ明るい場所

2011年7月17日日曜日

「恥」の感覚

朝日新聞の「特派員メモ」から拾ったエピソード。

アフガニスタン駐在の特派員が、カブール空港への飛行機に搭乗。着陸態勢に入った機体は風にあおられて、ローリング状態。機体が滑走路に着く・・・と思った瞬間、急上昇。

「着陸しないのかよ!」と大声を出したこの特派員。回りを見ると、右隣のアフガン青年は、彼にほほえみかけ、左隣の若い女性二人はおしゃべりを続けている。

再度の着陸で無事、カブール空港に降り立つまで、「生きた心地はしなかった」この特派員。長い戦乱を生き抜いてきた人々は肝っ玉が違う、と痛く感心。

後日、このフライトに同行していた現地助手が「すごく怖かった」と告白。彼の説明では、アフガンでは女性でも「怖がる」ことに「恥」の感覚があるのだとか。

「恐怖への反応も、ところ変われば違うものだ」
特派員の恐怖の異文化体験。

2011年7月16日土曜日

アンテナ設置



「あと9日」の表示を撮影したのが15日のお昼のこと。猛暑の午後、地デジアンテナを電気やさんが取り付けてくれました。屋根の上の作業が終わって、テレビを調整してくれる電気やさんの額から、ぽたぽた汗が落ちていました。お仕事、ごくろうさまです!




メッセージが消えた画面。
すっきりしています。
これが当たり前なのですが、忘れていました・・・


地デジ移行で、テレビをもう見ない、そんな人もいるようです。
地デジ化を機にテレビとさよなら 移行まであと10日

私も一時は本気でそう考えていたのですけれど・・・

2011年7月15日金曜日

宵・宵・宵山


今日は「宵・宵・宵山」です、と昨日(14日)ラジオから聞こえてきました。以前は「宵山」ということばだけだったような気もしますが・・・

宵・宵・宵山の四条河原町。西を向いています。鉾は見えない場所ですが、いつもとは違う賑やかさ。

道の真ん中で写真が写せるのも特別な気分。

今年の祇園祭は、多分、これだけ・・・

ヤマアジサイ

伊吹山の「ヤマアジサイ」
下界のアジサイような華やかさはないけれど
表情豊かな小ぶりな花々







2011年7月14日木曜日

京都弁

小説家の幸田露伴(こうだろはん)は、約百年前、京都大学文学部創設時、国文学の講師として招聘(しょうへい)されたそうです。日本、中国の古典の博識ぶりが評価された異例の抜てきだとのこと。

しかし、露伴はたった一年でこの職を辞め、東京に戻ります。知人に「子どもに京都語だけはおぼえさせたくありませんから」と伝えていました。京都には縁のない、代々幕臣(ばくしん)であった幸田家。京都弁に対しての違和感があったのは、充分に想像できることです。特に私には・・・

私を育ててくれた祖母は「お江戸」の人。京都に50年以上住んだのですが、ことばは全くそのままでした。京都弁が「きらい」でした。「おばあちゃん」と私が言うと、「お~、いやだ。おばあちゃま、とおっしゃい」とくるのです。祖母のからだに染みついた感覚は、どんなに長く京都に住んでも、抜けることはありませんでした。

京都で育って、京都で学校に行った私です。京都弁にならないわけはありません。ですが、以前から私の京都弁は「へたくそ」と友達たちに言われていました。「なんかおかしい・・」のだそうです。東京の役者さんがしゃべるのよりは「まし」、と本人は思っているのですが。

偶然目にした幸田露伴のエピソードは、祖母の懐かしい記憶をよみがえらせてくれました。ちなみに、祖母の「ご亭主」も、京都大学工学部が設立された時に、「東京帝国大学」から来た教授でした。私にとっては幸田露伴と同じく「歴史上の人物」です。

2011年7月13日水曜日

待ってます・・・


ゆっくり本を探してくださいね
ぼくは大丈夫だからね
待ってますからね

図書館の玄関先にて

2011年7月12日火曜日

丸四ヶ月

3月、寒かったですね
7月、猛暑ですね
丸4ヶ月たちました

7月11日NHKのお昼のニュース
ご両親が亡くなり、奥さんと子ども二人は行方不明という男性
家の跡地で、5つのコップを並べて手を合わせていました

「日に日に厳しさがつのります」
目頭を押さえる男性でした


ここまでは、テレビのニュースで目にしたことを書きました。
12日朝日新聞の朝刊にこの男性のことがありました。

岩手県山田町に住む五十嵐康裕さん(47歳)、漁師さんです。地震のあとには津波が来る。生活の糧のため、沖に船を「逃がしに」行くのが漁師の鉄則。海から戻ると家は土台を残して全てが消え、6人家族のうち一人だけ残されたのです。

自宅跡に5つの茶碗を毎朝供えて「家族」に語りかけます。

津波が来た場所には二度と家が建たないように、行政を「がんがん」つついてくれ、と五十嵐さんは取材した記者に言ったそうです。

「国が土地を買い上げてでも、そうするべきだ。ほっといたら、また家がたっちまうって。そしたら同じことの繰り返しだ。作業小屋だの家だのはまた造れるけれどよ、家族はもうつくれねえんだぞ。」

2011年7月11日月曜日

ボーイング787

新しいボーイング787が日本に飛んできましたね。

Made with Japan. 日本の技術が35%、ボーイングが35%、その他30%。

全日空が開発から関わっているそうで、こんなホームページがありました。

ANA ボーイング787 We Fly 1st.787 │ ANA SKY WEB


燃費のいい中型飛行機。長距離フライトも可能になったとか。
乗ってみたいですね!



2011年7月10日日曜日

梅雨明け二日目

梅雨明け二日目の土曜日
強い日差しを浴びながら登る、伊吹山の遊歩道





時折通り抜ける風はさすがに心地よく
上手なうぐいすの「谷渡り」もこだまして


咲き出した花々を追いかけながら、山頂までの夏登山
フ~ッ、暑かった!!