小説家の幸田露伴(こうだろはん)は、約百年前、京都大学文学部創設時、国文学の講師として招聘(しょうへい)されたそうです。日本、中国の古典の博識ぶりが評価された異例の抜てきだとのこと。
しかし、露伴はたった一年でこの職を辞め、東京に戻ります。知人に「子どもに京都語だけはおぼえさせたくありませんから」と伝えていました。京都には縁のない、代々幕臣(ばくしん)であった幸田家。京都弁に対しての違和感があったのは、充分に想像できることです。特に私には・・・
私を育ててくれた祖母は「お江戸」の人。京都に50年以上住んだのですが、ことばは全くそのままでした。京都弁が「きらい」でした。「おばあちゃん」と私が言うと、「お~、いやだ。おばあちゃま、とおっしゃい」とくるのです。祖母のからだに染みついた感覚は、どんなに長く京都に住んでも、抜けることはありませんでした。
京都で育って、京都で学校に行った私です。京都弁にならないわけはありません。ですが、以前から私の京都弁は「へたくそ」と友達たちに言われていました。「なんかおかしい・・」のだそうです。東京の役者さんがしゃべるのよりは「まし」、と本人は思っているのですが。
偶然目にした幸田露伴のエピソードは、祖母の懐かしい記憶をよみがえらせてくれました。ちなみに、祖母の「ご亭主」も、京都大学工学部が設立された時に、「東京帝国大学」から来た教授でした。私にとっては幸田露伴と同じく「歴史上の人物」です。
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