日本の学校での英語教育をいかにすべきか:文法重視で訳読をしっかり教えるべきか、それともすぐに使える会話に重点をおくべきか。「英語教育は実用主義か教養主義か」という論争がされていたのが70年代半ばのことと言いますから、方向性が定まらないままに日本の英語教育が進んできたことがわかります。
朝日新聞のオピニオンの紙面に鳥飼玖美子(とりかいくみこ)さんの意見が掲載されていました。女性同時通訳者の先駆けであり、英語教育、言語コミュニケーションのプロとして英語に関わり続けている鳥飼さんの、「英米モデルを離れて英語を共通語化する試みがある」という文面に興味を持ちました。
コミュニケーション能力も大事、文法・訳読も必要、でも今のこどもたちはどちらもできなくなっている、と鳥飼さんは指摘します。「もう論争は辞めて、両方できるような、しかも日本人の特性に合った、最大限の効果を出すような教育方法をみなさんで考えませんか」と提案します。
そして、「ある程度の基礎力を身につけたら、学校教育としては使命を果たしたと思っていいのでは。あとは本人の努力です」・・・ごもっとも。
英米人など、英語を母語としている人口が約4億。英語を公用語、もしくは外国語として使う人口を合わせると10数億に達する現在の世の中。現在は「英語を英米人の基準に合わせる必要はない時代」だと言う鳥飼さんの主張は明確です。
英語の、発音、文法、それぞれに「どこを守ったら英語といえるのか、そのコア(核)を探す研究がヨーロッパ中心に取り組まれている」ようになっているのだそうです。そこをしっかり学校教育で教える必要があり、むやみに英米人の発音をまねしたり、独特の表現を覚え込むことはない、という主張です。
「わかるかわからないか」それが大切。共通語として機能するための基本を教え、使う時には細かいことを気にせずに使えばいい」
「国際共通語としての英語に、大事なもう一つの要素は、自分らしさを出したり、自分の文化を引きずったりしてもいい、ということ。『アメリカ人はそうは言わない』と言われたら、『アメリカでは言わないでしょうが、日本では言うんですよ』と言えばいい」
さてさて、そこまで自己主張した英語を日本人が話せるようになるでしょうか?発音第一で英語を教えている私には、「英語の核」の中に、正しい発音を入れてほしい気がします。まず耳を慣らして、正しい発音訓練をする。英語という言語の持つリズムを身につけて、そこから「自分らしい英語の音」で自由に話してほしい。そう考える私です。
国際共通語としての英語について書いた以前のブログです09.7.21下手な英語
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