私たちがシカゴに住んでいた時、小学校の校長先生からの「呼び出し」がありました。「お宅のお子さんたちをGifted Programのメンバーにしたいのですが、よろしいですか?」
アメリカの学校では、子どもの教育について、先生方と親の会話がオープンに行き交(か)います。日本の「モンスターペアレント」とは全く違って、親も思うところがあれば、必ず担任の先生、もしくは直接校長先生とじっくり話し合うのです。
娘が担任の先生と馬が合わず、学校がイヤになりかけた時、学年の途中でしたが、別のクラスに移ったこともありました。子どもにとって、それがベストだと、関係者みんなが納得しましたから、以前の先生との「後腐(あとくさ)れ」も全くありませんでした。
Gifted Programとは「よくできる子どもたち」を選抜して教育するプログラムです。公立小学校ですから、普通のクラスのレベルからかけ離れたことをするのではなく、ちょっと上ぐらいのことを教えていく、そんな感じでした。
こ のプログラムのための選抜テストで我が家の子どもたちがいい成績をとった、そこで、校長先生が親の意見を聞いてくださったのです。「まだアメリカに来て2 年足らずですから、もちろん英語力は他の子どもより劣りますが、二人の可能性はとても高いと判断しました。」という校長先生のことばに感激した私です。
日本の公立小学校で、このような場合、果たして外国人の子どもたちを「できる子どものための特別クラス」に入れてくれるでしょう か?普通より手がかかるのははっきりしています。でも本人たちにとって「いいこと」だと判断できれば、ベストを尽くそうという先生方の気持ちが強く伝わってきたものです。
その子の能力に合った教育こそが「平等な」教育です、とこの校長先生がおっしゃいました。無理をさせることなく、自然に能力を伸ばせる教育が一番大切なのです、と。
アメリカの小学校では、飛び級も落第もとても自然でした。落第と言っても、親が「うちの子はまだ進級するには力不足だから、もう一年、同じ学年で勉強させたい」という場合もしばしばありました。小学校入学を遅らせる親もいたほどです。
子どもが伸びる時期は一人一人違います。体力・気力・精神力・そして学力、それぞれ、色んな伸び方をするものです。その子どものその時期にふさわしい教育を考える、教師や親にとって、まず第一に考慮すべきです。
同じ教材で同じ時期に同じように勉強するのが「平等」。少しでも「えこひいき」はいけない。そんな考え方はないでしょうか?一人一人の持っているものをきちんと伸ばせる教育。それが真の意味での「平等」なのではないでしょうか?
我が家のGifted Childrenのその後は・・・
二人とも、しっかり自分の道を歩いています。
決してストレートAの生徒ではありませんでしたが・・・
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