私達は知り合いの人が体調を崩したと聞いたあと、その人を見かけたり、電話で話すことがあると、「お加減はいかがですか?」と尋ねます。もう大丈夫かな、と思う気持ちが自然に言葉になってくるはずです。
若 くして認知症を発症した、若年認知症の人たちは、自分たちはその「気遣い」の言葉がかけてもらえない、と訴えるそうです。認知症となった母との会話のすれ 違いがどうしても納得できないで、イライラする私ですが、まだまだ元気なはずの壮年期の認知症の人に、どのように話しかけていいのか、それは年配の 認知症の人に対するよりも難しいことなのかもしれません。
認知症の人にいつも接しているデイサービスの職員さんたちですら、そういう若年認知症の 人へ充分な話しかけができていないそうです。せっかくデイサービスに行ってもも、ほとんど誰とも会話がなく、年配の利用者の中で、ただ時間を過 ごしているだけ、そんな若年認知症患者の姿があるようです。
「普通に接して欲しい」というのが、患者さんたちの希望です。認知症は「忘れる病気」だから、忘れることは増えるけれど、それ以外は、「普通」の人として接して欲しいのです。
人は社会との関わりがなくなると、自分の殻に閉じこもりがちになります。社会とつながっているという自覚や認識がある限り、 そして自分が何かの役に立っているという気持ちがある限り、そこにはっきりした「生きがい」や「目的」が生まれてくるのだと思います。
高齢者、若年を問わず、認知症を患う人が、自分たちができることをゆっくりこなしていくのを、しっかりと受け止められる社会となればいいですね。そんな社会は、認知症の人だけでなく、障害を持つ人にも、そして私達全てにも、心地よい、住みやすい社会のはずです。
世の中のテンポに合わせて急ぐだけがいいわけじゃなし、ゆっくりと歩みを進めると、見えることが一杯あるはずです。
母がショートステイで留守の日々、「こうすればいいのだな」と冷静に色々考えられる私です。ただ、介護再開となると、それが大変なのも十分承知ですが・・・
3 件のコメント:
昨日わたしの叔母が認知症の診断を受けたと、子供の頃から仲のいい従姉(叔母の娘)から連絡がありました。認知症の中でも「ピック」という稀な症状です。この言葉、この度はじめて知りました。
それでこちらもいろいろそれについて調べ始めたばかりです。
GWで帰省したときに今後みんなでどう協力していけるか話合いの場があるようです。
叔父は早くに亡くなって叔母はずっと一人暮らしでした。
自分の身近におこった最初の介護問題です。
しかしあの陽気な叔母が・・・やはり時の流れを感じます。
叔母様のこと、ご心配ですよね。私も認知症がアルツハイマーだけでないことを、母と同居するようになって、初めて知りました。確かに認知症は病気なのですね。
私の母の場合は、加齢による変化だという気がします。70歳半ばまでは運転もできていたのですから。
段々記憶があやしくなることの辛さを一番感じるのが病人ご本人。そして人間関係が以前とは違ってくることを周りが受け入れるのは至難の業。
ただ、どんなに記憶がおぼつかなくなっても、その人の感情をいかに包んであげられるか、それが介護の人が心がけるべき第一だと思います。
実際は、自分の感情をぶつけてしまうことが多く、自己嫌悪もたびたび。介護する人自身もあるがままを受け入れる練習がいるのです。
叔母様だけでなく、周りの方々にとって、よい方法が見つかりますように。
ありがとうございます。けやき便りの介護の欄も今後参考にさせていただけそうです。自分自身の老後もあわせて誰の身にも本当に起こる事ですね。
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