日本のホスピス運動の先駆者、淀川キリスト教病院の元院長、柏木哲夫(かしわぎてつお)先生の講演の中で、「ホスピスで働くスタッフは、あちらの世界に向かう渡し船の船頭(せんどう)なのです。“私達もあとから参ります”という気持ちを持って、患者さんを向こう岸にお送りするのです。」
先生のこの講演を聞いたのは、もう20年近く前のことだと思います。まだ「ホスピスって何?」という雰囲気のあった頃です。現在「緩和ケア」と表現される医療が「ターミナルケア」と呼ばれ、各地の駅前の「ターミナルホテル」からたくさんのクレームがついていた頃です。
1985年に父が亡くなり、父の最晩年の日々がホスピスのような場所で過ごせていたら・・・という気持ちが、私のホスピスや緩和ケアへの興味の原点となりました。当時柏木先生の講演会を「おたく」のように追っかけたものです。
そんな私にとって、思いがけない経験が通訳の現場でありました。京都府立医科大学での緩和医療研究セミナーでのことです。(90年代半ばだったと思うのですが、何年だったか失念してしまっています・・・)
オーストラリア人の先生が講師になって、日本の緩和ケア専門家が集まる小さな会議。出席者は20人足らず。全員が英語ができるけれど、ややこしくなりそうだったら通訳してください、そう頼まれたのです。
私にとっては「願ってもない現場」です。緩和ケアのプロに会えるのです。が、当日「看護婦さんのお二人が全く英語がわかりませんので全部を通訳してくれますか?」と担当者から言われ、そんな!!!と一瞬目の前が真っ暗に・・・
あれこれ文献は読んでいたものの、医療や緩和ケアに関して、万全の自信があっての通訳ではありません。その場から逃げ出したい気持ちになったのを覚えています。
講師の先生は、オーストラリアなまりも少なく、わかりやすい英語で、通訳のことを考慮した話し方でしたし、日本語のディスカッションを先生の耳元で小声で訳していく「ウィスパリング」もそれなりにこなせていました。そんな中で私は「society」の訳を間違ってしまいました。何の気なしに「社会」と訳してしまいましたが、この場合は「学会」です。知識のなさを露呈(ろてい)してしまった私ですが、そこでそっと「助け船」を出してくださったのが柏木先生でした。
長テーブルが「口」の字の形に並べてあった会場で、通訳の私の横に柏木先生が座っていらっしゃったのです。
「それは学会のことですよ・・・」
私にだけ聞こえる静かな、それでいて、絶妙なタイミングのアドバイスでした。
私のミスを咎(とが)めるような雰囲気は全くなく(この程度の単語も知らないのか・・・英語のわかる人は通訳に対してそういう態度を取られるものです)、言葉がスムースにつながるように、ごく自然に言葉を出してくださったのです。
緊張の一日が終わったあと、改めて、この文頭の柏木先生の言葉を思い出していた私です。
柏木先生のような方も「おくりびと」の一人なのでしょうね。人に対しての大きな大きなやさしさを持っている方、そんな方に直接出会えた私の貴重な経験でした。
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