私の父は1985年、73歳で亡くなりました。若い頃から病弱で、生涯病気とともに生きた人でした。結核の療養生活を含めて、病院とのご縁は一生切れることはありませんでした。
私が生まれた時も、結核の療養所にいて、私を初めて見たのも、私が1歳を過ぎてからだったと聞いています。そのせいか、父は私を小さい時から「おとな扱い」して会話するのでした。「父親ってこんな話を娘にするのかしら・・・」と幼心にも感じていた私でした。
そんな父が、私が最初の妊娠をした時、とてもおもしろい話をしてくれました。
「僕は男だから赤ん坊を産むということに関しては本当はわからないけれどね・・・もし出産がとんでもなく大変なことだったら、人類はずっと昔に滅亡していたと思うよ。」
何とも不思議なコメントです。でも何となく不安になっていた私の心がとてもほっこりしたことを覚えています。「そうなんだ。今まで女性が普通に通り過ぎてきたことだから、私も大丈夫なんだ」 そんな気持ちになりました。
この言葉のおかげか、私は二度の妊娠出産を全く「普通」に・・・と言うより、軽々と(?)通り過ぎました。元気過ぎて、検診の時にしかられたほどです。
人は自分の大変だった体験をことさら誇張して話すことがあります。「産みの苦しみは障子の桟(さん)が見えなくなる」と昔の日本では言われていたようです。現在はほとんどが病院での出産で、かつ障子のある家も減っていますから、この言葉はもう死語になっているのですが、とにかく「痛い・しんどい・大変」を強調した言い伝えのような気がします。
「大丈夫なんだよ。心配しすぎなくていいんだよ」 私はいつも「後輩」たちにそう言っています。「気をつけて、でも大丈夫だからね」
心配の「種」は蒔かないように。励ましの言葉は一杯振りまいて・・・これは父から教えてもらったことのようです。