2015年1月19日月曜日

「あくまがこわい」

「悪魔がこわい」なら普通の表現。このことばを聞いた時の意味は「空く間がこわい」というもの。

ラジオ放送では音のない時間ができることが一番「「こわい」というのです。耳だけから情報が入るラジオでは、音がなくなってしまうと「どうしたのかな?」ということになるようです。


1月17日午前5時46分、一分間の黙祷の時間です。早朝からスイッチをいれていたラジオをウトウトしながら聞いていて、黙祷の時間が近づいたので、ベッドの上に座りました。「黙祷」ということばで一瞬の沈黙。ですが、一分の間にもアナウンサーの声が入ります。「会場のあかりが落とされました」「みなさんの顔をろうそくの炎が照らしています」「神戸三宮東遊園地、ほとんど音のしない中、みなさんが静かに祈りを捧げています」(黙祷の場面が再放送されていたので、正確なコメントが記述できました。黙祷中に覚えられた、なんてことはあり得ません!)

たった一分なのですが、こんな場合でもやはりラジオ放送は「あくまがこわい」のですね。沈黙の一分間があってもいいのに、と思いました。


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