2012年6月30日土曜日

茅の輪くぐり

 6月30日の夏越し祓え(なごしのはらえ)
茅(ち)の輪くぐりを貴船神社で体験しました
「くぐりかた」にルールがあるのは始めて知りました・・・

先日行った日本料理のお店にも茅の輪が
ダブルでお祓いができました

2012年6月29日金曜日

一人?

 散歩の帰りに見かけたマガモ
「一人?」って聞いたら・・・


奥さんが水の中でえさをついばんでいました
男としては、ちゃんと見張っていなきゃ!

2012年6月28日木曜日

「浜通り」よりの来客


福島県、相馬市、「浜通り」とよばれる場所からの来客
京都貴船の川床でのお昼をご一緒に
雨の心配はない曇り空の日、川面の風は寒いほど

普通のおしゃべりの中にも、「普段」が取り戻せない福島の現実が
そのあと通りかかった京都市役所の前には、「がれき受け入れ反対」の人たち

京都の休日をどうぞゆっくりお楽しみください・・・

2012年6月27日水曜日

政治生命

「生命も政治が付くと軽くなり」

「いくつあるのか政治生命」


朝日川柳に投書された作品です。


26日、消費税増税法案が衆議院通過。

今後の日本の行く末はいかに。
 

「政治家とは自己愛にあふれた人たち」という表現に納得してしまう私。

「将来の日本の姿」をしっかり提示できる政治家は・・・


私たち一人一人 がそれをしっかり考えること、そこからスタートです。

2012年6月26日火曜日

母の日記

私の母は毎晩日記をつけていました。書くことが好きだった母にとって、その日の出来事を書いてから寝るのが習慣になっていたようです。

その母が、70歳を過ぎた頃、長年の日記を全て自分の手で処分しました。工場の焼却炉で全て燃してしまいました。若い頃の母が何を考え、どんな生活だったのか、その手がかりは今は何もありません。

今、手元に1997年3月から2000年5月までの母の「最後の日記」が残っています。長年住んでいた家を出て、82歳で私と同居を始めた時から書き出した日記です。94歳で亡くなった母は認知症が進み、まともな会話は全くできなくなっていましたが、日記の中の母は、私が知っている母、そのもののです。

慣れ親しんだ「母の字」が、長年使ってきたボールペンが壊れてから、急に乱れるようになり、内容もまとまらなくなっていきました。「どうなっていくのだろう・・・」という記述が出てくるようになってからあとは、日付も飛び飛びです。あれほど「書く」ことで自分を保ってきた人が、書けなくなっていきました。そして、母は母でなくなっていきました・・・

この「最後の日記」は、私にとっての「老い」の道しるべであるような気がします。 人生の先輩として母が残してくれた日記です。

2012年6月25日月曜日

夕焼け

 京都駅ビルの屋上庭園
梅雨の晴れ間、夕焼けが真っ赤 

ビルも赤く染まりました

2012年6月24日日曜日

首ながたんぽぽ

 ひょろりと長い首のたんぽぽ
たんぽぽって呼んでもいいのでしょうか
雨上がりに見つけた黄色

草を刈った公園でも、新しく、しっかりしたたんぽぽ登場

2012年6月23日土曜日

母音

五十音表のトップに「あ・い・う・え・お」の母音(ぼいん)が並ぶ日本語。カ行以降は子音(しいん)との組み合わせで音を作りますが、発音する時、子音と母音の長さの比は1:4ぐらいで、母音が長くなります。特に、関西圏の言葉は母音をしっかり発音し、一つの母音の中で高低をつけるほど。

「木」 や「気」ということば、標準語では「KI」と単純に発音しますが、京都の私の友人は「KI~」と母音を揺らして発音します。

母音をたっぷりした音で出すと、感情表現が豊かになり、他人とのつながりが生まれてくる、という説を新聞で読みました。現在、日本のこどもたちの言葉は子音が目立つようになり、浅い呼吸で甲高い声が増えている、テレビ番組でもそのような声があふれているというのです。

のどをしっかり開いて、声帯を震わせて作るのが母音。滑舌(かつぜつ:ことばの明瞭さ)を作り出すのは子音であっても、母音の中に含まれる音の響きが豊かな感情を伝えているはず。関西弁だけでなく、方言で話される日本語が、標準語にはない何かを感じさせるのは、こんなところにも理由があるのかもしれません。

英語の早期教育が取りざたされる昨今、自分の感情をしっかりと母国語で表せるこどもたちが増えてくれないと、日本は危ない、なんてことも思ってしまうのですが・・・

2012年6月22日金曜日

公園の「ふくろう」

 公園の切り株の「ふくろう」さん
これは2010年の写真

今年の「ふくろう」さんはもっとひげ(?)もじゃに
切り株になって久しい「ふくろうさん」
どっこい、元気なんです

2012年6月21日木曜日

単語帳

中学・高校時代、英語の単語を覚えるために作っていた「単語帳」。現在、それをコンピューターで簡単に作って楽しんでいる私です。

随分以前から翻訳作業の折、コンピューターのフリー辞書を使っています。本来の辞書をひくことはほとんどなくなってしまいました。使っていたのは英語・語学の学習情報サイト「スペースアルク」にある「英辞郎on the WEB」 。新しい単語や使い方も掲載されていますから、私にとって「なくてはならない」HPとして使っていました。

そこに「英辞郎on the WEB Pro」ができているのを先日発見。これは月額315円となりますが、チェックした単語のリストができたり(何度も同じ単語をチェックする私・・・)、自前の単語帳が作れるのです。英和と和英、それぞれアルファベット別に検索もできます。自分がどんな単語が苦手なのかもわかります。

ドンドン「単語帳」に登録している私です。これをしっかり活用しないと・・・学生時代も「単語帳」を作ったらなぜか安心して、あまり勉強しなかったような・・・

2012年6月20日水曜日

植物園の温室で


 幹の途中から花芽が出ている「ホウガンノキ」
漢字で書くと「砲丸の木」、つぼみの形からでしょうか

ややこしい名前が多い温室の植物
この人たちの名前は・・・わかりません


これバナナそして、これスイレン・・・やっと知っている名前登場

2012年6月19日火曜日

養子縁組

少子化と言われる日本で、施設で育てられる乳幼児が多く存在しています。一人の職員の膝を取り合う小さな子どもたち。みんな自分の方を向いてほしいのです。施設では人間関係の基礎作りが難しいのが現状だとか。できることなら、里親を見つけ、養子として育ってほしい、日夜子どもたちの世話をする職員の方々の願いです。

以前の日本では「養子」とは家の存続のためであり、血のつながりを強く求める傾向がありました。現在、養子を考える人たちも、できれば0歳から1歳までの、それも女の子を、そして障害のない子を希望するのだそうです。 ただでさえ、養子になる可能性は低いのに、3歳以上の男の子の場合、国内での養子縁組はほぼ不可能とか。

テレビの番組で紹介された3歳の男の子は、国際養子縁組が成立して日本在住のアメリカ人家族に養子となりました。「将来、日本語と英語を理解して、二つの国をつなぐ人に育ってほしい」。アメリカ人養父のコメントです。

「家庭の必要な子どもに家庭を与えたいのです」という国際養子縁組の親の人たち。一人でも多くの子どもが家庭で育つことができますように。

2012年6月18日月曜日

28グラム

え~と、僕は28グラム

新しいキッチンスケール
こんなに小さくて(安くて)、何とも便利
何でも計っているこの頃

野菜250グラムと小さじ一杯で
いい味の浅漬けに

2012年6月17日日曜日

2012年6月16日土曜日

元気高齢者

在宅介護をする前、母がお世話になっていた施設に一人の元気な看護助手さんがいました。いつも、「いらっしゃい」と私を迎えてくださり、母の様子をあれこれ教えてもらっていました。明るい声で入所者に声をかけるこの看護助手さんに会うのが私にとっても楽しみでした。

ある時、この方の年齢を聞いて仰天しました。70歳を越えていました。若々しくて、小柄な外観からはとても想像できない年齢です。私が知っているだけでも、それまで15年ぐらいは働いていらしたのですから、その体力、気力にはただただ脱帽でした。

おまけに、自宅では軽い脳梗塞を起こしたご主人がいらっしゃると聞いて、またまたびっくり。「家にじっとしてたら、気が滅入るもの」とさらっとおっしゃるこの方は、ご主人の世話はしっかりこなし、食事も全て用意して仕事に出かけるのが当たり前なのだそうです。数年前までは夜勤もこなしていらしたのですから・・・

超高齢化の時代を迎え、介護や看護の人材が足りなくなっている現状。福祉関係の学校を卒業しても、介護の現場には就職しない若者たち。たとえ就職しても厳しい労働条件や低賃金で離職率が高いのも事実です。 そこで「元気高齢者」に介護を支えてもらう取り組みが始まっているようです。

介護や看護の仕事には、体力が必要な身体介護だけでなく、食事介助や散歩の付き添いなど、比較的高齢の人でもできることがたくさんあります。若い人たちと高齢者の介護チームが上手に仕事を分担していくことで、介護現場のマンパワー確保をしようとする施設や病院が出てきているそうです。

70歳を超えても、看護助手としての仕事の全てをこなしていた上記の方は例外かもしれません。ですが、やる気のある「元気高齢者」が生かされる場ができれば、今後のみんなの安心にもつながることだと思います。

2012年6月15日金曜日

「法」の字

 大文字の送り火の「法」の山に登りました
・・・と言っても、宝ヶ池からすぐでした

送り火の火床の上からはこんな景色が広がっていました



2012年6月14日木曜日

大手を振る

朝日新聞朝刊の「しつもん!ドラえもん」に、「大手を振るの“大手”はどこの部分?」という質問がありました。

朝刊をくまなく探して「答え」を見つけました。「肩から手の先まで」、つまり腕全体のこと。

「小手」とは、ひじから手首まで、または手首のこと。

「小手先」とは、手の先、そして手の先でするような、ちょっとした技能や才覚のこと。

相撲の「小手投げ」や「小手先の技術」 というようなことばの意味、これで納得!

日本語の引き出しにしっかりしまっておきます。

2012年6月13日水曜日

カリスマ・・・

カリスマ美容院、カリスマ店員、etc...

有名であることを「カリスマ」と表現するようになったのはいつ頃からなのでしょうか。今度は「カリスマ看取(みと)り医」だそうです。文藝春秋7月号の広告にありました。

カリスマ看取り医の方々は、大井玄さん、石飛幸三さん、中村仁一さん。この方々の本が私の本棚に並んでいます。母を介護していた頃に読んだものもあれば、中村仁一さんのベストセラー「大往生したけりゃ医療とかかわるな」は今年になってから読みました。

「カリスマ看取り医」 ということばを目にして、祖母(母の母)の最期を改めて思い出しました。

40年以上前の老人の看取りは、ごく自然に家族が家で行っていました。かかりつけのお医者様が黒いカバンを手に、何度も様子を見に来てくださり、そして、静かに祖母は旅立ちました。あのお医者さまも「カリスマ看取り医」だったはずです。祖母にとって最高の「看取り医」だったのですから。

あの情景とあまりにも現代の看取りが変わってしまったからこそ、「カリスマ」という言葉がついた「看取り医」という存在がクローズアップされるのでしょう。ムダな医療処置をすることなく、高齢の方々の看取りは自然であってほしい。母の自然な旅立ちの経験から、それを痛切に思う私です。


けやき便り: 平穏死

認知症と向き合うために 大井 玄 氏

2012年6月12日火曜日

ぼくのともだち

ぼくのともだち、ゆーにーちゃんです
スマートフォンで何でも探してしまいます

お母さんのブログのスライドショーも作ってくれました
写真はクリックすると大きくなるそうです

いつもひざにのせてくれるんです
なかよしですよ、ぼくたち・・・Chuck


PS: スライドショー、モバイル表示設定がまだうまくいかないそうで・・・

2012年6月11日月曜日

アリウム・ギガンデウム




一度聞いても覚えられない名前
「むらさきねぎぼうず」がニョキニョキの植物園

2012年6月10日日曜日

気になるけど・・・

 田植えが済んだ田んぼのすみっこ
残されたひとかたまりの苗

少し黄色くなってきてしまったかな・・・
周りは大きくなったきたけれど・・・

2012年6月9日土曜日

館野泉さん

けやき便り: 左手のピアニスト: 2011年2月27日

左手のピアニストとして復帰した館野泉(たてのいずみ)さん、来年11月の喜寿のお誕生日までに16回のコンサートシリーズ「左手の音楽祭」をスタートされたとか。Izumi Tateno

左手の5本の指だけが88の鍵盤上を 動くのですから、普通に弾くよりも、からだを大きく動かさなければなりません。普通のピアニストとは違うからだの軟らかさや持久力も必要で、左手だけの特別のテクニックもあるといいます。

コンサートピアニストとして名声を博していた館野さんです。脳梗塞で倒れたあと、少しずつピアノが弾きたいという思いが強くなっていきました。ですが、それは右手が回復して、両手で弾くことを考えていたのです。ですが、右手の回復が思うようにならないことがわかってきた頃、左手のためのピアノ曲の楽譜を目にし、一瞬で「これをやろう」という強い感情が湧いてきたのだそうです。

既存の左手のための曲だけでなく、多くの作曲家に新しく左手のための曲の作曲を依頼し、演奏を続けている館野さん。「左手の音楽祭」を通して、館野さんはその豊かな世界を知って欲しいと願っていらっしゃるのです。左手だけのピアノは 決してハンディを持った人の音楽ではなく、それには音楽のエッセンスが詰まっている・・・と。

 ピアノが弾けなかった空白の時間があったからこそ、この豊かな世界にたどり着いた、テレビでそう語る館野さんの声が一瞬詰まりました。音楽が表現できる幸せをこころから感じていらっしゃるアーティストの姿がそこにありました。

2012年6月8日金曜日

どくだみ

名前はちょっと怖そうで、においも強烈だけれど
どくだみの白い花は大好きです
いつ頃からか、わが家の庭にも咲くようになりました

これ以上増えるとちょっと困るので
花が終わったら・・・

2012年6月7日木曜日

忘れてはいけない・・・








岩倉図書館にこんなコーナーができていました

        震災当時の雑誌や新聞
仮の埋葬地 番号の墓碑


写真を撮影したのは、僧侶で写真家の岸野亮哉(りょうさい)さん。息子と地区の中学校で同じ学年だった方。以前も図書館で彼の写真展示を見たことがありました。人の心を支える僧侶が写真家の目で捉えた写真にとてもひかれる私です。

2012年6月6日水曜日

「わが母の記」

小さい頃から抱えていた母に対する息子の葛藤。その母親の認知症が少しずつ進み、家族が感じる戸惑いと混乱。その中で、長年自分が持ち続けた感情が、少しずつほぐれていき、会話が通じなくなった母のことばや存在そのものによって癒されていく息子。

静かな映像の中に、家族の心の揺れや変化が描かれていたこの映画。親が老いていくことへの戸惑いは、私には痛いほどわかるものでした。

そのまっただ中では、ただただ揺れ続けていましたが、それも私自身の人生の大きな経験となった今、懐かしさを感じるような・・・胸がちょっぴりキュンとなった映画でした。

2012年6月5日火曜日

アマリリス




太い茎がにょきにょきのびて、花が大きく開くアマリリス
いつもカメラで「花どろうぼう」をさせていただくお宅で咲きました
「みんな一緒に咲いてくれるといいのにね」と奥さんが・・・
同じ時に植えても、それぞれが個性的

2012年6月4日月曜日

「親しき仲にも礼儀あり」

「親しき仲にも礼儀あり」と言います。かつては血縁者の間柄であっても、丁寧な言葉や敬語で、礼節ある関係を守りました。夫婦子どもの間でもきちんとした、美しい言葉を使っていました」

歌手で俳優・・・というよりその独特の存在そのものが際だっている美輪明宏さんが新聞の「悩み相談」に答えたことばです。

「今は、自分の感情をぶちまけるような“タメ口”の言葉づかいが目に余ります。適切な言葉というのは、互いの人格、内面を土足で荒らすことがありません。家庭でも職場でも、やさしく知的な言葉づかいは人間関係を円滑にする、一番の秘訣なのです」

妻との距離を感じるという30代の男性に、自分の言葉にまず注意を払って人間関係を作っていくこと、と勧めています。

う~ん、いいアドバイスだな、と感心した私でした。