2011年9月30日金曜日

池のほとりで

東寺の「蓮池」・・・ゴイサギがたたずんで・・・



カメはゆったり・・・大きなコイも悠然と



そんな大きな「獲物」を狙ってるの?無理じゃない・・・・??



PS:昨日の朝「突然」お隣からキンモクセイの香りが漂ってきました。ラジオでも「キンモクセイ」の話題でにぎわっていました。どうして「突然」、ある朝、香ってくるのでしょうね。それもあちこち同時に・・・

2011年9月29日木曜日

平穏死

母の在宅介護を支えてくださった近くの診療所の先生がおっしゃいました。「もし何かが起こった時、救急車を呼ぼうと思うのであれば、在宅介護はしない方がいいですよ。病院のような救急治療はできません。でもそれでいいのであれば、しっかりお手伝いしますよ」と・・・

訪問入浴の最初の日にも、担当者が私の気持ちを確認しました。「入浴途中で急変しても、救急車は呼ばない」ことを。

現代の医療は「治療」を目的としていますから、どんな状況になっても、何らかの処置をします。老人が食べられなくなったら、胃に直接栄養を送り込む「胃瘻」(いろう)もその一つ。少しでも長く生きていてほしいと思う家族は、「どんなことをしても」と医療に望むのでしょうが、果たして本人にとって、それが正解であるのかどうか。

2010年7月21日けやき便り: 胃瘻でもお名前を書いた石飛幸三医師が、「平穏死」について、「寿命の最期に何もしなかったら一体どうなるかを医学は知らないのです。苦しまず静かに、しぼんで乾いて最期を迎えるんですよ」と書いていらっしゃいました。「老衰の生理学」を理解した医師が少ないとも。

平均寿命が延び、元気に年を重ねる人も多くなっている現代。自然に死を迎えることがかえって難しくなっているのかもしれません。


「平穏死」を身近に経験した私が、母の旅立ちの後に書いたブログです。2010年12月26日けやき便り: 自宅で看取るということ

2011年9月28日水曜日

新作入荷


秋の新作衣料入荷です
ブランド商品が並びます

犬の「洋服やさん」です


お散歩用バギー




ハロウィーンのコスチュームも
Chuckにはご縁のないお店・・・

2011年9月27日火曜日

2011年9月26日月曜日

下方比較

下方比較:自分より運の悪い人、つらい立場にいる人と比べ、「自分はまだましだ」と思う感覚

「自宅は全部流されたが家族は無事。もっと大変な人が周りにはいる」

東日本大震災から半年以上たっても、悲しみの感情を表に出さない被害者の方々。被災地以外でも、放射能に対する漠然とした不安などの中で、同じように「下方比較」で自分の気持ちにふたをしている人たち。

悲しみの感情に向き合わないと、次第に悲しみが沈殿し、より深刻になると、自分自身の感情を「否認」し、うつ状態になる可能性が高まる。

被災地で援助活動に関わった人たちの中にも同じような感情が広がっているとか。

「不幸の比較」はいけない。喪失や悲しみを受け止める力を育てていかなければならない。

震災後のスローガン「がんばろう」ではなく、「弱くてもいいんだよ、助けてって言っていいんだよ」というスローガンを流すことが、被災者を含めてこころの中に悲しみを抱える多くの人の心のケアの第一歩になる。

この記事を読んで、震災後、日本人の全てが(多分もっと多くの人が)感じる不安を、お互いにケアしていくことがとっても大切なんだと思いました。

みんなそれぞれに不安なんですよね。だからこそ、誰かと一緒にいたいのですよね。誰かに聞いてほしいのですよね。本当に辛い時は、「助けてよ」って言っていいのですよね。

2011年9月25日日曜日

日の出まえ


夕日の写真は一杯たまってきた私
でも、朝日はほとんど写したことがありません。

24日早朝5時半
びわこの東から太陽がもうすぐのぼりそう
名残のお月様も見えました
(写真をクリックしてくださると、ちゃんと三日月に)

でも、本物の日の出は今回も写さず(写せず)
また寝てしまった私でした

2011年9月24日土曜日

ちびのかえる

ベランダでかえるみっけ!
保護色に変わってませんよ
めだちますよ!


アロエの中で休憩中
邪魔しないからね
写真をとるだけだからね






畑の中の「けいとう」にも、ちびさんみっけ!
保護色になるには大変そうだ

2011年9月23日金曜日

「書く」から「打つ」へ


「ねぇねぇお母さん知ってる?コンピューターって“かじったりんごさん”がついてるんだよ」と娘が私に教えてくれました。アメリカ生活に慣れてきた、1980年代半ばのこと。

シカゴ郊外の公立小学校には、「かじったりんごさん」、つまりアップル社のコンピューターがあり、こどもたちはごく自然にキーボードに親しんでいきました。

日本語へ転換するワープロ機能の向上とともに、アメリカ生活が長くなった息子や娘にとって、日本語はほとんどの場合「書く」ものではなく、「打つ」ものとして身につけていきました。コンピューターがあればこそ、日本語能力保持が可能だったのかもしれません。

現在、私もほぼ「打つ」生活となりました。翻訳もコンピューター上でやれるからこそ、対応できる、そんな状況です。文章を「打って」「読み直して」「手直しして」、と一連の作業が全てキーボードを打ちながら進んでいきます。まさしく「打つ」という「作業」をしているのです。

朝日新聞の天声人語の書き写しノートがあるのを知って、思い立って「手書きの時間」を始めてみました。全文603文字を書き写すには約20分かかります。句読点を抜かしたり、思い込みで読んでいたり、集中しているつもりでも間違えることがたびたび。

ですが20分間の「書く」作業を続けると、終わったあと気分が変わるのが不思議です。カタカタとキーボードを打ち続ける20分とは何だか別の時間を過ごした感じです。ちょうど深呼吸をしたような、そんな気分を味わうことができるのです。

「打つ」から「書く」へ、頭のトレーニングも兼ねて手を動かすのはいいようです。みなさんもいかがですか?

2011年9月22日木曜日

家族連れ

岩倉川 白鷺一家に遭遇
大慌てでカメラを向けると・・・



後には、一羽だけが残りました
あなたは、お父さん?
それとも、よそのおじさん?


2011年9月21日水曜日

寝たきり住宅

「食事が必要な方は入居できません」とパンフレットに書かれた有料老人ホーム。何のことだかおわかりになりますか?

口から食べられず、胃にチューブを通した胃瘻(いろう)の寝たきり高齢者だけが住むところなのだそうです。この文章を読んでいて、我が目を疑った私です。「そんなことが(ところが)あっていいの!」

「胃瘻アパート」とも呼ばれるこの異常な状態の施設。病院には長くいられない。胃瘻の人も介護できる特別養護老人ホームには空きがない。まともな介護付き有料老人ホームに入るお金がない。家族が引き取って介護できない・・・そんな寝たきり高齢者の受け皿となっているのだそうです。

この「寝たきり住宅」を紹介した朝日新聞の社説には、「何よりも、口から食べられるようにする努力をしない介護の姿勢に怒りを感じた」と記します。

入院期間をできるだけ短くして医療費を節約し、地域での介護を充実させる、という「社会保障と税の一体改革」。それをいかに実行していくのか、現実は厳しいようです。

私たち一人一人が「どんな老後を過ごしたいか」と自分自身に問いかけることから始めて、現在の状況をしっかり学んでいかなくてはいけないと思います。

2011年9月20日火曜日

横顔

珍しくカメラの前でじっとしていたChuck
ブラッシングができていませんね・・・

2011年9月19日月曜日

今年の彼岸花

車がよく通る道ばたに、突然顔を出した彼岸花



二日後、しっかり開いていました



どれだけ残暑が厳しくても
お彼岸が近いことを教えてくれるのですね

2011年9月18日日曜日

節電


「節電の便座に季節教えられ」 (朝日川柳より)

急に涼風が立ち、電気を切った便座がひやっとした、
その情景が目に浮かびます。


便座に関して、私の夏の経験、京都の「一流ホテル」にて。

大汗をかいて、お手洗いに入った私。びっくりしました。便座が「あつあつ」だったのです。ちょうど掃除をしている人がいらしたので、「便座は夏もスイッチを切らないのですか?」と聞いてみると、「はい、一年中、そのままです・・・」

日本中、節電・節電と言っていた今年の夏。こんなところに電気の無駄遣いがありました。単なる無駄遣いだけでなく、これは「不快な」状態でした。「日本って妙な国だな」と外国からいらした方が感じてしまうことでしょう。

日本人が作りだした「温水洗浄便座」。日本の冬の寒いトイレでは必需品でしょうが、便利さや快適さも、しっかり目配りしないと、こんなことになるのですね。

2011年9月16日金曜日

大発生!

公園の桜、はっぱが一枚もなくなりました
けむしの大発生です
8月の末に雨が続いて、急に涼しくなったからだそうです
ご近所、あちこちの桜がやられています



こんな大きなけむし、アゲハチョウの「おこさん」だそうです
(けむしが苦手な方、失礼・・・ぼけているからいいかな)







わが家のけやきにも!
てっぺんのはっぱがなくなってきました

さっそく来てくれた植木屋さんと相談
「はっぱをたべさせてやりましょう」という結論
「枯れることはありませんから・・・」

悠然と歩く(?)けむしにも庭で遭遇
みなさんもお気をつけくださいね

2011年9月15日木曜日

結果報告




6月26日けやき便り: お願いごとで投票をお願いしたサンリオ大賞の結果発表がありました。ペックル君は15位です。昨年は16位だったので、一つ順位を上げることができました。大きな広告の右下にしっかり潜り込んでいました。

キティちゃんが第三位なんですね。36万を超える投票があったこのキャラクター大賞、なかなか奥が深いようで・・・

「けやき便り」では珍しい写真の今日のブログ。妙な趣味の仲間がいると、こんなネタも登場します。もうすでに「来年は・・・」って言い出している人がいますが・・・

2011年9月14日水曜日

河野義行さん

またすてきな「出会い」がありました。図書館で・・・

ノンフィクションコーナーにあった「妻よ!わが愛と希望と闘いの日々」。著者は河野義行さん。松本サリン事件の第一通報者で、最初は犯人として報道された方です。

1998年に出版された本は、背表紙が曲がり、相当痛んでいました。それだけよく読まれているのでしょう。

サリン事件の被害者、奥さんの澄子さんは1994年以来、14年間意識が戻らないまま、2008年に亡くなっています。その後、刑を終えたオーム教の元犯人との交流を続けていらっしゃることを新聞で知り、私自身、河野さんのことはずっと気になっていました。

サリン事件の実態を本で読むのはとても辛かったです。河野さんに対する警察のアプローチは、当初から犯人を作り上げるためのものでした。その理不尽(りふじん)さに対して、毅然(きぜん)とふるまった河野さん、そしてまだ高校生だった息子さんや娘さんたちのふるまい。全てが「すごい」と思えるものでした。

文庫本にはなっているのですが、中古の単行本を探して手に入れました。もっとゆっくり、何度も読み返したい、河野さんの生き様を学びたいと思ったからです。

「“
あなたを誇りに思う”と人に言ったことはない。だが言いたいと思う人はいた」。哲学者、京都在住の鶴見俊輔氏のことばです。この「あなた」は河野義行さんのことです。「こういう人が日本人にいるのを誇りに思った」とも語っていらっしゃるのです。

「命あるかぎり」という河野さんの著作にあることばです:

私は麻原被告も、オウム真理教の実行犯の人たちも、恨んでいない。恨むなどという無駄なエネルギーをつかって、限りある自分の人生を無意味にしたくないのである。



河野義行オフィシャルホームページ

2011年9月13日火曜日

中秋の名月

比叡山の真上に顔を出した中秋の名月
相変わらずのチビデジカメではこんなもんですが・・・
日中の暑さもちょっと一息

2011年9月12日月曜日

10年目


2011年9月11日、2010年9月11日から丸10年。

あの日から何が変わったのでしょうか?

世界中の人が幸せになってきたのでしょうか?

憎しみや恨みでは何も解決しないと信じている人は少数なのでしょうか?

みんな自分自身は幸せになりたいと思っているのに、

他の人が不幸になっても平気なのでしょうか?

今も苦しみや悲しみを抱えている人のために、

新しい苦しみや悲しみを抱えた人のために、

祈っていましょう、ご一緒に。

2011年9月11日日曜日

東北コットンプロジェクト

津波の被害を受けた広大な農地。塩害のために、数年間は稲作ができない状態になりました。そこで、土地の塩分が高くでも栽培できる綿花を栽培してもらって、それを買い取る東北コットンプロジェクトが始まっています。

被災した農家の人たちの仕事の場を創り出すことと、消費者が、じかに手に取って使える商品を開発して、支援につなげようとするプロジェクトです。

ホームページは農家の方々の写真があります。「全てが未経験ですから、チャレンジする気持ちでスタートしました」 新しい動きが始まっています。

公的な復興支援計画がなかなか軌道にのらない現状でも、各地でユニークな取り組みがなされているようです。震災後半年。日々の暮らしの中で、被災した方々への想いを持ち続けていたいと思います。

asahi.com(朝日新聞社):被災水田産コットンでオリジナル商品

2011年9月10日土曜日

ちいさい秋みっけ


つゆ草に朝の露




庭にも秋の木漏れ日



ちいさい秋みっけ!

2011年9月9日金曜日

「いくじぃ」

「いくめん」ということばがはやったのは去年のこと。今年は「いくじぃ」、つまり育児をするおじいちゃんのことが話題になっているとか。 NPO法人 孫育て・ニッポンという組織ができているのを知りました。

私の「いくじぃ」経験は、もう35年以上も前のこと。

娘が生まれたのは7月。最初の冬、夜は父の部屋に居候をすることにしました。早くから暖房を入れている父の部屋がまだ小さい娘には最適な環境である、と手抜きの「母」の決定でした。

病気がちだった父は私や弟が育つ時には、育児には参加できませんでした。赤ん坊が大きくなるのを間近で見るのは、息子の時が最初でした。同じ部屋にいる娘のおしめを夜中に替えるのも、なんだかとっても嬉しそうでした。

息子は私にしかられると、泣きながら父の部屋に飛び込み、しばらくすると、スッとした顔で出てきたものでした。「じぃちゃん」という「ホームベース」は、わが家の息子と娘のこころにとっても大きなものを残してくれました。

両親だけと暮らす生活では得られない何かがしっかり伝わったのだと思います。暖かい贈り物を「じぃちゃん」からもらったわが家のこどもたちです。

2011年9月8日木曜日

たんぼ情報

台風のあと、わが家の周りのたんぼ
ほぼ被害なし

収穫間近の稲は危ないところ

丸く稲が倒れているたんぼが

ここは、稲がそろって頭を西に向けていました
強い風が東から吹いていたのですね


いつもより水が増えた岩倉川ではのんびり休憩中の「ひとり」

2011年9月6日火曜日

「おとこ」というものは!

わが家の先代プードルはメスのクッキーでした。物に動じない、ほとんど吠えない犬でした。「クッキーの声、聞いたことがない」と言った私の友人がいたほどでした。小さい時からマイペースで、一人(一匹)の長い留守番も平気。私の長い留守の時に他の家に預けられても平気。とにかく手のかからない犬でした。

そんな「静かな」クッキーが一度だけ吠え続けたことがありました。私が留守だった夜のこと。当時わが家に住んでいた息子と一緒に寝ていたのですが、「静かに!」と言っても全く聞かず、吠え続けていたのです。理由は・・・なんと「コソ泥」さんの来訪でした。ベランダの網戸を破って侵入していたのです。

息子が慌てたのは当然ですが、コソ泥も大慌てで逃げ出したとのこと。

「クッキーはちゃんと番犬になる」とまたまた株が上がりました。

・・・それに比べて「おとこ」の・・・じゃなくて「オス」のChuckは、物音にビクッとして吠えるのです。車の音、道を通る人の話し声。一番の苦手はカミナリ、そして花火。カラスの鳴き声にも吠えます。

にぎやかな犬に比べれば無駄吠えは少ないChuckだと思うのですが、何しろ、プードルは「吠えない」と信じている私ですから、「Chuck、うるさい!」と言うことがたびたび。

現在満三歳のChuck。もっとおとなになるとどっしりして吠えなくなるのでしょうか。それともこのまま・・・・

2011年9月5日月曜日

お辛いですね・・・

4日お昼のNHKテレビのニュース。山崩れで自宅が壊れてしまった女性に記者がインタビューしていました。

3日の夜、避難していた場所でも聞こえるような大きな音がしたというのです。4日の朝、自宅を見に来たら、土砂に埋まっていたとか。

「もうどうしていいのかわかりません」と言った女性に、「お辛いですね・・・」という記者の声が入りました。

すさまじい自然の力で破壊された人間の生活。それを仕事として取材するこの記者が、被害を受けた女性に寄せた暖かいこころがフッと伝わってきました。

想像を絶する被災地の情景です。深い山の中に住む方々にとっての大切な道路があちこちで途切れてしまいました。紀勢線の鉄橋も流されてしまいました。街すべての機能がなくなってしまったところもあるようです。

私たち一人一人が、全ての被災者の方々に「お辛いですね・・・」という気持ちを届けたいものです。

2011年9月4日日曜日

台風12号

4日午前8時半の鴨川



「番組の途中ですが、大阪のラジオセンターから台風に関する情報をお知らせします」

このメッセージが昨日の午後からNHKのラジオ放送をひんぱんに中断しました。強い風雨に目が覚めて夜中に聞いたラジオもこのメッセージが矢継ぎ早に流れてきます。明け方には、アナウンサーの声がかすれかけていたほど。台風12号は時速10キロぐらいのゆっくりした速度で四国の中央をまっすぐに北上、中国地方も縦断して、日本海へ。

ここ数日、広い地域で降り続いた大雨、特に紀伊半島は総雨量1500ミリを越えました。1メートル50センチ、ほぼ人間の高さです。被害の報道も増えてきました。

避難先から戻れるようになった方々もあれば、思いがけない場所での山崩れや洪水の犠牲になった方もあります。行方不明の方々が一人でも多く無事発見されますように。

自然の力の大きさを改めて感じる週末です。

2011年9月3日土曜日

博士号


「博士号とかけて、足の裏に付いた米粒ととく」
そのココロは・・・
「取らないと気になるが、取っても食えない」

大学院生の間で有名なジョークだというこの記事を切り抜いたのは2009年5月のこと。何となく「気になって」ずっと残してありました。

国の政策で大学院に進学する人が増え、博士の数も大幅に増えたけれど、この記事が書かれた当時の就職率は6割どまり。「ワーキングプア」の博士も珍しくないとも。

先日、この「大学院重点化」についての新聞記事をまた目にしました。1991年から国立大学で実施された改革だったのがわかりました。それ以降、私立大学も大学院の定員増が続いているとのことです。

各種国際機関に多額の資金を拠出している日本は、それぞれの組織(国連や世界銀行など)での職員枠を多く持っていて、就職を希望する学生も少なくない、が、採用条件が修士号取得の者、となっているので、受験できない日本人が多かった。それが上記の改革の理由なのだそうです。

「大学院重点化」の開始以来20年が経過し、大量生産された博士たちは空前の就職難に陥っているとか。大学または企業で終身雇用の職に就ける博士は三分の一、任期付き研究職に就ける博士は三分の一、残り三分の一は「行方不明」という調査報告があるのです。

企業が博士を雇いたがらないのは、博士が過度に「専門家」しているのが理由だそうです。日本の大学受験のシステムでは、学部受験の時から「専門」を明確にしていますから、それを長い場合、九年も続けて勉強した博士たちは、「高年齢」「視野が狭い」「即戦力にはならない」などの理由で、企業に受け入れられにくくなっているのが現実だそうです。

アメリカの教育システムを基準とした、国際機関の採用条件は、大学の学部レベルで「教養課程」(リベラルアーツ)を学ぶことを前提とし、その上の専門知識を、少なくとも修士レベルまで学んでいることを要求しているのです。

根本的な教育システムが違う日本で、大学院だけを「手直し」した結果が、就職できない博士の大量生産となったのです。

教育の大切さを思う時、多くの人の長年の努力が将来に結びつかない現実を知って、唖然となりました。これからの日本を支える人たちが「足の裏に付いた米粒」になってはいけないのです。