2011年2月17日木曜日

井村雅代さん

2008年の北京パラリンピックの一年前、中国のシンクロナイズドスイミングの指導者となった井村雅代さん。日本のシンクロを世界レベルに育て上げたその指導力で、中国チームを北京オリンピックの団体銅メダルに導きました。井村さんが中国に行く前から「日本を裏切った・・」などというコメントが飛び交っていたものです。

その井村さん自身のことばをラジオで聞きました。

世界のシンクロ競技において、指導者の多くはロシア出身者。実力を高めるために、各国がロシア人コーチを招聘(しょうへい)しています。井村さんが中国から指導してほしいとの打診を受けた時のこと。もし自分が断れば、ロシア人のコーチが呼ばれるはず、日本の指導方法を世界に広めるためにも、自分が出て行かなければ、と思ったそうです。日本のシンクロ競技を世界レベルに導いたその指導方法を外国に伝えたい、その気持ちからだったのです。

その後井村さんに対する批判はさらにエスカレートしていきます。ですが井村さんは、中国で自分の指導方法を貫きます。中国各地から集められた、身体能力が高く、スタイルのいい選手たち・・・ですが、最初に井村さんが会った時、彼女たちは、基礎的な訓練もなく、シンクロができる状態ではなかったのです。

シンクロやフィギュアスケート、体操などの採点競技は、世界選手権などへの出場を続けて、評価を高めることが、オリンピックのメダルにつながります。2007年の世界選手権まで残り数ヶ月の時期に指導を始めた井村さんは、シンクロの基礎を教えることよりも、選手たちの「態度」を変えることに集中したと言います。

笑顔を作ること、ありがとうを言うこと。この二つを選手たちに教え込みました。中国では、「お愛想(あいそ)笑い」の習慣はなく、堅い顔でシンクロの練習をしていたそうです。選手やコーチの間で「ありがとう」ということばが交わされることもなく、チームとしてのまとまりもなかったのです。世界選手権では、中国チームの印象を変える、そのための訓練が「笑顔」と「挨拶」だったのです。

シンクロに向く身体をつくることも大切なトレーニング。呼吸法からスタートです。彼女たちは地域の代表同士ですから、弱音(よわね)を吐くことは決してなく、お互いにいい意味のライバルとして、厳しい指導に食らいついてきたそうです。

指導した選手たちが、日本に帰る井村さんにお礼のことばを録音していました。その日本語訳も吹き込まれていました。厳しい指導に対しても感謝のことばを言い、「おあいそ笑い」ができるようになったことを喜んでいるというコメントがありました。確かな指導技術に裏付けられた、「したたかな計算」があったからこそ、短期間にチームとしての一体感を高め、オリンピックでの大きな結果を生み出すことができたのです。

自分の信念を貫く人は、時には世の中の多数の考え方からはずれてしまうもの。自分を信じ、選手を信じ、自分のやるべきことをやり遂げた井村さん。単に自分の国の中だけを考えるのでなく、もっと大きなこころでシンクロを指導している方と見受(う)けました。

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