90年代半ばに京都大学に留学していたミャンマーの医師。日本の病院で使わなくなった検査機器の寄付をあちこちの病院に依頼していました。最新式の機器でなくてもまだ使用可能な医療機器を祖国で役立てたいと考えていたのです。
発展途上国に支援品として届けた機械が故障しても修理ができず使われなくなっている現実があるという報道を以前、目にしたことがありました。修理技術を教えることも含めての援助でないと役に立たないというのです。
持続可能な援助とは、という記事を読みました。その中の文章です。
日本でも途上国に学校を建てるための寄付が呼びかけられる。だが建物だけでは十分ではない。教員を養成する機関が必要だし、そこに入る生徒を育てる初等教育も重要。教科書をつくれる研究者も欠かせない。先生に給料を払いつづける予算もいる。
小さな善意が集まって何かのお役に立つのは素晴らしいこと。政府の予算で海外の途上国を援助するのも必要なこと。それがどんな場合でも支援を受ける側の事情がしっかり把握されたものでなければ、意味がないことも明白。
善意が生かされるための準備や方策がいかに大切かということ。
先ほどの記事の最後のことば「人助けは、そう簡単ではない」。
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